第五百七十六話 ヒント
薄暗いファンタジック公爵の屋敷の庭……そこには一面に友好の花が咲き乱れていた。一見すると実に美しい光景だが、そこには、常人では耐えられない程の濃厚な臭気が立ち込めている。
そんな中、庭の一角には一筋の光が見えていた。そのすぐ傍では、一人の女性が蹲っている。決して花の臭気で倒れていたわけではない。ただじっと、花を観察していたのだ。
その女性は、セルロイトだった。彼女は転移結界を使って、アガルタからこのフォーアル大公国まで移動してきていたのだった。
彼女の手元には、少し大きめに作られたランプと、一輪の友好の花が咲いている鉢植えが置かれていた。これは、アガルタから持ってきたものだ。クリミアーナ教国から贈られた本株からわけられた花……。教国からの使者が言ったように、LV5の火魔法で駆除できるはずだった花だ。だが、このフォーアル大公国で咲き誇る友好の花は、駆除できなかった。その原因を突き止めるべく、セルロイトは故国に赴いていた。
彼女は鉢植えの花と、目の前に咲き誇る花を入念に比較して、観察し続けていた。だが、何を、どこをどう見ても同じ花だ。確かに、葉の形や茎の太さなど、細かい点で違っている点はある。だが、基本的な花の形状においては、今、彼女が持つ花と目の前の花は同じものであると断じざるを得なかった。
彼女はゆっくりと天を仰ぐ。視線の先には、白い布が何重にも重なっていた。この花の臭気は元より、種や花粉の飛散防止のために、さらに布を厚く巻きつけられたこの屋敷は、太陽の光を遮断して、まだ昼間であるにもかかわらず、夕暮れのような暗さとなっていた。
「もう一度、考え直そう」
セルロイトは誰に言うともなく呟く。そして、彼女は懐から転移の効果を付与された結界石を取り出し、それを発動させた。
◆ ◆ ◆
「そうですか……」
セルロイトからの報告を聞いたメイリアスは、優しげな笑みを浮かべながら、労う。本来はこのメイリアスとコンシディー、ゴンらと共にファンタジック公爵家の庭に赴くところだったのを、セルロイトが何としても一人で行かせてほしいと我が儘を言ったのだ。そんな彼女の意思をメイリアスは尊重してくれ、夫であるアガルタ王に頼んで、転移結界の結界石を持たせてくれただけでなく、屋敷中に蔓延する悪臭などの対策を付与した結界も張ってくれたのだ。
セルロイトには、直感的に、あの屋敷の花が、友好の花とは別物であるという考えが閃いていた。きっと、丁寧に観察すれば、その違いが判るはずだ。そう考えていた自分の甘さが露呈した形となっていた。事は一刻を争う中で、時間を無駄にしてしまった……。何度も謝る彼女にメイリアスはあくまでも冷静に、優しい言葉を投げかけ続けた。
「見ただけではわからないというのが実証されただけでも進歩です。セルロイトさんが半日かけて観察した結果です。とても価値のある報告です」
セルロイトは、メイリアスの優しさに感謝していたが、その感情を上手く表現する言葉が見当たらずに、ただただ頭を下げ続けることしかできなかった。
失意のまま、彼女は部屋に戻る。そこには、母が夕食を用意して待っていてくれた。母は、今日はどんなことがあったのか、などとは聞かずに、淡々と食事を済ませ、風呂に入って寝るようにと勧めた。きっと母は、今日あったことなどお見通しなのだろう。しかし、それでも、知っていて敢えて知らないふりをしてくれたことに、セルロイトは深く感謝した。
翌日、セルロイトはアガルタ大学の農場に向かった。そこでは、ヤンノーリが黙々と農場の手入れをしていた。
眼前に広がる真っ黒な土……。これは土に十分な栄養が行き渡っていることを示している。この土に種を撒けば、大抵の作物は順調に生育するはずだった。
「やあ、いらっしゃい」
