第五百三十三話 表敬訪問!?
「な、何かの間違いだ! そのようなことがあってたまるか!」
ラッカーは、周囲に向けて怒鳴り散らす。その一方で、彼は前面に展開しているアガルタの長槍隊の動きを、注意深く観察していた。遥か数キロ先に見える黒い塊……。その一団がこちらに突撃してくるのであれば、すぐさま防御態勢を取らねばならない。だが、アガルタ側に動きは見られない。彼は再び視線を自軍に向けた。
「どいつもこいつも、どこに目を付けておるのだ! もう一度、斥候を出して調べ直させろ!」
「いや、国王様」
総司令官のサネナが、兵士たちをかき分けるようにしてラッカーの前に進み出る。
「ひょっとして、あり得ることかもしれませぬ」
「何だと? 貴様は我を愚弄するのか!」
「決してそのような」
サネナは驚いたような表情を浮かべながら首を振る。そして、再び真面目な表情を浮かべると、声を低く落として、さらに言葉を続けた。
「アガルタ王リノス……。かの王は別名、結界王と呼ばれております」
「……」
「国王様もご存じの通り、結界スキルは極めれば、一切の攻撃を受けつけぬ防御力を持つと同時に、結界内の環境を自由に変えることができると言われております。従って、全くの他人に結界を張り、アガルタ王に見えるように効果を付与することも可能であるかと思われます」
「それは神級のスキルと言われておるものだ。我が主神様であらせられる、クリミアーナ様をもってしても得ることが叶わなかったスキルだ。それを、アガルタ王が取得していると言うのか?」
「冷静になってお考え下さい、国王様。アガルタ……とりわけ、その都には強力な結界が張られております。邪念を持つ者は都に入ることができませぬ。あれだけ広大な都市に結界を張ることができるのです。それは相当の使い手と考えてよろしいかと存じます」
「確かに、そうだ」
「国王様!」
ラッカーが冷静さを取り戻したそのとき、馬に乗った伝令が大急ぎでラッカーの前に近づいてきた。
「申し上げます!」
「何事だ」
「ただ今、ヒヤマの南門が、アガルタ王リノス自ら率いる軍勢に攻められ、苦戦中です。至急、援軍を願いたいとのことです!」
「何だと!?」
「国王様、南門を攻めている軍勢をアガルタ王自身が指揮しているか否か、事の真偽は別にして、あそこを押さえられますと、我らは退路を断たれることになります。ここはひとまず、ヒヤマに向かい、南門を攻めている軍勢を蹴散らして、砦に引き上げることが肝要かと存じます!」
ラッカーは悔しそうな表情を浮かべながら、ギリギリと歯を鳴らしていたが、やがて将兵たちを見渡すと、低い声で、まるで呟くように口を開いた。
「やむを得ぬ。全軍、ヒヤマに向かえ。撤退する」
その言葉を受けて、サブクリナー王国軍はすぐさま、馬首をヒヤマに向けた。
砦の南門を攻めていたアガルタの部隊は、ラッカーたちが到着すると知るや、すぐさまその場から撤退していった。そのために、彼らは無傷で砦に引き上げることができたのだった。
だが、撤退を完了して、先ほどのアガルタ軍の攻撃についての報告を聞いて、ラッカーは驚きを隠すことができなかった。アガルタ軍は、南門を包囲すると、新兵器の魔銃を使って攻撃を仕掛けてきた。しかもそれは散発的で、迫力に欠けるものだった。しかし、その命中精度は高く、アガルタが放った攻撃は、全弾、サブクリナー王国の兵士に命中していたのだった。
当然、守備兵たちも手をこまねいていたわけではなかった。砦の中から弓矢と魔法を放ったが、アガルタ兵には全く通じず、攻撃は彼らが装備している鎧と結界石に全て阻まれていたのだった。
南門を守備していた兵士たちは、アガルタの攻撃の精度の高さに驚くと同時に、その守備力の硬さに接したことで、恐れを抱く者も少なくなかった。そんな兵士たちにラッカーは大声で鼓舞する。
