第五百四十四話 露骨な挑発
ルワザン島のレイス火山で起こった大爆発は、ここ、フォーアル大公国においても、甚大な被害をもたらしていた。
フォーアル大公国は、ルワザン島の西、およそ150㎞に位置する島国だった。国土はおよそ、6000㎢であり、日本でいえばちょうど、山口県と同じ面積であると言えた。四方を海に囲まれていると同時に、島の中央にはキャラット山がそびえていて、そのためか、国土の大半は山林で平野部が小さく、人々は首都であるブーゲに肩を寄せ合うようにして生活していた。
一見すると、貧しい小国に見えるこの国は、山から湧き出る豊富な地下水を利用して棚田を作り、味の良い作物を生産することができた。加えて、四方を囲む海からの海産物や山林から獲れる山の幸のお蔭で、自給自足の生活が十分に維持できていた。
気候も温暖そのもので、風水害などに晒されることもほとんどなく、国家としては比較的安定した運営がなされていた。
しかし、レイス火山の大噴火は、この国の様相を一変させた。降りしきる火山灰は、棚田の作物をすべて枯れさせ、飲み水として利用していた湧き水も、数日間飲むことができない有様だった。
大公国を治めるテイスト大公は、すぐさま対策を講じた。宮殿内に備蓄していた食料と水をすべて、民衆に分け与えたのだ。元々、国の規模自体が小さかったのと、機能的に作られた都市機能も相まって、大公の支援は即座に国中の民衆に対して行きわたったのだった。
一旦、危機は脱したものの、この国の将来には深い闇が影を落としていた。すでに、収穫する予定の作物はすべて壊滅的なダメージを受けていたため、今年の農作物の不作は確定的であり、しかもそれは数年に及ぶという試算まで出ていた。大公国がこれまで守り通してきた、自国民による自給自足の生活が崩れるのは、時間の問題だった。
そんな中、水平線の彼方に、一艘の巨大な船が姿を現した。
初めて見る巨大な船。しかも、何の前触れもなくフォーアル大公国に向かってきている。報告を聞いたテイスト大公はすぐさま兵士たちを非常招集し、海岸線に防衛線を築くように命じた。
そんな彼らをあざ笑うかのように、巨船はフォーアル王国の海岸線を掠めるようにして進路を東にとった。
「見ろ! あれは……クリミアーナの紋章だ!」
兵士の一人が大声を上げて叫ぶ。船の帆には、確かに、クリミアーナ教国の紋章が刻まれていた。兵士たちの動揺をよそに、船は東へと進路を取った。
「何っ! クリミアーナ教国であると!?」
報告を聞くや否や、テイスト大公は怒りをあらわにしながら玉座から立ち上がった。この十年間の間、何度も町々に現れては、己の信ずる神を布教し続けてきた者たちだ。幸い、この国の人々は、他国の人々との交流に対しては消極的だった。そのせいもあって、クリミアーナ教国に傾く者は少なく、彼らは国の東の端に小さな村を作り、そこで身を寄せ合うようにして生活していたのだった。
クリミアーナ教国の船は、その同胞たちが住む町に船首を向けていた。教国が彼らの支援に乗り出したのは、明らかだった。そして、次から次へと入ってくる情報は、大公をさらに激怒させた。何と、船からは夥しい量の食料品が運び込まれているというのだ。
「一体どういうつもりだ! 我らと戦いでも始めるつもりか!」
「いえ、決してそのような意図はないと思われます」
家来の一人が大公の前に進み出て、恭しく述べる。彼は男を鋭い眼差しで睨みつけている。
「今回は、単に同胞を救助するための船でございましょう。ヤツらは、鼻つまみ者として国中から嫌われております。おそらく、本国に連絡を取り、救援物資を求めたのでありましょう」
「余は、この国に住む者に余すことなく、平等に、物資を配れと命じた。その命令を守らぬ者が、いたというのか?」
「いいえ。決してそうではございません。我らは確かに、大公様のご命令通り、クリミアーナの者たち全員に物資を届けております」
「では、この度の仕儀は、いかなるものなのじゃ」
「それは……。彼らも不安なのでありましょう。今回は、大公様からお情けをいただきましたが、今後はどうなるのかわかりません……。それならば、先に本国に連絡して、支援を受けておこうと考えたのではないかと、愚考いたします」
「……」
「ともあれ、今回のクリミアーナの船は、単に食糧物資の輸送でございます。我らと事を構えるつもりは、ないかと存じます」
大公の心には、一抹の不安があった。クリミアーナの者たちは、二十人にも満たないはずだ。そんな、僅か二十名足らずの同胞のために、わざわざ巨大な船を仕立てて、このフォーアル大公国まで遠征するだろうか。
「馬を曳け」
大公は取るものも取り敢えず愛馬に跨り、クリミアーナの者たちが住む村を目指した。そこでは、百人近い屈強な男たちが、船から次から次へと荷物を村に運び込んでいた。
……あれほどの積み荷、この村の者たちに与えるのには、多すぎないか?
