第五百三十四話 単騎にて
サブクリナー王国軍の撤退準備は迅速だった。兵士たちは瞬く間に自身の荷物を準備し、統率の取れた動きで、砦のすぐ裏手の港に停泊している船に乗り込んでいった。
ラッカーは兵士たちの様子をじっと見守っていた。その表情に乱れはなく、まるで、訓練を見守っているかのような佇まいだった。そんな彼を、司令官たちは、ただ黙って見守っていた。
「国王様、どうぞお船へ」
総司令官のサネナが乗船を促す。だが、ラッカーはサネナの顔を、無言のままじっと見つめる。
「……国王様?」
「サネナ、先に乗船するがよい」
「何を言われます! 国王様が乗船いただかねば、我々は乗船することができませぬ!」
「サネナ、貴様、我が船に乗り込んだ後、このヒヤマに残ろうと考えておるだろう?」
サネナの顔が歪む。その様子を見て、ラッカーはニヤリと笑みを浮かべる。
「貴様のことだ。アガルタにこの度の戦いのことを詫び、その上で自ら命を絶とうと考えておるであろう。フフフ。貴様とは長い付き合いだ。そのくらいのこと、手に取るようにわかるわ」
そう言ってラッカーは苦笑いを浮かべる。
「この度の戦い、アガルタには全く……」
「必要ない」
「国王様!」
「アガルタに詫びる必要などないと申しておる。アガルタとて、我らの侵攻に気づかず、易々とこの砦を奪われている。そんなことで、どうするのだ? 敵が侵攻してきたのであれば、全力で撃退するものだ。しかし、アガルタはそれをしておらぬ。準備を怠ったアガルタも悪いのだ」
ラッカーの言葉に、サネナは何とも言えない表情を浮かべる。
「すぐに乗船せよ。貴様が乗船せねば、我はここを動くことはない」
「総司令官殿、国王様の申される通り、先にご乗船ください。総司令官は我が国軍の要です。我々も国王様と同じ気持ちでございます。ですから……」
まるで、縋り付くかのような目で、若い司令官がサネナを見つめている。そんな彼の瞳に促されるように、サネナは一礼して踵を返し、船着き場に向かって歩き始めた。
「皆、国王様を、必ずお守りするようにな」
彼は誰に言うともなく呟いた。その声に、若い司令官たちは小さく頷く。
「さあ、引き揚げようぞ。アガルタ軍の攻撃は、いまにも始まるやもしれぬ。皆、急げ」
そう言って、ラッカーは歩き出した。
彼が向かったのは、船着き場ではなく、砦の中にある馬小屋だった。そこには、彼の愛馬がつながれていた。
「待たせたな、ムラク。さあ、行こうぞ」
「国王様、しばしお待ちを!」
愛馬の轡に手をかけたラッカーに、司令官の一人が口を開いた。
「ムラクは、私が船に連れて参ります。国王様はどうぞお先に船へ」
「大バカ者……」
「はっ……」
ラッカーは寂しそうな表情を浮かべながら、司令官を窘めた。
「そなたが轡をもってムラクを曳いていくよりも、我が背に乗って行けばすぐではないか」
そう言ってラッカーは愛馬の背にひらりと跨った。
「そなたたち、一刻も早く乗船せよ」
「国王様!?」
「王都で会おう!」
「国王様!」
ラッカーは愛馬の手綱を引くと、船とは真逆の方向に駆けだした。その後を、司令官と護衛の兵士たちが全速力で追いかけて行った。
サネナが、その報告を聞いたのは、乗船する直前のことだった。
「何だと!? 国王様を頼むと申したではないか!」
目の前の伝令は彼の言葉を聞いて項垂れてしまった。この兵士に何を言ってもどうなるものでもない。そう思い直したサネナは、すぐさま頭を切り替える。
「国王様を追え! ……雲のごとく消えてしまった? 探せ! 探すのだ! 砦の外もくまなく探せ!」
そう命じておいて、サネナは踵を返して、砦に向かって走り出した。
「国王様の乗るムラクは、すこぶる足が速い……。見失わねばよいが……」
そう呟きながら砦の門をくぐり、全速力で城壁の上に上がったとき、西の方角から歓声があがった。ふと見ると、そこには、奇妙な光景が広がっていた。
西側に展開しているアガルタ軍の中に、ぽっかりと大きな穴ができていた。歓声はどうやら、そこから起こっているようだ。
