第五百五十九話 いい報告、悪い報告
「オイ見ろ! 芽だ! 芽が出ているぞ!」
フォーアル大公国の農場で、男の大きな声が響き渡った。その声に、周囲にいた人々がドヤドヤと集まってきた。彼らの目の前には、畑一面に緑色の芽が出ていた。
「あー。予想以上の速さで芽吹いたでありますなー」
皆と同じように喜びの声を上げているのは、ゴンだった。彼は周囲に笑顔を振りまきながら、大きく頷いている。
「これは、フキワダシの芽でありますなー」
ゴンは地面に顔を寄せて、芽吹いているものを丁寧に観察した。そして、この芽がフキワダシであると断じた。集まった人々の顔が笑みに変わる。フキワダシは外見と味がジャガイモに似ていて、しかも成長が早く、その上、大量に収穫が望める作物だった。もしかすると、今年の収穫に間に合うかもしれない。人々の間に、そんな期待感が広がっていた。
「では、大公様にお知らせしてきます」
一人の男がそう言って、馬に跨った。彼はゴンたちに笑顔を見せながら、きっと、大公様もお慶びになりましょうと言って、大公宮殿に向かって馬を走らせた。その背中を、人々は笑顔で見送った。
◆ ◆ ◆
同じ頃、大公宮殿の一室では、大公・テイストが眉間に深い皺を刻んでいた。彼の目の前には、植木鉢に植えられた一輪の花が置かれていた。
「……一体、どういうつもりだ」
大公は顎髭を撫でながら、誰に言うともなく呟く。
「書簡には、これまで、我が国において、クリミアーナ教徒に対する厚いご恩情に感謝するとあります」
「……」
傍に控えている男が、書簡と大公とに交互に視線を向けながら口を開いている。その言葉を聞きながら大公は、湧き上がる怒りを抑え込んでいた。
……何を言っておるのだ。我が姪であるセルロイトを篭絡しただけでなく、天災に付け込んで、我が国を混乱に陥れようとしていた国が、よくそんなことが言える。ご恩情などと……。余はクリミアーナめらに温情をかけたことなど、一度としてない。
彼は目の前に置かれた花に視線を向ける。まるで、アジサイのような花だ。その下に、意外に太い茎が伸びている。何とも言えぬ、よい香気が、鼻をくすぐる。
「書簡には、この花は、『友好の花』と言うもので、クリミアーナ教国秘蔵の花とのことです」
「秘蔵の花……。ヤツらの言うことは、信用できぬ」
「ハッ……。この花は、すばらしい香気を持ち、また、そう簡単には枯れぬ強い生命力を持つ花なのだそうです。そうしたことから、クリミア―ナ教国との友好を、幾久しく持ち続けるという意味が込められているそうです。しかも、この花は気温によって色が変わるようで、その変化も楽しんでいただきたい。そう書簡に記されておりました」
「気温によって色が変わる……。つまりは、クリミアーナはいつでも変化するという意味ではないのか。今は誼を通じているが、時と場合によっては、いつでもその態度を変化するということではないのか」
「大公様……さすがに、そこまでは……」
「今までのクリミアーナの歴史を見れば、そうではないか」
「ハッ……」
「つまりは、この花を贈る意味は、この花の生命力のごとく、未来永劫、我が国をクリミアーナの支配下に置く……暗にそう意味しているのではないのか」
「……」
大公の鋭い視線に耐えられず、男は思わず彼から視線をそむけた。
「このような縁起の悪い花、すぐに捨てよ」
「お待ちください、大公様。この花は教皇親書と共に贈られております。教皇親書……つまりは、ヴィエイユ教皇聖下自らが我が国に贈られた品物……。無下に扱いますと、クリミアーナが我が国に難癖をつける口実を与えかねぬかと存じますが……」
男の言葉に、大公はさらに眉間の皺を深くする。
「ならば、どこか適当なところにでも、仕舞っておくがいい。二度と余の前に、このようなものを持って来るな」
大公の言葉に、男は無言で頭を下げる。そんな彼に、大公はさらに言葉を続けた。
「あと、今後は、めと言え」
「は?」
「め、と申すのじゃ」
「め……でございますか?」
