第五百六十一話 化かし合い②
屋敷に戻ると、パッソは早速、友好の花の挿し木を始めた。 この花は薔薇に似てはいるが、複数の小さな花が集まってできているもので、例えて言えば、アジサイのような形態をしている。挿し木が有効かどうかはわからないが、見た目が薔薇に似ているので、パッソは直感的に、薔薇と同じ育て方をすれば、育つのではないかという閃きがあった。
幼い頃から花好きだった彼女は、屋敷の庭で花を育てるのを趣味としていた。その中でも特にお気に入りが薔薇の花で、毎年丁寧に世話をしながら、コツコツとその数と品種を増やしてきた。パッソの夢は、この屋敷を薔薇が咲き乱れるようにすることだった。今はまだ、他の花々と一緒に、庭の一部でひっそりと咲いているだけだが、やがては、貴族の間で薔薇を育てる専門家として名を成したいという野望を心の中に秘めていた。
この庭に、四季折々の花が咲き乱れ、その中にひときわ薔薇の花々が咲いていれば、どんなに素敵なことだろう……。そうなれば、いつでも貴族の奥方たちを、大きな顔をして屋敷に招待できる。きっと、皆、その光景を気に入るはずだ。すぐに、貴族たちの噂になる。そして、皆、こぞってこの屋敷にやって来るだろう。うまくすれば、王妃様もこの屋敷にお見えになるかもしれない……。
貴族の奥方たちの中心に自分がいる光景が、パッソの脳裏に描き出される。王妃様が、感激の表情を浮かべながら、すばらしい庭ですね。大公宮殿の庭も、こんなふうにならないかしら……。そんな言葉を呟いている。微力ながらお手伝い申しましょうか、是非、お願いするわ。王妃とそんなやり取りがパッソの頭の中で展開される。そして、自分は王妃の傍近くに仕える……。そうなれば、こんな貧乏生活とはおさらばできるのだ。美しいドレスをうんと着て、美味しいものを食べたいだけ食べられる……。彼女の胸は高鳴る。
そのとき、彼女の眼に、「友好の花」が目に入った。
見れば見るほど薔薇に似ている。それに、この香気……。薔薇と同様、この花も、この庭に咲き乱れれば、どれだけ素晴らしいだろう。きっと、薔薇のあの、気高い香りとよく合うはずだ。薔薇とこの花が数多く育てば、それらの香水を作って売れば、大儲けができるはずなのだ。
「いけない、いけない」
そこまで考えて、パッソは誰に言うともなく呟く。そして、苦笑いを浮かべながら、さらに言葉を続ける。
「友好の花の香水は、ファンタジック様がお作りになるのだわ。ただ……試作品を作るのは、私の役目になりそうね。それを多めに作れば……。それに、あの奥様も、その辺はちゃんとわかってらっしゃる方……。香水が売れれば、必ず私にも、何らかの恩恵を授けてくださるわ」
彼女は、手を顔の前でパチンと合わせると、目の前にある友好の花に手を伸ばした。
花が折れないように、優しく扱いながら、丁寧に観察していく。そして彼女は、その中から手ごろな茎を一本切り取り、葉などを切り取った後、それを庭の土に植えた。割合に茎がしっかりしているために、花は天に向かって咲いている。パッソはそれを見て、安心したように声を上げる。
「まあ、何とか折れずに咲いているわね。これで生育してくれれば御の字なのだけれど……ダメで元々だわ」
彼女は傍にあった井戸から水を汲み、花に与えた。
庭に挿した「友好の花」は、それから三日経っても枯れることはなかった。それどころか、小さな花からは香気が漂ってきていたのだ。これには、さすがのパッソも、驚きを隠さなかった。
「もしかして、もう根付いたってことかしら……? だとしたら、恐ろしく生命力の強い花ね……」
彼女は、部屋で保管している友好の花から、さらに茎を数本切り取って庭に植えた。そして、それらに水をやった。
「この花たちが全部根付いてくれるのかしら。だとしたら、うれしいけれど……」
そこまで考えて、パッソはハッと顔を上げる。
