第五百三十五話 重篤
「……準備ができました」
伝令がきびきびとした動きで俺の許に控え、頭を下げた。正直、あまり気乗りがしない。ただただ、イヤな予感がする。別に、命の危険性を感じるような予感はしないが、何というか……。何も悪いことをしていないにもかかわらず、体育教師に職員室に呼び出されたような、そんな感覚を覚えるのだ。
ラッカーはすぐ近くに連行されてきていた。気配探知と魔力探知を使うまでもない。ヤツが来たことはすぐにわかった。何というか……。獣のような気配を感じるのだ。それは兵士たちも同じなのだろう。ラッカーが近くにやってきたとき、俺の傍に控えていた兵士たちが、キョロキョロと周囲を伺ったほどだ。
俺はため息をつきながら、重い腰を上げる。その後ろではマトカルが付き従っている。正直、マトを抱きしめたい。きっと癒されることは間違いない。一旦心を落ち着けてヤツと対峙したいが、さすがに彼女は首を縦には振らないだろう。
最悪、ヤツに気配を消す効果を付与した結界を張るか……。そんなことを思いながら、俺は歩を進めた。
白い幕に囲われたところに、ラッカーは控えていた。国王ということで、縄などは打たれておらず、粗末だが椅子に腰かけていた。ただ、ヤツの周囲には兵士たちが控えていて、命令があればすぐに攻撃に移ることができるようになっていた。
俺と目が合うと、ラッカーの表情が一瞬にして変わった。
……正直、無知そのものに見えた。知性というのがかけらも感じられない、鈍重な顔をしていた。
いや、待て。コイツは一応国王なのだ。バカ殿も確かにいるが、この男はそれなりの功績を立てている、それなりの男だと聞いている。あまり勝手な判断をしない方がいい……。そう、自分に言い聞かせる。
予め準備されていた席に腰を掛ける。俺の着席を見届けて、すぐ横に控えていたマトカルとクノゲンが着席する。ルファナちゃんは、この引見の警備担当になっているために姿はない。彼女は、幕の裏、ちょうど、ラッカーの背後にいて、こちらの様子を窺っている。
「サブクリナー王国国王、サブクリナー・エパス・ラッカー三世殿で、お間違いないかな?」
クノゲンが静かな声で問いかける。ラッカーは俺を睨みつけたまま、ゆっくりと頷く。
「ヒヤマの砦は、我が国の領土である。それを、何の通告もなく攻撃された理由を承りましょうか」
クノゲンの問いかけに、ラッカーは体を震わせた。
「戦いを始めるのに、理由など、ない」
「ほう」
「欲しいから奪い取る。それだけである」
「あなた様は、サブクリナー王国国王であると同時に、新・クリミアーナ教国軍の軍務担当の地位に就いておいでです。この度の軍事行動は、クリミアーナ教国の意向を受けてのものでしょうか」
「下らぬことを聞くな」
「……」
「我の行動が、クリミアーナ教国……、ヴィエイユ様の意向を受けていないことは、その方たちが一番よく知っているだろう」
クノゲンはゆっくりと俺に視線を向けてきた。これ以上、聞くことはないといった表情だ。
「アガルタ国王、バーサーム・ダーケ・リノスです。この度の戦いは、実に不幸な戦いだったと思います。俺たちの兵士の被害はゼロだったが、貴国の兵士たちの中には、少なからず命を落とした方もいる。その方々に、深く哀悼の意を表します」
「敵であるにもかかわらず、死んだ我が国の兵士たちに哀悼の意を示していただけるとは……。感謝する」
ラッカーはそう言ってゆっくりと頭を下げる。その瞬間、彼の体がピクリと動いた。
「……」
「ラッカー様、どうなさいました?」
一切動かなくなったラッカーに、クノゲンが声をかける。だが彼は、無言のままだ。
「ラッカー様……」
「今、ヤツは動くことができない。結界を張ったからな」
「リノス様……」
「隙あらば俺に掴みかかろうとしている。少し面倒なので、自由を奪わせてもらった。安心するといい。首から上は動かせるようになっている」
