第五百三十話 よくわからない
「は? 何て?」
意味がわからなかった。どうして、こんなことになったのだ? 思わず聞き返してしまった。
ここは帝都の屋敷だ。ダイニングには俺をはじめとして、家族全員が集まっていた。子供たちもそれぞれの母親の膝に抱かれていたり、傍にくっついていたりしている。いつものにぎやかな風景は、そこにはなかった。
俺の目の前には、ラースがいた。よくわからないといった表情をしている。俺もおそらく、彼と同じ顔をしているのだろう。
「何で戦わなかったのよ」
腕を組み、呆れたような表情を浮かべているのは、ラースの姉のフェリスだ。そんな彼女にラースは、さも不満ありげに返答する。
「戦おうと思ったさ。でも、マトカル様が退けと言ったんだよぉ」
全員の視線がマトカルに注がれる。彼女は息子のファルコを抱きながら、俺たちを見廻している。
「私が報告を受けたときには、すでに砦の大半が制圧されていた。戦っても勝てぬわけではなかったが……無駄な犠牲が増えると判断した。そのため、ラース殿にすぐに撤退せよと伝えたのだ」
「アンタは本当にバカねぇ。敵が攻めてきたことに気がつかなかったなんて」
「何を言うんだい姉ちゃん! ちゃんと気づいていたさ。でも、まさか砦に攻めて来るなんて思いもよらなかったんだ。海から船で静かに、ゆっくりと近づいてきたから、てっきり食料や燃料が尽きたんだろうと思って……それで、城門を開けたんだ。そしたら、いきなり兵士が上陸してきて……」
「まあ、何はともあれ、ラースを含め、アガルタの者にケガ人がいなくてよかった。ご苦労だった、ラース。危険を察知して、兵士をかくまったお前の判断は間違ってはいない。あとは、俺たちに任せてくれ」
俺の言葉に、ラースは悔しそうな表情を浮かべたまま、ゆっくりと一礼した。
占領されたのは、ラースが守っていたヒヤマの砦だった。そこをサブクリナー王国の者が占領したのだ。ここを占領されてしまうと、すぐ近くにあるドルガの街が危なくなる。アガルタからの補給が断たれてしまうからだ。
「まあ、ドルガへの補給は、最悪の場合、陛下に頼んでヒーデータから船で輸送してもらうことにしよう。今のところドルガの食料の備蓄は……」
「問題ない。三か月は籠城できるはずだ」
「そうか。マト、ドルガには城門を固く閉じて防御に徹するように伝えてくれ。間違っても、ヒヤマの砦に攻撃を仕掛けようなどとは思うなと伝えてくれ」
「わかった」
俺はマトカルに向かってゆっくり頷くと、俯きながら大きな体を小さくして控えているラースに視線を向ける。
「気を落とすな、ラース。お前が精魂込めて修復したヒヤマの砦……。奪われた悔しさはよくわかる。できるだけ、損傷させないように、奪い返して見せるからな」
俺の言葉に、ラースは再びゆっくりと頭を下げた。
◆ ◆ ◆
ヒヤマの砦を占領されてから二日。俺はアガルタの都にある迎賓館の執務室で、敵の戦力分析を行っていた。目の前には、ヒヤマの地図が広げられ、それをクノゲンとマトカル、そしてルファナが俺と一緒に眺めている。
「……一体、敵さんは何をしたいのでしょうな?」
クノゲンが首をひねる。報告によれば、サブクリナー王国軍の総勢は、およそ三万。これは、サブクリナー王国が動かせる最大の兵数なのだそうだ。言ってみれば、サブクリナーは、全兵力をもってヒヤマの砦を攻撃したことになる。
彼らは優に十日もかけて、海路にてヒヤマの砦を目指していた。彼らは、今はクリミアーナが治めている、ヒヤマの砦の目と鼻の先にある、旧バーリアル王国に向かうと主張していた。確かにこの国の情勢は不安定で、しばしば反乱が発生して、小競り合いが続いていた。てっきり、大軍を派遣して、反乱の芽を摘もうとしているのだと思っていたら、実は狙いはヒヤマの砦だったというオチだ。
しかし、よくわからない。この砦を陥落させたところで、誰も得をしないのだ。確かに、ドルガを防衛する俺たちにとっては、喉元に刃を突き付けられた状態なのだが、サブクリナーにとってみれば、言わば敵中の中に楔を打ち込んだはいいが、ほとんど補給ができない状態だ。一番近い旧バーリアル領から支援はできないことはないが、国内が不安定な状態であるために、満足な支援はできないだろう。
「我々をおびき出そうとしているのか?」
突然口を開いたのは、ルファナだ。彼女は首を傾げながら腕を組んでいる。その姿はなかなか美しかった。
