第五百三十一話 名将
一方その頃、ヒヤマの砦ではラッカーが諸将を集めて軍議を開いていた。
「まさか、無血開城できるとは思いもよらなかったな」
一兵も失うことなくヒヤマという堅牢な砦を陥落せしめるという勝利を得たが、ラッカーの表情に笑顔はない。それどころか、眉間の皺は深くなるばかりだった。そんな彼の心中を察してか、居並ぶ司令官たちは、ただ黙って王に視線を向け続けている。
「さて、これからどうなさいます?」
口を開いたのは総司令官のサネナだった。彼は淡々と、だが、すべてをあきらめたかのような口ぶりでラッカーに話しかける。その雰囲気は、この戦いの最後は、自分の命と引き換えに終わらせようという覚悟を感じさせた。
「待つ」
「何と……言われました?」
「待つのじゃ。アガルタ軍の、アガルタ王リノスが来るまで、待つのじゃ」
「畏れながら……。アガルタ軍が動かねばどうなります?」
若い司令官が思わず口を開く。その彼にラッカーは鋭い視線を向ける。
「必ず、動く。己が領土を蹂躙されておるのだ。この恥を雪がずして、何とするのだ。それにここを抑えられれば、ドルガの運命は風前の灯火。アガルタとしては、何としても我らを排除せねばならんのだ」
「畏れながら国王様、ヤタが申し上げたいのは、アガルタ軍が、アガルタ王本人が動かず、ニザ、ヒーデータ、ラマロンの各国が軍勢を派遣し、このヒヤマをとり囲めば、我らは自落するということです。いかに、食料を十分に積んでいるとはいえ、それらは未来永劫まであるものではありませぬ……」
「サネナ、皆まで申すな! わかっておるわ!」
まるでハエや蚊を追い払うように、ラッカーは手でサネナの言葉を払いのける。そして、スッと立ち上がると、血走った眼で司令官たちを睨みつけた。
「アガルタ軍の動きから目を逸らせるな。ヤツは動く。必ず動くはずだ!」
ラッカーの言葉に反論する者は、一人もいなかった。
◆ ◆ ◆
「大変失礼しました。少し、取り乱しました」
ヴィエイユは髪形をささっと整えながら、ボソボソと呟いた。何とも言えぬ変な空気になってしまった。
「あのお方だけは、本当に、生理的に嫌いなのです……。あの顔……。あの体臭……。ああ、いやだ……」
「そこまで嫌うことはないんじゃないか? ほら、まあ、何だ。見てくれはさておき、体臭なんかは香水でも使えば何とかなるものだし……。よかったら、ウチのソレイユが持っている香水をあげようか? あれ、結構評判がいいみたいなんだ」
「お気持ちだけ、受け取らせていただきます」
……ヴィエイユの眼が怖い。これ以上このネタを引っ張ると、本気で怒られそうだ。俺はオホンと咳払いをして、話題を変えようと努める。
「とはいえ、俺の命を狙うのに、ヒヤマを攻めるのか。アガルタの都じゃないんだな」
「こう言っては何ですが、ラッカー様は、非凡な将器をお持ちの方です」
ヴィエイユはいつもの表情を取り戻していた。愛嬌のある眼……しかし、その眼の奥は全く笑っていない。そんな表情を讃えながら、彼女はさらに言葉を続ける。
「ラッカー様は、我がクリミア―ナ教国軍の先鋒を勤めるお方です。単に、やみくもに突撃するのではなく、敵の弱点を瞬時に見抜き、そこをめがけて突撃していきます。ご家来も勇猛な方が多く、今のところ、我が軍が勝利し続けていられるのは、あのお方のお蔭と言って過言ではありません。我が教国にとりましては、タナ王国のヴィル様と並んで、名将の誉れ高きお方です。そんなお方ですから、敵の戦力を見誤ることは致しません。アガルタの都を攻めなかったのは、勝てる見込みがないからでございます」
「……嫌いな男の割には、よく見ているな、ヴィエイユ」
「ええ。それとこれとは別ですから」
「そういうものかな? で、どうしてヒヤマなのかな?」