俺の言葉を受けて、ラッカーはゆっくりと顔を上げる。その瞳は赤く濁っていた。
「イヤな男だな、貴様は」
「……」
「死んだ兵たちに哀悼の意を表するだと? そう言いながら貴様は、我のことを笑っているのだろう。己の欲望で軍勢を動かし、挙句、兵の命を失わせた。そんな我を貴様は手玉に取り、一兵も失うことなくこの戦いを収束せしめた。さぞ、爽快であろうな」
「そうでもないな」
「殺せ」
「何?」
「殺せと言っておるのだ」
「あのなぁ……」
「もはや我に生きる望みなどない。貴様の命を奪うことはできぬ。どうあがいても、我の苦しみが消えることはない。ならばいっそ、貴様の手で我を葬ってもらいたい」
「勝手なことを言うな。お前とヴィエイユの話に巻き込まれたこっちは、いい迷惑をしているんだ。言っておくが、俺の命を奪ったところで、ヴィエイユの心は動かないと思うぞ?」
「ふっ、それは、ヴィエイユ様の心を貴様が完全に奪っているからか」
「いや、そうじゃない。俺はヴィエイユには興味がない。いや、むしろ、お前とヴィエイユが上手くいって欲しいと思っているくらいだ。だがな……ヴィエイユはお前のことは、あんまり……なんだよな。どうにかならないものかね、全く。俺も、お前のことはよく知らないから、推しようがないんだ。因みに聞くが、もし、ヴィエイユと付き合えたとして、お前はヴィエイユに何をしてやるつもりだ?」
ラッカーは俺をじっと見据えたまま、沈黙している。息遣いが荒くなってきている。
「わっ、我は……」
「え? 何?」
「抱きしめたい」
「へ?」
「抱きしめて……あの、小さな、柔らかい……フワフワしたあの体を思いっきり抱きしめたい。力の限り抱きしめたい。抱きしめ続けたい」
「あの、ちょ、おま……そういうことじゃなくて……」
「放しはせぬ。死ぬまで放しはせぬ。あの美しい顔を……唇を……何時間もかけて吸い続けたい……。あの美しい肌をすべて我のものにしたい。形の整った見事な乳房を……一点の曇りもないあの肌を、尻を、足を、腕を、体の全てを、隅々まで我が舌で清めるのだ。誰のものにもならぬように……。すべてを我がものとするのだ。そして、死ぬまで、いや、死んで主神様の許に参っても、生まれ変わってもヴィエイユ様のお傍に仕えるのだ。我が、未来永劫、我がヴィエイユ様をお守りするのだ……。我がヴィエイユ様を幸せにするのだ」
ラッカーの話を聞いていると、あまりの執着心に、気分が悪くなってくる。こんな感情を腹の中に持っていたのか……。あのヴィエイユのことだ。ヤツがそんな思いを抱いているのを、薄々と感じていたのだろう。この男も、ヴィエイユの前ではその欲望を押さえていたのだろうが、完璧にコントロールができていなかったのだろう。きっと、それとなく漂う雰囲気が、ヴィエイユに伝わってしまっていたために、彼女はこの男を毛嫌いしていたのだ。女性は、そういう雰囲気は敏感に察するものだ。
ふと、隣に控えているマトカルに視線を向ける。彼女は冷静そのもので、淡々とした表情のまま、ラッカーを眺めている。
「ううう……教皇聖下……。ヴィエイユ様……ヴィエイユ様……」
気が付くと、ラッカーは人目もはばからずに滂沱の涙を流し始めていた。相撲取りのような大男が、子供のように泣いている……。何とも不細工だが、ここまで人を好きになることができるその純粋さは、貴重にも感じる。
「こりゃ大変だな。この病気は、なかなか治せないな」
「病気? この王は、病気に罹っているのか?」
俺の言葉に、マトカルが反応した。かなり予想外だったと見えて、驚いた表情を浮かべている。
「そうだ。病気だ。それもかなり重篤だ」
「病名は?」
「決まっているだろう。恋煩いさ」
マトカルは、ゆっくりと俺から視線を外した……。




