第五百七十七話 笑顔
色とりどりの果実が実をつけていた。どれも見事な出来栄えだ。セルロイトは心の底から満足していた。自分の思い通りに作物が育ち、実を付けてくれたからだ。
彼女は愛おしそうに果実を撫でる。これはルーフという極めて希少な果実だ。甘味と酸味がバランスよく口の中に広がり、さわやかな口当たりが特徴だ。美味しさもさることながら、これには滋養分が豊富に含まれていて、その昔は万病に効く薬とまで言われていたものだ。それが、彼女の目の前に所狭しとなっている。これらは、アガルタとフォーアルの市場に並ぶのだ。きっと、皆が健康になるに違いない。
セルロイトはポケットから小さなナイフを取り出して、それをルーフの茎に当てる。すぐにその実が掌の上に落ちてきた。彼女はそれを腰に取りつけている籠の中に入れる。すぐに籠はいっぱいになったが、果実はまだまだ収穫されるのを待っている。
「手伝おう」
不意に彼女の隣に人影が見えた。よく見るとそれは、ヤンノーリだった。彼は満面の笑みを浮かべながら、ルーフの実を収穫していく。その様子を見て、セルロイトは、何とも言えぬ幸福感で満たされていた。そうだ、一緒に苦労してこの果実を育てたのだ。色々と大変なことや上手くいかないことも多かったが、この人と一緒にいられて、本当に幸せだ……。
そのとき、フッとセルロイトは目を覚ました。
……夢?
ぼんやりとした頭で、彼女は周囲を確認する。そうだ、ここは、自分の部屋だ。確か、お母様がいたはずだ……。そんなことを考えながら眼だけを動かして母を探すが、その姿は見えない。
何とも言えない倦怠感が全身を包んでいた。そうだ、昨日の夕方、コンシディー様に、すぐに帰って休むように言われて、半ば強制的に部屋に帰されたのだ。それで、部屋に帰って、お母様と少し話をして……そのまま寝たのだ。それから……そうだ、翌日の朝、出勤しようとしたら、体が動かなかったのだ。確か、熱があると言っていた……。
徐々に記憶が戻っていく。セルロイトはこの数日間、ほぼ不眠不休で働き続けていた。今、彼女が高熱を出して動けなくなったのは、それが原因であることは明らかだった。
メイとシディー、そして、セルロイトは、フォーアル大公国で採取した友好の花と土を持ち帰り、それをアガルタで培養してみた。花はすぐに増えた。それらをリノスの火魔法で焼き切ってもらい、しばらく様子を見てみた。すると、アガルタの土を用いて培養した花は芽を出さなかったが、フォーアルの土で培養した花は芽を出した。これにより、火山灰が混ざった土においては、友好の花は生命力をさらに強くすることが明らかになった。
メイたちは早速、この花の駆除方法について研究を始めた。セルロイトは夢中になって、その打開策を見出そうと研究に没頭したのだった。
対策がないではなかった。リノスが地中深くまでLV5の火魔法を放てば、この花は消滅することが、メイたちの調査で明らかになっていた。だがそれは諸刃の剣だった。花が消滅すると同時に、その土も死んでしまうのだ。
それは不思議な光景だった。リノスが火魔法を土に向けて放つと、そこは粘土のような土になった。固く、粘り気のある土……。それは作物が育つ環境でないことは、一目瞭然だった。それに、リノスの火魔法をもってしても、一度に駆除できる範囲は狭く、本気で駆除するためには、何度となくそれを行う必要があった。そのため、結論としては、最悪の場合にはリノスの魔法を使うが、まずは、花を駆除する方法を見出そうということになったのだった。
ちなみに、当のリノスは、研究熱心なメイとシディーに付き合わされて、何度も土中に火魔法を打ちこむ作業を強いられた。一旦魔法を放ってしまうと、メイとシディーはその結果を確認する作業に没頭してしまうため、リノスは一人取り残される形となった。そのため彼は完全にスネてしまい、屋敷に帰っても一言も口を利かずに部屋に閉じこもるという状態になった。ただ、それを察したリコが一計を案じ、彼を優しく労わると同時に、メイとシディーが涙目で謝ると、すぐに機嫌を直したのだった。
そんな状況下の中、セルロイトは花を駆除するために様々な実験を行った。朝早くから夜遅くまで、まさしく寝食を忘れての実験……。そんな彼女に母は何も言わず見守り続けていた。部屋に帰れば、必ず温かい食事を用意してくれていた。そして、朝も体にいいものを選んだ食事が食卓に並べてくれていた。
そんな母に心の中では感謝しつつ、研究をつづけたセルロイトだが、体は確実に疲弊していった。そんな彼女をシディーは一目見て、これは危ないと断じた。鉢植えに植えられた友好の花に、セルロイトは色々な薬剤を注入していた。その中にはかなり毒性の強いものまであった。毒には毒を持って立ち向かおうとする姿勢がそこにはあった。そんな彼女の手はかすかにふるえていたが、その手を小さな手が力強く握った。
「……!」
「ちょっと、止めようか」
「あ……」
突然のことで言葉が出てこないセルロイトに、コンシディーは真剣な眼差しを向けていた。目元がトロンとしている。顔全体も腫れぼったい。シディーは瞬時に過労からくる発熱であると見抜いた。
「今日はもう、帰って休もう」
「でっ……でも……」
「大丈夫。てゆうか、私の直感だけれど、今の状態でこの実験を続けても結果は出ないと思うな。帰ってゆっくり休んだ方が、いいアイデアが出ると思う。騙されたと思って、今日は一旦帰ろう」
コンシディーの瞳には確固たる信念が見て取れた。セルロイトはその迫力に飲まれる形で、すごすごとその場を後にしたのだった。
いいアイデアどころか、体が動かないではないか。こんな状態では、アイデアも何もあったものではない。そんなことを考えながら、セルロイトはぼんやりと天を仰ぐ。そのとき、人の気配を感じた。彼女は直感的にそれがヤンノーリだと思った。
「大丈夫?」
顔をのぞかせたのは、母だった。驚きのあまり眼を見開く彼女をじっと見つめながら、母は優しく手を額に載せた。冷たい手が、何とも心地いい。
「まだ熱があるみたいね。いきなり慣れないことをするから、こんなことになるのです。今日はゆっくりと寝ていなさい」
そう言って母は、彼女の額に濡れたタオルを置いた。
「ああ、そうそう。先ほど、アガルタから使者が来たのよ。あなたが体調を崩したと聞いて、差し入れを持って来てくれました。少しでいいから、食べなさい」
母はそう言って、セルロイトの口元に赤く色づいた食べ物を差し出した。それは、シーングの実だった。ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。セルロイトはゆっくりと口を開ける。
冷たい果実が口の中に放り込まれた。噛みしめると、上品な甘さが口の中いっぱいに広がる。これは、ヤンノーリが研究していた作物だ。甘味が足りないと言っていたが、どうやら研究は成功しつつあるようだ。きっと、ヤンノーリがこれを使者に持たせたのだろう。
「これは、とても滋養分があると聞いています。まだ、食べられる?」
母の問いかけに、彼女はゆっくりと頷く。心なしか、体の気だるさが少し軽くなったような気がしていた。
結局、セルロイトは、母が用意してくれたすべてのシーングの実を平らげた。久々に味わう満足感と共に、彼女は再び深い眠りに落ちた。体調が戻ったら、ヤンノーリさんにお礼に行かねば……。眠りに落ちる直前、彼女はそんなことを考えていた。その脳裏には、やはり太陽のような笑顔を見せる、彼の姿が描かれていた……。
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