第五百六十二話 咲き乱れる
それから一週間後、パッソの屋敷の庭には、「友好の花」が咲き乱れていた。
あれからすぐに、挿し木を増やしてみたところ、たちどころに花は根付き、一週間後にはちゃんと「友好の花」が育っていた。今では、窓を開けると、すばらしい香気が鼻をくすぐるようになっていた。
「……何ということを」
その光景を見て絶句しているのは、パッソの夫であるリルレイン侍従長だった。
「あら、別によろしいじゃありませんか」
オロオロとうろたえる夫を横目に見ながら、パッソは満面の笑みを浮かべる。そんな彼女を夫は苦々しそうに一瞥する。
「何がよいのだ。クリミアーナから贈られた花を勝手に……」
「枯らせるよりはよいでしょう」
「……」
「もし、枯らせてしまえば、あなたは大公様からどのようなお叱りを受けるかもしれないですわよ?」
「そっ……そうだが……」
「それがどうですの? 今では、あの花がこれだけ見事に咲いているのです。クリミアーナから贈られた花がもし枯れたとしても、ここに替りはいくらでもあるのです。私は喜ばれこそすれ、お叱りを受ける覚えはございませんわ」
「別に、私は、怒ってなど、いない」
「あら、じゃあよろしいじゃございませんか」
「いや、このことが大公様に知れたら……」
「知れたところで、何か、問題が? よろしいじゃございませんの?」
「そうはいかない。こうしたことはきちんと大公様に報告しなければならない。さもないと、どのようなお咎めを受けるか……。やはり、詳細に報告しなければならない。一体、いつからこのようなことをしている? 詳しく話してもらおうか」
「その必要はないと思いますわ。それに、大公様への報告は、あなた様が勝手になさればよろしいですわ。ただ……。クリミアーナから贈られた花を、枯れたときのために少し増やしたくらいで、咎められることなどあるでしょうか。むしろ、枯れさせてしまう方が、あなた様にとってよろしくないことになると思いませんこと?」
「ど……どいうことだ」
「考えてもごらんなさいまし!」
パッソは、目を覚ませとばかりに、夫の顔の前で手を叩いた。驚いて後ずさりをするリルレイン侍従長。そんな彼にパッソは侮蔑の眼を向ける。
「あのクリミアーナのことです。友好の花が枯れたと知れば、どんな無理難題を吹っかけてくるのかわかったものではないではありませんか! 花を枯れさせたのは、クリミアーナと誼を深める気のない証拠だとか言って、我が国を攻撃する口実にしかねませんでしょう? そうはお思いにならなくて?」
「ううっ」
「まあ、大公様に報告するかどうかはお任せしますわ。私は、別に報告の必要など、ないと思いますわ。……また、そんなお顔をなさる。わかっておりますわ。報告するのは、あなた様の義務、お仕事ですものね。報告しないというのは、あなた様にとって不忠になるかもしれませんが、ただ……あの花がもし枯れたときは、さすがの大公様もお心を乱すに違いございませんわ。そのとき、あなた様がこの花を差し出せば、大公様はどれほど喜ばれることでしょう。そのときこそ、不忠が却って忠義になって、あなた様の評価が大きく上がるのではないですか?」
パッソの言葉に、リルレイン侍従長は悔しそうに俯いている。彼は無言のまま踵を返して、屋敷を後にしていった。そんな夫の姿を見てパッソは、呆れたようにため息をついた。
夫を見送った彼女は、その足でファンタジック公爵家に向かった。その手には、成長した友好の花を携えていた。
挿し木をするとすぐに根付き、成長も早いと聞いた公爵夫人は、喜びを隠さなかった。彼女はテラスの窓を開けると、広大な庭を眺めながら、今にここがこの花で咲き乱れるのですねと、誰に言うともなく呟いた。そして、彼女は踵を返してパッソに視線を向けると、次回のオルデマ・ピルゲでは、私の隣にお座りなさいなと勧めた。
