第五百六十三話 まだ終わらない!
「なっ……まこと……か……」
大公・テイストは必死の思いで言葉を絞り出した。と同時に、その顔が苦悶に歪んだ。いつもは負の感情を出さず、泰然自若としているように心がけているのだが、今、耳にした報告は、そんな日頃の努力を簡単に水泡に帰すものだった。
大公の前には、二人の男が、ただひたすらに頭を垂れている。侍従長のリルレインと、ファンタジック公爵だ。
いつもはシャンと背を伸ばし、大公宮殿の廊下を我が物顔で闊歩している二人が、まるで捨てられた子犬のように体を震わせ、ひたすら許しを請いている。とりわけ、公爵の姿は哀れだった。いつものように美々しい衣装を纏うこともなく、シンプルな黒い、まるで葬儀に参列するかの衣装を身に付けていた。彼を飾っていた勲章などの類は一つもなく、単なる壮年の男が一人、大公の前で項垂れているのだ。
そんな二人を睨みつけながら、大公は背筋に冷たい汗をかいていた。まさに、フォーアル大公国存亡の時が迫っているのだ。彼の頭の中には、国中が友好の花で埋め尽くされ、その花の傍に、枯れ果てた作物や、苦悶の表情を浮かべた人々の躯が晒されている光景が描き出されていた。しかもそれが、近いうちに現実になる確信が彼にはあった。
二人からの報告では、友好の花が、想像を超えた勢いで爆発的に増えているとあった。大公はそうした事態を、当初は理解することができなかった。だが、リルレインが預かった花を切り取り、挿し木をして増やしていったという報告を聞くと、即座にその花の持つ危険性を理解した。
おそろしく繁殖能力と生命力の高い植物……。しかも、数に比例して香気が臭気に変わるほどの香り……。このまま放置すれば、間違いなくこの国は亡びる。すでに、ファンタジック公爵家とリルレイン侍従長の屋敷の庭は、その花で埋め尽くされ、周囲にひどい悪臭を放とうとしているのだ。
「友好の花が他に根付いていないか、すぐさま国中を調べるのだ」
まるで、あたりを憚るように小さな声で大公は命じる。彼の眉間には深い皺が刻まれており、そのあまりの迫力に、二人はオロオロと頭を下げ、その場を後にしようとする。そんな二人を彼は呼び止めた。
「待て。まだ命令は終わっておらん。友好の花の本体は、リルレイン、まだお前の屋敷にあるのか? ……で、あれば、急ぎそれをアガルタに送るのだ。ハーツ、ハーツはおらんか!」
「は……ははっ。これに……」
ビクビクと体を震わせながら、弟のハーツ公爵が進み出て、大公の前に控えた。いつものようにオドオドとした態度だが、その眼の奥は爛々と輝いていた。それを見て大公は、大きく頷いた。
「友好の花は、お前がその手でアガルタに運ぶのだ。まず、セルロイトにその花を見せ、その後にアガルタ王に謁見するのだ。セルロイトならば、その花がいかに危険なものであるのかを、理解するはずだ」
「かっ、かっ、かっ、畏まりまし、た」
「すぐに立て」
「は……ははっ!」
「ああ待て。お前ひとりでは心もとない。お前の妻のメルモも連れて行け」
「ハハッ!」
およそ初めてではないかと思われる程の大きな声で、ハーツ公爵は返事をした。その様子に大公は大きく頷き、顎をしゃくって、退出を促した。
「それでは、我々も……」
ハーツ公爵の退出を見届けると、ファンタジックとリルレインが恐る恐る退出しようとする。そんな二人を大公は再び呼び止める。
「待て! 私の命令はまだ、終わってはおらん!」
「ハハッ」
「お前たち二人は、私の許可が出るまで、屋敷に戻ることを厳禁する。本日の昼までに、必要最低限の荷物だけを持って、この大公宮殿に移るのだ」
「ええっ!?」
「ボールズ! ボールズはおらんか!」
あまりにも予想外の命令に、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる二人に構うことなく、大公は部屋の外にまで聞こえるくらいの大声を出した。しばらくすると、頭をツルツルに丸め、軍服に身を包んだ、体格のいい壮年の男が入室してきた。
