第五百四十三話 ツヤのある歌
「白い雲~♪ 高き山の峰~♪ 春の命が澄み渡る風に乗って運んでくる~♪」
リノスの屋敷の庭先で、機嫌よく歌を歌っているのは、娘のアリリアだ。彼女は庭に咲いている花を摘み、それを器用に編んで王冠を作っている。
「フェアリ~。フェアリ~」
「きゅ?」
名前を呼ばれたフェアリが、お花畑の中からひょっこりと顔を出す。彼女がこの屋敷に来てから丹精込めて育てた花は、毎年見事な花を咲かせるようになっていた。今ではその範囲は広がり、庭の一角は見事なお花畑に生まれ変わっていた。この場所は、フェアリだけでなく、リノス家の家族もお気に入りの場所であり、天気の良い日などは、わざわざお弁当を拵えて、この花を見ながら食事を摂ることもよくあった。
パタパタと羽をはばたかせながら、フェアリはアリリアの許に飛んでいく。アリリアは、今作ったばかりの花で作った王冠を、フェアリの頭の上にスッと載せた。
「これ、あげるね~」
「きゅー」
嬉しそうに、アリリアの傍を飛び回るフェアリ。そんな彼女を嬉しそうに眺めながら、アリリアは再び花を摘みだす。今度は、マミーに編んであげるのだ。
「青い青い空の下~♪ 降り注ぐ太陽の光浴びて~♪ 大地に命が芽吹いていく~♪」
屈託のない歌声に、フェアリは羽を休めて聞き入る。何とも、心が洗われるような歌声だ。彼女はアリリアが歌う歌が大好きだった。
そんなフェアリと同様に、アリリアの歌に聞きほれている者がもう一人いた。龍王だ。彼は、アリリアから少し離れた場所に立ち尽くしながら、その歌声に耳を傾けている。しばらくすると、彼の前に、忌々しい男が突然現れた。言うまでもなく、リノスだ。彼は龍王にさも、困ったと言った表情を浮かべながら、口を開く。
「またお前か……。気配を感じたのでもしやと思ったが、案の定だ」
「また、とは何だ!」
「いい加減に、ウチの娘をストーキングするのは、止めてもらえないかな」
「すとーきんぐ? 何だそれは?」
「付きまとうなということだ」
「付きまとう? 何を言っているのだ! アリリアは我に傍を離れるな、そう言っているではないか!」
「ああん?」
リノスは機嫌よく歌っているアリリアに視線を向ける。どう聞いて見ても、単に子供がお遊戯のような歌を歌っているだけにしか聞こえない。
「あのな、龍王。お前、もう少し上手にウソをつけよ。言うに事欠いて、アリリアがお前に離れるな、何て言うわけがないだろう」
「何を言うか! 貴様は耳が悪いのではないか! よく聞いてみよ。確かに、『龍王よ、決して私の傍から離れてはならぬ』と言っているではないか!」
「……いいや、全く」
「あの、サイリュースを呼べ」
「何?」
「あのサイリュースならば、聞き取ることができるはずだ。貴様では話にならん!」
そう言って龍王はスタスタと屋敷に向かって歩き出したが、すぐにその歩みを止め、リノスの方に振り返った。
「その前に、結界を解除するのだ」
「何?」
「わかっている。貴様がこの屋敷の周囲に我にだけ反応する結界を秘かに張っていることを。それを今すぐ解除するのだ」
「いいや、お前に反応する結界など、張ってはいないが?」
「で、あれば、これは何だ!」
龍王の右腕が銀色に光ったかと思うと、彼はまるで正拳突きのようなポーズで、拳を繰り出した。
「……何をやっているんだ?」
「……器用だな」
「……お言葉の意味が、わかりかねますが?」
「我がクラリオルソ・サエル・リンダパウラオルを放つ瞬間に、結界を解除しおったな?」
「いや、だから、元々結界など張っていないのだが? それに何て? クラリ?」
「クラリオルソ・サエル・リンダパウラオルだ」
「もう少し、わかりやすい名前にならんのか、それ?」
「何を言っているのだ! 名前を変えてしまえば、クラリオルソ・サエル・リンダパウラオルにならぬではないか!」
リノスは、思わず天を仰いだ。
龍王は案内も請わずに、ずんずんと屋敷に向かって進んでいく。その姿を見つけたアリリアが、大きな声を上げた。
「あっ! りゅーおーくん!」
パタパタと龍王の許に近づくアリリア。その様子を龍王は満足そうな表情を浮かべながら頷いている。
「えっ? マミーを呼ぶの? いいよ! じゃあ、座って待っていてね!」
アリリアが全速力で離れに向かって走っていく。龍王はまるで、自分の家かのように、何のためらいもなく勝手口を開けて屋敷に入っていった。
「……ちょっと、教育的指導が、必要かな?」