「恐れるな! 今、この砦には、我がいる! 我がいる限り、この戦いは負けることはない! 思い出すのだ! 今までの戦いを! 我が敗れたことがあるか? 我がいる限り、この戦いに負けはないのだ!」
彼の自信に満ちたその振る舞いは、兵士たちに何とかなるという思いを抱かせた。だが、その直後、矢継ぎ早に到着した伝令らの一言で、兵士たちの士気は激減することになる。
「申し上げます!」
「何じゃ!」
「砦の西門に、アガルタ王リノス自ら率いる軍勢が向かっております」
「!?」
「申し上げます! 先ほど南門から撤退していったアガルタ王率いる一軍が、再びこちらに向かっております!」
「申し上げます! 東側に展開しておりましたアガルタ軍が、東門に向けて移動を始めました! 指揮するのは、アガルタ王自らとのことです!」
「申し上げます!」
「もうよい! 聞きとうない!」
顔を真っ赤に紅潮させながら、ラッカーは絶叫する。その表情はすでに、歪み切っていた。だが、伝令の一人は、そんな彼に向かってさらに言葉を続けた。
「いいえ、国王様、これだけは聞いていただかなくてはなりません。先ほど、本国より緊急の使者が参りました。ヴィエイユ教皇聖下が、我が国を表敬訪問するために、アフロディーテを出発したとのことです!」
「な、なに!?」
「先の戦いを慰労するために、教皇聖下自らが我が国に赴かれ、国王陛下をはじめ、サブクリナー王国の民に祝福を与えるとのことです! すでに、ご一行はアフロディーテを出発しております。国王様、一刻も早くのご帰国を!」
「教皇聖下がアフロディーテを出発したのは、いつのことだ!」
「二日前とのことでございます!」
「ふ、二日前!?」
「教皇聖下のご使者を迎えてすぐ、宰相、ロン・ザン・エルバー様が早馬を仕立てられました。夜に日を継いで駆け抜けた使者が、先ほど到着してございます!」
「国王様! 一刻も早くお戻りを!」
そう言いながら、総司令官のサネナが、ずいっとラッカーの前に進み出る。
「教皇聖下御自ら我が国を訪問なさるこのときに、国王様がおいでにならないのは、失礼の極みとなります。教皇聖下に、何度も表敬訪問を奏上していたのは、他ならぬ我が国自身なのですから! 兵を返されませ! サブクリナー王国へ!」
「う、う、う……。おのれ……アガルタ王、リノス……」
ラッカーは大声を上げたかと思うと、腰に差した剣を抜き払い、それまで自分が座っていた椅子を真っ二つに叩き割った。彼はしばらく肩を激しく上下させていたが、やがて息を整えると、剣を鞘に納め、居並ぶ司令官たちに視線を向けた。
「全軍、引き揚げよ。砦の外はアガルタ軍に包囲されている。従って、撤退は海路を進むこととする。すぐに兵士たちを乗船させよ。乗船が完了した船から北に向かうのだ。バーリアル王国を迂回して、サブクリナーに向かうのだ」
「お言葉ながら国王様、それでは日数が……」
「それが、兵士を最も安全に帰国させられる」
「ですが……それでは、教皇聖下のご訪問に間に合いませぬ」
「サネナ」
「はっ」
「早馬を仕立てよ」
「早馬……でしょうか?」
「アフロディーテから我が国までは船で五日。おそらく今、ヴィエイユ様の船はビルモ帝国に向かっている頃だ。明日はビルモの帝都、エモシーンで休息をとられることだろう。早馬をビーモのエモシーンに向かわせるのだ。そこで教皇聖下にお目通りして、今回の表敬訪問を……延期していただきたいとお願い申し上げるのだ」
「……承知、致しました」
「事は一刻を争う。すぐさま撤退準備にかかれ!」
ラッカーの言葉に、司令官たちはスッと頭を下げた。