セルロイトの姿を見つけたヤンノーリは、そう言って白い歯を出して笑みを浮かべた。彼は布で手を拭きながら、ゆっくりと彼女の許にやってきた。
「メイリアス様から聞きました。友好の花の駆除方法を研究なさるとか」
彼の言葉に、セルロイトはオドオドとした様子で頷く。
「私も微力ながらお手伝いさせてください」
ヤンノーリの言葉に、セルロイトはどう答えていいのかがわからなかった。単なる社交辞令であるとは思うが、彼の澄んだ瞳は、それだけではないと思わせる何かがあった。とはいえ、自分に彼を研究に加えるなどと言う権限があるわけもなく、応とも言えず、否とも言えず、セルロイトはただ、俯くことしかできなかった。
そんな彼女に笑顔を向けていたヤンノーリは、くるりと踵を返して、畑に向かって歩いて行った。そして、畑から何かを掬い上げると、それをそのままセルロイトの許に持ってきた。
「フォーアル大公国は、火山灰の影響で、農地が荒廃していると聞きます。聞けば、あの国で友好の花は爆発的に増えているのだとか……。もしかしたら、痩せてしまった土地が関係しているのかもしれませんね。生き物は種の保存が脅かされたときに、爆発的に種を増やそうとしますから……。このアガルタのように、養分をたっぷり含んだ土だったら、もしかしたらあの花も、そんなことにはならなかったのかもしれませんね」
ヤンノーリは、そこまで言うと、ゆっくりと首を振る。
「いや、これは失礼しました。何も知らない私ごときが、勝手なことを言いました。お許しください」
彼は手に持っていた土を地面に落とすと、パンパンと手を叩いて土を払い落とし、スッと一礼して、踵を返した。
「土が違う」
「えっ?」
突然呟いたセルロイトに、ヤンノーリが驚いた表情を浮かべながら振り返る。
「確かに……確かに……ここと……ファンタジック……公爵様のお庭の土は……違う。それかも、それかも、それかもしれません」
セルロイトは無意識にヤンノーリの手を握っていた。
「あっ、あっ、あっ、ありがとう、ございます」
そう言って彼女は急いでその場を後にしていった。その彼女の後姿を、ヤンノーリは姿が消えるまでじっと見送り続けた。
◆ ◆ ◆
「土……」
セルロイトはすぐにメイリアスの許に取って返し、ファンタジック公爵家の庭の土を調べたいと申し出た。その言葉を聞いた彼女は、宙に視線を泳がせた。
「メイちゃん」
不意に扉がノックされて、一人の少女が入室してきた。これは、アガルタ王リノスの妻の一人である、コンシディーだった。彼女はセルロイトの顔を見ると、この間はお疲れさまと言って、笑顔を見せた。その表情はセルロイトの心を少し癒した。
「どうしたの? 何か閃いた?」
メイリアスの様子を見るなり、コンシディーはそんな言葉を口にした。彼女は知っていた。メイリアスが宙に視線を泳がせているときは、何かを思いついたときであることを。己が立てた仮説を頭の中で検証しているのだ。
「シディーちゃん。フォーアルの土……何かあると思います」
「土!?」
コンシディーは一瞬、驚いた表情を浮かべたが、すぐに真面目な表情に変わり、人差し指を顎の下に当てて何かを考え始めた。
「メイちゃん……。確かに、あの国は大量の火山灰が降り積もっているわよね。アガルタとの一番の違いは、そこだわ。……うん、土に何かあるかもしれないわ。調べてみましょう」
コンシディーの言葉に、メイリアスは大きく頷く。
「では、早速、今からフォーアルに向かいましょう」
「いっ、いっ、今から、ですか?」
突然の話に、セルロイトは思わず声を上げる。だが、二人の妃は目を輝かせながら力強く頷いた。その様子を見て、セルロイトも、何かの覚悟を決めたように力強く頷いた。その彼女の脳裏には、優しい笑みを浮かべる、ヤンノーリの顔が浮かんでいた……。