そんなことを呟きながら、リノスはポキポキと指を鳴らしながら、屋敷に向かって歩き出した。
「まあ、龍王様! お久しぶりでございます」
リノスが勝手口から屋敷に入ると、ソレイユが息子のセイサムを抱っこしながら、恭しく一礼していた。その後ろから、リコがマトカルの生んだ息子のファルコを抱きながらダイニングに入ってきた。リコはリノスの眼を見ると、ゆっくりと頷いた。ここは自分が収めるので、安心してください……。彼女の眼はそう言っているように見えた。
そうは言っても、リノスとしては、アリリアのことが心配でならない。彼はダイニングに入ると、堂々と椅子に腰かけている龍王の隣に座った。それを見て、リコとソレイユは顔を見合わせていたが、やがて、リノスたちとは向かいの席に二人は座った。アリリアは、リコとソレイユの間に、ちょこんと腰を下ろしている。
「突然の龍王様のお越し……どうなされました?」
「アリリアが我に『傍を離れるな』と言っているのだが、この男にはそれが聞こえぬらしい。そこで、そなたに、我の話が真実であると、この男に言い聞かせてやってほしいのだ」
「まあ……」
ソレイユは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべたが、やがて、アリリアに向き直って、どんな歌を歌ったのかと声をかけた。アリリアは、足をパタパタさせながら、先ほど歌っていた歌を歌いだした。
……やはり、リノスの耳には、単なる少女の歌にしか聞こえない。だが、ソレイユは目を閉じて、厳しい表情を浮かべながら、アリリアの歌に耳を傾けている。
「……確かに、『最強のドラゴンよ、我が傍に居て、我を守れ』と聞こえます」
「マジで?」
驚くリノスの隣で、龍王は腕を組みながら満足そうに頷いている。
「俺には、単に子供の歌にしか聞こえないが……リコはどうだ?」
「私も、リノスと同じですわ」
「だよな」
「アリリアには、独特の音域を出すことができますから……」
ソレイユが困ったような表情で口を開く。アリリアは一体何のことだかわからないといった表情を浮かべている。
「貴様らにはわからぬだろう。アリリアの歌は、選ばれし者しか、聞き取ることができぬ。これこそが、心に響く歌なのだ。我に助けを求める心情が、切々と伝わってくるではないか」
龍王は目を閉じたまま、うんうんと頷いている。
「切々とした心情みたいなものは、子供では歌えないだろう」
「負け惜しみか? 確かに、貴様では、これほど心を揺さぶる歌は歌えまいて」
「そんなことはないだろう。演歌なんかいいものだぞ。例えば……」
リノスは、コホンと咳払いをすると、右手の握りこぶしを口元にもっていき、左手の握りこぶしをゆっくりと廻しながら歌い始めた。
「お~だやかっさと~き~びしさンがっ♪ あンのひとンに♪ くっついているぅ~♪」
リノスの歌声を聞いた全員が、驚きの表情に変わった。だが、彼はそれに気づくことなく、さらに歌を続ける。
「海ィわぁ~伊勢ぇのぉ~♪ 海は伊勢ぇのお~鳥羽の海ィ~♪」
「やめい!」
突然、リノスに龍王の殺気が向けられた。それと同時に、リノスは龍王に強力な結界を張った。
パアン!
まるで風船が破裂するかのような音が聞こえた。その瞬間、リノスの張った結界が砕けた。そして、それが合図であったかのように、リコとソレイユに抱かれていた子供たちが大声を上げて泣き出した。二人は慌てて立ち上がりながら、子供をあやしている。
「リノス! 何ですの、今の歌は!」
「何って……リコ……。演歌じゃないか。『鳥羽ノ海』って……知らない?」
「リノス様、その歌はちょっと……」
ソレイユが首をすくめながら、まるで懇願するかのように口を開いている。一方のアリリアは、腹を抱えて笑い転げている。
「キャハハハハハ! おとうさん、今のなに? おもしろーい」
三者三様の反応を見て戸惑うリノス。そんな彼に、龍王は肩で息をしながら、怒気を込めた声で話しかける。
「貴様、あのような歌、二度と歌うでないぞ! 特にアリリアの前で歌うでない!」
「なっ、失礼な! なんで演歌を子供たちの前で歌ってはいけないんだ!」
「まるで死へ誘うようではないか! そのような歌、二度と歌うでない!」
「何だと!?」
「まるで今宵、誰かが亡くなると感じさせる歌だ!」
「今宵誰かが亡くなる歌? ……なるほど、龍王。お前、意外とよくわかっているじゃないか」
「わかっている? 何をだ!」
「要は、ツヤ(艶・通夜)があるってことだろう?」