その穴は大きくなったり小さくなったりしながら、徐々に北に向かって移動している。よく見ると、その穴の中心には、一人の騎馬武者の姿があった。
「国王様! 国王様ぁ!」
城壁の上からサネナは声の限りを尽くして叫んだ。だが、その声は届いていないらしい。彼はすぐさま、周囲の兵士に命令を下す。
「まだ乗船していない者は、すぐに砦の外に出ろ! 国王様を救出に向かう! 急げ!」
「おっ、畏れながら……」
「何だ!」
「兵士たちの乗船はほぼ、完了しております。すでに大方の船は出港しております……」
「……今、砦にいる者だけでいい! 全員外に出ろ!」
サネナは大声で叫びながら城壁の階段を足早に降りていった。
一方、アガルタ軍の中にとり囲まれたラッカーは、力の限り槍を振るっていた。だが、そんな彼に兵士たちは近づいて来ることはなく、一定の距離を保ちながら、十重二十重と彼をとり囲んでいた。
「ぬぅわぁぁぁぁぁぁ!!」
ラッカーは絶叫と共に槍をアガルタ軍に向けて投げつけた。だが、それすらも、兵士たちに躱されてしまった。彼はぜえぜえと肩を激しく動かしながら息を整えていたが、やがて、愛馬からひらりと降りると、足早に兵士たちの許に近づいて行った。
「我は、サブクリナー王国国王、サブクリナー・エパス・ラッカー三世である。我は今、ここで、アガルタ軍に降伏する。さあ、我を捕らえて、末代までの手柄とするがよい」
そう叫ぶと彼は、腰に差している剣を手に取ると、それをポンと草原の上に投げ捨てた。そして、そのままドカッと地べたに胡坐をかいて座ると、腕を組んで天を仰いだ。
敵の大将を捕虜としたとリノスに報告があったのは、それからしばらく経ってのことだった。
「敵の大将を捕らえた? 本当に、本人か?」
「顔を知っている者がおりませんで、本人確認に手間取りましたが、サブクリナー側から、このような書簡が参りましたので、おそらく、サブクリナー国王で間違いございません」
伝令は懐から一通の書簡を取り出して、リノスに手渡した。そこには、殴り書きされた文字で、アガルタ軍に捕らえられたのは、サブクリナー王国の国王であること、そして、その彼の助命を嘆願する内容が手短に書かれてあった。
「アガルタ王の情けにお縋りしたい……か。で、その大将は今、何をしている?」
「ハッ。腹が減ったと言いまして、今、食事を召し上がっておいでです」
「何じゃそら?」
リノスは呆れた表情を浮かべながら、天を仰いだ。国王単独で敵陣に突っ込んでくるなどというのは、経験上、聞いたこともなかった。
「しかし、敵とはいえ、よく生きていたな。兵士たちに討ち取られる可能性の方が高かったろうに……」
「いや、ある意味で、敵の思い通りの展開かもしれないな」
口を開いたのは、マトカルだった。リノスは後ろに控えている彼女に視線を向ける。
「思い通り? わざわざ捕らえられに来たってことか?」
「聞けば、敵の大将はリノス様の命を狙っているそうではないか。リノス様一人を狙うのであれば、軍勢を率いて攻撃するより、我々の懐に飛び込んだ方が可能性はある。そのために、わざわざ降伏して見せたのではないか。降伏すれば、首を討つことはできない。捕らえて、将に引見させねばならない。相手が国王であれば、なおさらだ」
「やっぱり、俺がヤツを引見しなきゃいけないかな?」
「当然だ。それが、国王たるものの勤めだ」
「……なんか、イヤだなぁ」
「リノス様の結界があれば、大丈夫だ」
「わかった。では、その、ラッカーをここに呼ぼうか。なあ、マト」
「どうしたのだ?」
「ヤツがここに来るまでの間、膝枕してもらっていい?」
「それは、ダメだ」
マトカルはゆっくりと首を振る。その顔には仄かな赤みが差していた。そのかわいらしい表情を見てリノスは、心を落ち着けるのだった……。
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