「今後、余の前では、ヴィエイユ教皇聖下、などと言うでない。ヴィエイユめ、と呼ぶのじゃ。あの者は、国を惑わす疫病神じゃ。そのような者に、聖下などと敬称を付ける価値などない。わかったか」
「ハッ、ハハッ」
不機嫌さを隠そうともしない大公。そんな彼にこれ以上居ることは、さらに小言を食らうことになる。それを十分に知っている彼は、鉢植えに植えられた花を恭しく持つと、足早に部屋を後にしていった。そんな彼の後姿を見ながら大公は、苦々し気に舌打ちをするのだった。
「失礼いたします」
男と入れ替わるようにして、また別の家来が入室してきた。大公は険しい表情を崩そうともせずに、入ってきた男を睨みつける。そのあまりの様子に、男は少し後ずさりした。
「何だ!」
「あの……報告がございます」
「いい報告か、悪い報告か」
「よい報告です」
「後にせい」
「は?」
「悪い報告であれば、すぐに対応せねばならぬこともあろう。しかし、良い報告であれば、後で聞いても差支えはなかろう」
「し、承知しました」
男は踵を返して立ち去ろうとする。そんな彼の背中越しに、大公の声が飛んだ。
「いや、待て!」
「ハッ」
「気が変わった。報告せい」
「はっ……ハハッ」
男は改めて畏まると、姿勢を正して、大公に向き合った。
「報告いたします。先日、アガルタより届きました種が、本日芽吹きました」
「なに、まことか!?」
眼を見開きながら大公は立ち上がる。その予想を超えた行動に、目の前にいる男は顔を強張らせる。
「ハッ……私がこの目で見てまいりました。間違いございません」
「……そうか。種を撒いて僅か三週間で芽吹いたか。さすがはアガルタの作りし種じゃな。して、芽吹いたのは、何の種じゃ?」
「ハッ。ゴン殿の言われますには、フキワダシであろうと」
「フキワダシか」
大公は満足そうに頷くと、再びゆっくりと椅子に腰を下ろした。彼は目を閉じて、少し笑みを浮かべながら何度も頷いた。
「フキワダシならば、秋の収穫に間に合うな。何とかなるやもしれぬな……。ウム、ご苦労であった。下がってよい」
大公は機嫌のよさそうな声に変わっていた。それを確認した男は、ホッと胸をなでおろしながら、恭しく一礼した。
◆ ◆ ◆
「……まあ、何ですの、これは?」
頓狂な声を上げているのは、フォーアル大公国の侍従長、リルレインの妻であるパッソだった。万事が派手好きな彼女は、主人が持ち帰った不思議な花に目を止めた。リルレインは小さなため息をつきながら、手に持っていた鉢植えをテーブルの上に置いた。
「クリミア―ナ教国からの進物だ。粗略に扱わぬように」
「クリミアーナ? なにゆえ、あの国から進物が?」
「おそらく、セルロイト様の一件についての詫びだろう。教皇親書にはそのようなことは一切書かれていなかったがな」
「まあ……」
パッソは大仰に驚いて見せる。セルロイトのことは表向きは一切の秘密とされているが、噂好きの貴族の間では、最早、公然の秘密となっていたのだった。
「確かに……。セルロイト様は、クリミアーナの殿方にかなりの仕打ちをされていたとか……。確か、お小水を……」
「これ、滅多なことを口にするでない」
夫のリルレインに窘められて、彼女は思わず口に手を当てる。彼は相変わらず不機嫌さを醸し出している。そんな雰囲気を変えようと、彼女はテーブルに置かれた花に視線を向ける。
「それにしても、美しい花ではございませんか」
「何でも、『友好の花』といって、クリミアーナ秘蔵の花だそうだ」
「まあ……。それはそれは。それに、とてもいい香りがしますわね」
「教皇からの贈り物だ。我が家で預かることになった。くれぐれも丁重に扱うのだ」
「わかっておりますわ。それにしても、いい香りだこと……」
パッソは花に顔を近づけて、鼻をぴくぴくと動かしながら、香りを楽しんだ。そのとき、彼女の頭の中に、一つのアイデアが閃いた。
……これはきっと、大きな話題になるわね。
パッソには一つの確信があった。彼女の顔には、無意識に笑顔が浮かんでいた……。