オルデマ・ピルゲとは、この国の主だった貴族の妻たちが開いている定期的な集まりで、言わば婦人たちの情報交換の場であった。表向きは、菓子などを食べながら楽しくおしゃべりをする会だが、実情は、この会を主宰するファンタジック公爵夫人による派閥の集まりと言ってよかった。彼女らは、他の貴族たちの噂噺に興じる一方で、派閥の長であるファンタジック公爵夫人の忠誠心をこれでもかと見せつける。この公爵夫人の口添えがあれば、夫の出世は約束されたものとなる。彼女の夫は、先代大公の孫に当たり、現大公とはいとこの関係にあった。王位継承権の第三位を与えられると同時に、この国の内政と軍事に深くかかわっていたのだ。
今、パッソの目の前で、夫人は次回のオルデマ・ピルゲでは隣に座れと命じた。それは、とりもなおさず、この夫人の右腕となれと命じられたと同じ意味を持っていた。パッソの心は高鳴った。これで、夫の出世は間違いない。それに伴って収入は格段に上がるだろう。それに加えて、香水の製造と販売をこの夫人と共同で行うのだ。巨万の富を手にする可能性は、十分にあった。
パッソは立ち上がって、深々とお辞儀をし、夫人に、これからもよろしくお願いしますと、声を震わせた。そんな彼女を夫人は満足そうに眺め、やがて、手をパチパチと鳴らした。
すぐに若い男が入室してきた。夫人は男に、この鉢植えの花を、この庭一面に植えなさいと命じた。男は訝ったが、パッソが丁寧に挿し木のやり方を教えると、大きく頷きながら、承知しましたと言って部屋を後にしていった。
「これからも、どうぞよろしくね」
「もちろんでございます、奥様」
そう言って二人は笑みを交わし合った。
しかし、問題はすぐに発生した。ファンタジック公爵邸の庭に、友好の花を植えてから二週間後、その屋敷は想像を絶する悪臭に包まれていた。理由は、当然のことながら、庭に植えた花だった。
この花が発する強い香気が、風に乗って常に屋敷に入ってくるのだ。いかによい香りとはいえ、あまりにも濃い臭気と化したそれはもはや、住人にとっては不快なものでしかなかった。
「一体、何なのです、これは!」
ハンカチを顔に押し当てながら夫人は声を荒げる。彼女の目の前には、庭一面に咲き乱れる友好の花の姿があった。
まさに壮観の一言に尽きた。毎日、この屋敷に仕える下男たちが花から茎を切り取り、それを挿し木していたのだ。花はいくら茎を切っても、不思議なことに、次の日にはきちんと元通りになっていた。下男たちはそれを訝りながらも、主人の言いつけを忠実に守り、これほどの数の花を庭中に植え付けたのだった。だが、それが仇となった。想像を絶する香気がそこから発せられ、もはや臭気と言って過言ではない、強烈な香りが鼻を突いてくる。
「奥様、これだけの香りなのです。早速、香水を作ってみてはいかがでしょう?」
顔をしかめながらも、努めて冷静に振舞う執事。そんな彼を夫人は一瞥すると、数本だけの花を残して、あとはすべて刈り取るようにと命じた。
それで、臭気の問題は解決したかに見えた。だが、その数日後、屋敷は再びあの強烈な臭気に包まれた。そして、窓の外を見たファンタジック公爵夫人は思わず動きを止めた。なぜなら、刈り取ったはずの友好の花が、庭一面に咲き乱れていたからだ。
公爵夫人は、すぐさま下男に命じて、庭の友好の花をすべて刈り取るように命じた。しかし、またしても三日後、庭には元の通り、友好の花が咲き乱れていた。しかも、庭の隅に捨て置いた友好の花がそこで根付き、花を咲かせていたのだ。
「庭を……庭を焼き払いなさい! 徹底的に焼き払うのです!」
夫人の絶叫にも似た声が響き渡った。これによって、公爵夫人が精魂を込めて作り上げた自慢の庭は灰燼に帰した。赤い夕陽に照らされた焼け野原を見て、彼女は滂沱の涙を流した。
そしてさらに数日後、憂鬱な気持ちのまま窓を開けた夫人は、驚きのあまりその場に倒れ伏した。彼女の目の前には、焼き払ったはずの友好の花が、元の通り、咲き乱れていたのだった……。




