第五百四十五話 小心な公爵
次の日から、首都のとある一角で、クリミアーナ教徒による市が開かれた。
市と言っても大規模なものではなく、いわゆる露店であり、見栄えはあまりよいものではなかったが、米や小麦といったものをはじめ、日持ちのする乾物などが多く売られていた。それらは破格の値段で売られており、それを見た周辺の店は、動揺を隠さなかった。
首都に住む者は、当初はクリミアーナの店を警戒して、近づく者は僅かだった。だが、そこで売られている品物が相応にいい品質のものであることがわかると、少しずつ人々が訪れるようになり、ひと月後には、この店は大繁盛するようになっていた。
こうなると、周辺の店には客足が絶える。そのために、赤字を覚悟で価格を落とすか、さもなければ、閉店するのかの選択を店側は迫られることになっていた。
店側も手をこまねいていたわけではない。彼らは、商業組合を結成していて、その組織は、大公国の貴族たちと深いつながりを持っていた。彼らは力のある貴族たちに窮状を訴え、クリミアーナの店を排除するように求めた。
貴族たちはクリミアーナに対し、様々な妨害工作を試みたが、その悉くが失敗に終わった。最終手段として力づくでの妨害も試みたが、それもあっさりと排除された。彼らは、移動する際に剣などで襲われたが、素手にもかかわらず、暴漢たちを完膚なきまでに叩きのめして見せたのだ。
そうした動きは逐一、大公であるテイストに報告されていた。徐々に首都の人々から信頼を集めていくクリミアーナ。さらには、クリミアーナから金を与えられた者は、積極的に周辺の店で品物を買い、もはや、店側は彼らなくしては店舗を維持できない状況になっていた。言わば、この国はある意味で、クリミアーナ教国に食料という首根っこを押さえられた状態になっていた。
大公・テイストはいよいよ危機感を強めた。これを盾に、クリミアーナ教国から無理難題を突き付けられれば、この国はあの教国に従わざるを得なくなるのだ。
……何とかして、あの者たちを排除せねばならない。
テイストは心の中でそう考えてはいたが、いざ、それを行動に移すとなると、二の足を踏んだ。すでに、クリミアーナの連中は首都の人々から人気を得ている。この者たちを排除すれば、一気に市民の信頼を失うことになる。そうなれば、この国は内乱になる。まさに、クリミアーナの注文通りの展開となるだろう。おそらく、この国の動乱に乗じて、クリミアーナは兵を繰り出し、その国を占領して属国とするのだ。それは、その昔、世界各国で見られたクリミアーナの常套手段だった。
教国からの干渉を避けるためには、どうするべきか。テイスト大公は、公国の主だった者たちを集めて、対策会議を開いた。
会議は意外にも、クリミアーナを秘密裏に排除しようという意見が大勢を占めていた。中でも、ファンスト侯爵は、それを強硬に主張していた。
「策はございます。誰にも悟られずに、クリミアーナの者たちを葬ればよいのです。なぁに、民衆には、クリミアーナ本国で緊急のことが起こったために、一旦、全員が帰国したと言えばいいのです。私にお任せください。夜陰に紛れて、すぐにカタをつけて御覧に入れます。停泊している船につきましても、私の手の者に、船を操ることができる者もおります。クリミアーナの者たちの死骸を船に運び込み、そのまま沖まで出て、そこで船を沈めてしまえば、何の証拠も残りません」
ファンスト侯爵は、公国軍を統括する役割を担っている家だった。その侯爵が自信満々に胸を張っている。そのため、集まった者たちは、侯爵の意見に賛同する者が多かった。大公は他にも意見のある者はいないかと促してみたが、誰も答える者はいない。
「……あの」
弱々しく口を開いたのは、大公の弟であるハーツ公爵だった。常に兄に隠れて、周囲に流されるままに生きてきた男が自らの意志で口を開いたのだ。あまりのことに、その場にいた全員が彼に視線を向けた。
「こっ、こっ、これは、ゆっ由々しき事態かと思われます」