「お召しでございますか」
「ウム。これから、この二人をそれぞれの屋敷に送るのだ。しかる後、本日の昼までに、最低限の荷物だけを持たせて、この宮殿に連れてくるのだ。その後、この二人の屋敷を、アリすらも入れぬほどに、厳重に封鎖するのだ」
「ご命令は厭いませんが……」
ボールズと呼ばれた軍人は、思わず傍で固まっている二人に視線を向ける。
「事は一刻を争うのだ! いいから言う通りにせい! それと同時に、全ての軍を動員して、国中から布を集めるのだ!」
「布……でございますか?」
「そうだ。布だ」
「かっ、畏まりました……」
ボールズは目を白黒させながら、相変わらず固まっている二人の貴族に退出を促す。そしてその後、国中から集められた布は、二人の屋敷をグルグル巻きにするために使われた。
大公が懸念したのは、その悪臭と共に友好の花の種や花粉が拡散したり飛散したりすることだった。もし、花粉などが風に乗って飛散すると、まさしくフォーアル大公国は、大公が想像した通りの地獄絵図となる可能性が高い。彼は今、打てるべき手はすべて打ち、この国を守ろうと固く決意していたのだった。まさしく、フォーアル大公国とクリミアーナ教国との、形を変えた戦争の火ぶたが切られたのだ。
だが、それから三日後、フォーアル大公国が混乱するのを知っていたかのように、クリミアーナ教国から使者が訪れた。国をここまでの混乱に陥れておきながら、しゃあしゃあと謁見を求めてくるクリミアーナに対して大公は激怒し、使者には会わぬと言って、部屋に引きこもってしまった。彼にしてみれば、使者に会えば即座にその者を斬り捨ててしまう恐れが多分にあった。彼自身、感情をコントロールして、冷静に対処する自信がなかったのだ。
とはいえ、相手は教皇の勅使としてこの国に赴いてきている。それを追い返すことは即ち、クリミアーナを敵と見なしたと同じ意味になるのだ。そうなれば、あの国に戦端を開く機会を与えることになる。そうなればこの国は、なすすべもなくクリミアーナに蹂躙されるのは目に見えていた。
仕方なく、クリミアーナの使者については、ファンタジック公爵とリルレイン侍従長が対応に当たることとなった。それについては、反対意見も多かったが、二人は何としても恥を雪ぎたい、クリミアーナの使者から、友好の花の対処方法を聞き出して見せると主張して、その役に当たったのだった。
「やあ、しばらくぶりでございますな」
使者として現れたのは、以前、教皇親書を携えてきた男だった。小柄で禿げ上がっているが、常ににこやかに愛嬌のある笑みを振りまいて、一見、人のよさそうな人物に見える。だが、その両目は激しく上下左右に動いていて、この国の内情を一つでも多く知ろうとしていた。
彼は、大公・テイストが病のために臥せっていると聞き、大仰に驚いてみせた。
「何と! それは心配ですな。我がクリミアーナ教国は、世界最高の医師を多く抱えております。よろしければ、大公様の許に遣わしましょう」
そんなことは断じて受け入れないのはわかっているはずだ。で、あるにもかかわらず、ぬけぬけとそんなことを言うこの男の豪胆さに、ファンタジック公爵とリルレイン侍従長の二人は、思わず苦笑いを浮かべる。
だが、使者の男は、そんな様子を気にすることもなく、ダラダラと当たり障りのない話を続けた。やれ、クリミアーナの教都であるアフロディーテでは、日差しが強くて困るだの、教皇聖下は最近、野菜のスープ料理にご執心であるだの、彼らにとっては至極、どうでもよい話ばかりだった。
のらりくらりとした使者の態度に業を煮やしているのを感じたのか、男は鼻をピクピクと動かして、何やら匂いを嗅ぎ始めた。
「何やらいい香りが致しますな。これは、もしや、友好の花の香りでは? おお、そういえば、あの花はどうなりましたか?」
やっと本題に入れる……。二人の男は姿勢を正して、使者と向き直った。