「ヒヤマはドルガ防衛の要……。ここを占領できれば、ドルガを落とすことはそう難しくありませんから」
「まあ、陸と海から囲めば、ドルガはどうにもならないだろうが、ラッカーは単独で攻めているんだろう。その作戦は難しいと思うけれどな」
「とはいえ、アガルタ王様としましては、このままラッカー様を放置しておくわけには、参りませんでしょう?」
「まあ、ね」
「恋に狂ったラッカー様のことです。アガルタ王様をおびき寄せるために、ドルガへの攻撃を仕掛ける可能性もありますわ。そうなれば、何の罪もないドルガの人々は少なからず、迷惑を被ることになりますものね」
「……」
「アガルタ王様のお心の内は、よくわかりますわ」
ヴィエイユは妖艶な笑みを浮かべている。沈黙する俺を見て、図星をついたと思ったのか、彼女はさらに言葉を続ける。
「しかし、ご安心くださいませ。ラッカー様がドルガを攻める可能性は少ないと考えます」
「ほう、そうか」
「はい。ラッカー様の狙いは、アガルタ王様ただお一人です。今回の戦いは、アガルタ王様そのものを討ち取るための戦いなのでございます」
「ほう、ヒヤマやドルガではなく、この俺の首が欲しいか……」
「私を手に入れるためには、アガルタ王様が邪魔だとお考えなのです。ですから、ラッカー様は精鋭をもってアガルタ王様の本陣を衝く戦法を取るに違いありません。軍団と軍団との戦いではなく、アガルタ王様お一人を狙っての戦いとなるでしょう」
「……ヴィエイユ」
「はい」
「お前はさっき、ラッカーを名将と言ったな?」
「はい、申しました」
「名将とは案外、足元が見えないんだな」
「は?」
「今回の戦いは、俺たちアガルタの勝ちだ。きっとラッカーは、俺たちとの戦いでことごとく敗れて、すべてを失うだろう」
「……勝った、と申されましたか?」
「ああ、勝った。お前たちクリミアーナの連中は、どうも大将首を狙う傾向にあるな。そんな戦い方はもう終わっているんだ。今は、軍団と軍団の争いのはずだ。敵の軍団を制圧してはじめて勝利したと言えるのだ。軍団を引き連れているにもかかわらず、大将首だけを狙うなど、愚の骨頂もいいところだ。いい例が、あのヴィルだ。ヤツは俺の首だけを狙って戦いを仕掛けてきた挙句、軍団を失った。結果的に今、タナ王国国王・ヴィルは、この世に何の力もない存在になった」
俺の言葉をヴィエイユは、目を丸くして驚いていたが、やがて、先ほどの妖艶な笑みを浮かべた。
「アガルタ王様に、私の情報は無用でございました。確実に、アガルタ王様はラッカー様に勝利なさいますわ」
「まあ、そんなことはどうでもいい。俺には一つ、心配事があるんだ」
「心配事……でございますか?」
「ああ。同じ男として、大好きになった女性……嫌われていたとしても、その女性が諦められない気持ちはわからなくはない。そんな、言ってみれば純粋な男の子の気持ちを何とかしてやりたいという気持ちが、俺にはある。可能ならば、二人きりで酒でも飲みながら、相談に乗ってやりたいものだ」
ヴィエイユの顔から笑みが消え、まるで俺を軽蔑するかのような表情に変わった。
「まあ、お前の気持ちもわからなくはない。俺から、何としてもラッカーと付き合えと言うことは、ない。まあ、せっかくアガルタに来たんだ。メシでも食って帰るといい。おみやげに黄金鳥の唐揚げでも持って帰るといい」
「お心遣い、感謝申し上げます」
そう言って一礼すると、ヴィエイユはプイと背を向けて、そのまま部屋を出ていってしまった。
「……で、どうするのだ?」
ヴィエイユの姿が消えてすぐ、マトカルが口を開いた。俺は玉座に体を預け、天井に視線を漂わせる。
「行かねばならんだろうな」
「やはり。ヒヤマに出陣するのか……」
「さてね。前線には出ずに、ヒヤマの近くの草原で、マトの膝枕で昼寝をするのも、悪くないな……」
マトカルの顔が、一瞬で赤くなった。