ハーツ公爵はそこで一息つくと、ゴクリと唾を飲み込み、さらに言葉を続ける。
「侯爵は、クリミアーナを秘密裏に排除すると言うが……。それは、何度も失敗している。うっうっうっ上手くいくとは……思えぬ。もし、もし、もし失敗したら、わっ、我が公国は、めっ滅亡する……」
「仰ることはよくわかりますが、では、公爵様はどうせよと言われるのですか」
ハーツ公爵の意見にじれたハーツ侯爵が、苦々しく口を開く。そんな彼とは一切目を合わせず、ハーツ公爵はさらに言葉を続ける。
「たっ、他国から、しっ支援を募るのです……」
「お待ちください公爵様。我が公国は、この百年間、どの国からも支援を受けてはおりません。すべて、自国で必要であるものは自国で賄ってまいりました。他国に一切迷惑をかけてこなかった……。これが、我が公国の誇りではありませんか!」
貴族一人が立ち上がって主張する。その意見に集まった大半の貴族が頷いている。だが、公爵は一切怯まなかった。
「でっ、では、民を食わせるだけの余裕が、こっ、この公国にはあるのか」
その言葉に、誰もが皆、沈黙する。
「ようわかった」
大公が重々しい口調で口を開く。彼は俯きながらオドオドしているハーツ公爵に視線を向けた。
「他国からの支援と言ったな? 具体的には、どこに支援を頼むのだ?」
「あっ、アガルタでございます」
「アガルタ……」
「せっ、世界中で、くっ、クリミアーナの干渉を、しっ退けられるのは……」
「もうよい」
大公はハーツ公爵の意見を遮り、目を閉じて沈黙した。
大公には弟が言わんとしていることが、よくわかった。アガルタは世界でも有数の食糧生産大国だ。しかも、火山の噴火で被害を受けている国々に、痩せた土地でも実をつける種を無償で提供している。しかも、アガルタ王リノスは、世界最強の軍を持ちながら、その性格は極めて温厚だと言われている。その上、クリミアーナの干渉を退けるという実績も持っている。今のこの国が結ぶとすれば、打ってつけの相手だ。
大公は目を開けると、再びハーツ公爵に視線を向けた。
「して、支援を願うと言っても、タダでとはいくまい。我らからは何をアガルタに差し出すのだ」
「……」
「どうした、ハーツ?」
「……むっ、娘のセルロイトを、アガルタに、人質に、やっ、やります」
ハーツ公爵の言葉に、大公は言葉を失った。そして、いつもは寡黙な弟が、なぜ、このときになって積極的に発言をしているかの理由が、理解できたのだった。
……娘を、セルロイトを守りたいのか。
弟のハーツ公爵は、家族を大切にする男だった。とりわけ、一人娘のセルロイトには惜しみない愛情を注いでいた。大公にとって姪にあたるセルロイトは、父に似て寡黙で、あまり表に出ようとはせず、どちらかと言えば内向的な性格だった。とはいえ、両親からきめ細かく育てられたことによる行儀のよさや、体から溢れる知性は、この娘がひとかどの人物であることを十分に表していた。
そのセルロイトには最近、男性の影がちらついていた。相手は、クリミアーナの枢機卿であるマタカという男だった。涼やかな目元を湛えた、一見して人のよさそうに見える男……。それが、セルロイトと夜な夜な公爵の屋敷で逢瀬を重ねているというのだ。
このことは、ハーツ公爵の妻から、内々に大公に報告されていたことだった。その一方で公爵は、屋敷で、マタカとセルロイトの驚愕の会話を偶然耳にしていた。
「セルロイト、私の命令は絶対だ。服従を誓えるか」
「誓います」
「お前は私の奴隷となるのだ」
「よろこんでなります」
あの、温厚で優しかった娘が、まさかそんなことになっているとは……。公爵は、その言葉を聞いたときに、愕然とすると同時に、心の中に小さな炎がメラメラと燃え上がったのだった。
……何としても、娘を救わねばならない。
その強い思いは、大人しかった公爵を動かした。この気弱な男の、小さな動きが、のちのこの公国を救うことになるのだが、そんなことは、この小心な公爵には知る由もなかった……。