中身を窺い知ることはできないが、おそらくあれは小麦か何かだろう。目の前ではすでに、数十を超えるそれが運び込まれている。たかが二十人に満たないこの村であれば、あれだけの量を食べつくすのに、一年はかかるだろう。そこまで考えたとき、大公の頭に閃くものがあった。
……もしや、わが国が食糧不足に陥ったとき、あの食糧を供出しようとしているのか。そうなれば、奴らの国民からの心証はよくなる。布教しやすくなる。
大公の背中に冷たい汗が流れた。彼を追ってきた家来たちの声など、全く耳に入らない。彼の頭の中には、クリミアーナ教の旗を持った国民が宮殿を包囲する光景が浮かび上がっていた。それだけは何としても、避けなければならない……。
「大公様!」
突然の大声で我に返る。気が付けば、周囲には百を超える兵士たちが、彼の傍に控えていた。
「ご覧ください大公様。クリミアーナの者たちに、戦支度をしている者は一人もおりません。これで、我が国を攻めるということは……」
「いや、奴らは我らに戦いを挑むつもりだ。奴らを今すぐ追い返すのだ」
「なっ、何と仰せられます公王様! そんなことをすれば、クリミアーナは黙っておりません。必ずや大軍を仕立てて、我が国に攻め寄せてまいります。そうなれば、我が国は滅びるしかございません」
「……」
「ご懸念には及ばぬかと存じます、公王様。クリミアーナが我が国で何か事を起こそうとしている、確たる証拠があるわけではございません。まずは、様子を見てはいかがでしょうか」
「……」
テイスト大公は、胸に湧き上がる不安をぬぐい切れぬまま、家来たちに促される形で、馬首を宮殿に向けた。
しかし、それから数日後、首都において事件は起こった。
深夜、数名の者が首都の町中を小走りに進んでいた。彼らは、ある住居まで来ると、懐から拳大の袋を取り出し、それを無造作に家の中に投げ入れた。そして、すぐにその場を後にする。そんなことを、彼らは何回となく繰り返したのだった。
夜が明けると、首都の中は騒然となった。いくつかの家々に限って、何と、金が入った袋が投げ込まれていたのだ。これを手にした者の中には、あまりのことに、腰を抜かすものまで現れた。
袋の中には、親指ほどの大きさの金が五十個ほども詰め込まれていた。これだけの金があれば、この都市では約、一年間は優に暮らすことができる。腰を抜かす者が出ても、不思議はなかった。
調べてみると、金が投げ込まれて家々には、一つの共通点があった。クリミアーナ教の者たちに比較的好意的に接していた者たちだったのだ。その報告を聞いたテイスト大公は思わず天を仰いだ。
……これは、クリミアーナ教国からの挑発だ。おのれ、余に対してよくも露骨な挑発を。
そう思ってはみたものの、大公にはそれに抗する手段が見つからなかった。彼の頭の中には、数日前に思い描いた最悪の場面が、再びかすめていたのだった……。