「そうだわ! 忘れていたわ! 奥様からお預かりした衣装に香りを移さないと! 確か……一週間後にお納めする約束だったわね。こんなことはしてはいられないわ」
パッソは女中を呼んでこの庭の花々の世話を頼むと、慌てて屋敷の中に戻っていった。
一週間後、パッソは意気揚々とファンタジック公爵夫人の許を訪れた。馬車には、友好の花の香りを移しとった、夫人から預かった衣装が積まれていると同時に、鉢植えに植えられた友好の花が、彼女の手元にあった。
「まあ、何と素敵なことでしょう」
預けた衣装を検めながら、ファンタジック夫人は顔に満面の笑みを湛えていた。衣装にはどれも、すばらしい香気が焚き込められてあり、その香りが周囲に漂っていた。この衣装と香気を身に纏えば、間違いなく、今度の舞踏会で自分は話題になるだろう。その時の光景が、公爵夫人の頭の中にはっきりと浮かび上がっていた。
「あの……奥様……」
遠慮深い声が、夫人を妄想の世界から現実に引き戻す。見ると、パッソがゆっくりと紙包みをテーブルの上に置いているのが目に入った。彼女はゆっくりそれを剥がす。すると、中から、薔薇によく似た小さな花が一輪、鉢植えに植えられていた。
「これ……は?」
「友好の花でございます」
「まあ、これがあの……」
「左様です」
パッソは、大切なものを扱うかのように、丁寧に鉢植えを夫人に差し出す。
「薔薇を育てるときのように、挿し木をしてみましたら、根付きましたようで……」
「まあ……」
夫人は大げさに手を添えながら口を開けて、驚く仕草をする。そんな彼女をチラリと見ながら、パッソは話を続ける。
「どうぞ、奥様に差し上げます」
「よろしいの?」
「はい。まだ、どれほど育つのかはわかりかねますが……」
夫人は満足そうに頷くと、鉢植えを手に取り、それを顔の近くまで引き寄せた。
「……まだ、香気は薄いかしら?」
「はい。これらの小さな花がたくさん集まって、友好の花を形作っておりますから……」
夫人は話を聞くと、鉢植えをテーブルに戻し、それをそっとパッソに向けて押し出した。
「奥様……?」
「まだしばらくは、あなたに香りのことをお願いしなければならないわね」
「ハッ……」
「あなたのお気持ちはよくわかったわ。友好の花は、きちんと育ってからいただくことにするわ」
「左様ですか……」
「これからも、お願いね」
夫人はスッと立ち上がり、パッソの許に静かに近づいた。そして、彼女の手を両手で握り、ゆっくりと頷いた。
夫人の許を退出したパッソは、屋敷の玄関前で呼び止められた。
「リルレイン夫人」
振り返ると、そこにはファンタジック家の執事であるスーリーが立っていた。彼は恭しく一礼して近づいてきた。
「恐れ入ります。奥様からリルレイン様に折り入ってお願いがありまして、言付かってまいりました」
「左様ですか」
「奥様におかれましては、今度の舞踏会でお使いになる道具全てに、あの香りを焚き込めていただきたいとの仰せでございます」
「道具、すべて?」
「はい。誠に不躾ながら、それらのものを馬車でお持ち帰りいただきたくお願い申します。いえ、準備はできております」
パッソはいきなりの要請に戸惑いながらも、承知したと伝える。すると、彼の後ろから、大小様々な箱を携えた男たちが、パッソの馬車に向かって歩いて行った。
「あと、こちらは、奥様からでございます。お口に合いましたら、幸いでございます」
スーリーの手には小さな、まるできんちゃく袋のようなものが握られていた。それを彼はスッとパッソに手渡し、再び一礼して、その場を辞していった。
馬車に揺られて帰路につきながら、パッソは先ほどスーリーから手渡された袋を開けて見た。そこには、豆粒の大きさの金がぎっしりと入っていた。それを見た瞬間、彼女の眼が見開かれた。
パッソは、呼吸を整えるべく窓の外に視線を向けた。だが、湧き上がる興奮は、さらに彼女の呼吸を乱れさせたのだった……。