少し話がそれるが、ここ最近、ルファナちゃんはキレイになった。クノゲンと結婚した当初はさしたる変化は感じなかったが、先の黒龍との闘いくらいから、劇的に美しくなった。リコ曰く、夫婦仲がうまくいっている証拠なのだという。それはそれでめでたい限りなのだが、ときおり、ハッとするほど美しい表情をすることがある。兵士たちの中に、彼女に心を奪われる者が現れはしないかと、余計な心配をしてしまう。
おっと、そんなことを考えていたら、全員の視線が俺に集まっていた。いかんいかん。姿勢を正さねば。
俺たちをおびき出して一網打尽にする……。アリと言えばアリだ。ただそれは、俺たちがヒヤマに向けて出陣して、戦いを挑むのが前提だ。そうではなく、ニザやヒーデータと共同して、ヒヤマの砦を囲んでしまえば、彼らはなす術もなく飢えるしかなくなるのだ。
「失礼します」
突然、兵士の一人が入室してきた。何事かと思いながら視線を向けると、彼はスッと一礼して、よく通る大きな声で口を開いた。
「申し上げます。ただ今、新・クリミアーナ教国教皇、ヴィエイユ様がお越しになりました」
「え?」
「ヴィエイユ様の顔を知っている者が確認し、ご本人と確認ができました。今、応接室にお通ししておりますが、いかが取り計らいましょうか?」
「……また、出し抜けに来る奴だな。では、謁見の間に通してくれ」
「承知しました」
兵士が去ると、俺は思わず天を仰いだ。
程なくして、俺たちは謁見の間に向かった。そこには、ヴィエイユがたった一人で控えていて、さも、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、佇んでいた。
「この度は、大変なご迷惑をおかけしまして……」
「迷惑っちゃ迷惑だが、それよりも、俺にはなぜ、今回この戦いを仕掛けられたのかが、全くわからないんだ。すまないがヴィエイユ、説明してくれないか?」
「仰せはごもっともでございます。今回の戦いは、すべて、私に原因があるのです」
「お前が、原因か……」
「ハイ……」
ヴィエイユは、今回の騒動に至った経緯を切々と語り始めた。サブクリナー王国の国王であるラッカーはヴィエイユに執心していること。彼は俺をこの世から排除すれば、ヴィエイユの傍に仕えられると思い込んでいること。彼の思いを知りながら、明確に拒否することなく、中途半端な対応を取ってしまったために、今回の騒動を招いてしまったこと……。そんな話を、ヴィエイユらしく、理路整然と語っていった。
「そのために、今回の騒動が起きてしまいました。何とお詫びをしてよいものやら……」
「いや、別に詫びるには及ばないが……」
「いいえ。それでは、私の気持ちが収まりません。アガルタ王様のお気が済むのであれば、私はどのようなことも致すつもりでございます」
ヴィエイユの言葉に、ルファナちゃんの気配と表情が変わった。どうやら、ヴィエイユのぶりっ子ぶりに、イラッときているようだ。確かに、この娘の振る舞いは、同性から見ると、男に媚びているように見えるのだろう。そういう女子は確実に同性に嫌われる。だが、そういう女子が一番男子にモテる。うん、不条理な世の中なのだ。
相変わらずヴィエイユは俺に、潤んだ眼差しを向けている。そんな彼女に向って俺は、手を叩きながらゆっくりと口を開く。
「何だ、よかったじゃないかヴィエイユ。それを聞いて安心したよ。お前、その、ラッカーとかいう国王と結婚しろ。そこまでお前のことを思ってくれているんだ。きっと、一生をかけてお前を幸せにしてくれるだろう。お前がラッカーの愛を受け入れてくれれば、この戦いはすぐに終わる。心配するな。結婚式には参加させてもらう。何なら、新婦側の友人としてスピーチをしてもいい。よかったら、この迎賓館を結婚式場に使うといい。ここ、結構いい式場だぞ? そうそう、このクノゲンとルファナちゃんも、ここで式を挙げたんだ。いい結婚式だった、あれは」
俺はクノゲンに視線を向ける。だが彼は、ニコリと笑みを浮かべながら戸惑ったように首を傾げている。
「お断り申し上げます!」
突然、ヴィエイユの絶叫が響き渡った。驚いて視線を向けると、彼女は泣きそうな表情を浮かべながら首を振っていた。
「あのお方と一緒になるなど……。絶対にイヤです。それだけは、絶対にイヤです。イヤです……本当にイヤです……」
……そこまで拒否ってやるなよ。俺はその言葉を必死で飲み込んだ。




