第五百二十八話 開けちゃならない箱
「すぐに学会に提案しましょう」
「え?」
ヴィエイユにとっては、全く予想もしない答えだった。思わず、目の前に座るメイリアスを二度見したほどだ。彼女は瞳をキラキラさせながら、少し興奮した面持ちで言葉を続けた。
「そのような素晴らしい技術は、もっと多くの人々と共有するべきです。その方が、より効果の高いものができます。それに、そうすることで、技術力も飛躍的に向上します」
「そ、その通りですが、これはまだ実験段階で……」
「で、あれば、なおさらもっと多くの国々と共有するべきです。色々な角度から実験を行えば、成功率は上がります。さあ、今、お集りの皆様にこのことを共有しましょう」
そう言ってメイは立ち上がる。ヴィエイユは思わずメイリアスの手を握る。
「おっ、お待ちください。世界に共有する前に、我々は、その花の効果がどれほどのものかを把握しておかねばなりません。そのためのお手伝いをメイリアス様にお願いしたいのです。まずは、我々が開発しました花の効果を、メイリアス様の眼で、確認していただけませんか?」
「それはむしろ、やるべきではありません」
「えっ……」
「そうしたことは、私個人が行うべきではありません。どうしても、限られた者たちだけで効果を確認しなければならない状況はあります。ですが、今は状況が違います。世界各地から優秀な学者が、技術者が、ここアフロディーテに集まっています。今、ここで、ヴィエイユさんたちが開発された花を、その手法を食用に転用するという構想を発表すれば、必ず、全員が協力してくれることでしょう。特にフラディメ王国のリボーン大上王様などは、協力を惜しまないと思います。すべての人類にとって、この技術は多大な恩恵を受けることができる可能性を秘めた花……。それは、世界中から飢えという悲しい出来事を無くすことができるかもしれません。それほどの技術です。早く完成させるべきです。そのために、ここに集まった皆で共有するべきです」
そこまで一気にまくしたてると、メイは再び長椅子に座り、やさしい眼差しをヴィエイユに向けながら、彼女の手を握った。
「さあ、参りましょう。皆様の待つ部屋へ」
「……ありがとうございます」
ヴィエイユはそう答えるのが精いっぱいだった。それほど、彼女の頭の中は混乱していた。全く予想もしない反応だった。まさかメイリアスが、ここまで自己主張をしてくるとは、思ってもみなかったからだ。
……そうだ。あのときも、そうだった。
以前、このアフロディーテで開かれた学会。メイリアスは珍しく怒りをあらわにしたことがあった。そのときの光景が鮮やかにヴィエイユの脳裏に思い出された。
知らなかったわけではない。メイリアスのようなタイプが情熱を燃やすと、とんでもない行動力を発揮することは十分に知っていた。だが、実際のメイリアスは、自分の想像をはるかに超える行動力を示した。まだ、確立されていない技術を、全世界に公開せよというのだ。そんなことはできるわけがないし、たとえ、そう思ったとしても、それをすぐさま行動に移すなど、並の人間ならばまず、考えもしないことだろう。だが、目の前のメイリアスは、キラキラと目を輝かせながら、何のためらいもなくそんな非常識な事柄をやろうとしているのだ。
……開けてはならない箱を開けてしまった感じね。それにこの雰囲気、何だか、ラッカー様と似ているわね。
生理的に受け付けないあの男と、メイの行動がピタリと一致したような感覚を覚えて、ヴィエイユの体は無意識のうちに震えた。彼女はその動揺を悟られまいと、努めて冷静さを装う。
「我々が開発しました花……それは、次回の学会で発表することに致します」
「ヴィエイユさん」
「正直申し上げて、我々はその効能の確認が疎かでした。メイリアス様の言われることはもっともですが、我々にも立場というものがございます。検証が疎かなものをお目にかけましては、我々の信用は地に落ちることになります。我が教国は一度、信頼を失墜しております。同じ轍を二度と踏みたくはございません」
「……わかり、ました」
いかにも残念そうな表情を浮かべるメイリアス。その視線は、ヴィエイユに何とも言えぬ敗北感を与えた。
「貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました」
そう言ってヴィエイユは立ち上がり、壁に近づくとゆっくりとそこに手を触れた。すると、部屋が小刻みに揺れ、しばらくすると、壁の一部が消えて慰労会の会場に通じる通路が現れた。
「どうぞ」
にこやかな笑みを浮かべてヴィエイユはメイリアスに退出を促す。彼女はゆっくりと立ち上がり、部屋を後にする。
「ヴィエイユさん……?」
依然として先ほどの部屋から出ようとはしないヴィエイユに、メイリアスは怪訝な表情を浮かべる。
「私はもう少し、こちらで休んでまいります。お気遣いなさらないでください」
そう言ってヴィエイユは深々と頭を下げた。その瞬間、入り口には壁が現れ、彼女の姿が消えた。
◆ ◆ ◆
ヴィエイユの許から戻ったメイリアスは、すぐさまリノスの許に向かった。だが、会場に戻ると、彼女を待ちかねていた参加者たちに再び囲まれ、メイリアスは容易に動くことができなかった。
結局、彼女は会がお開きになってやっと、リノスの許に行くことができた。そこでは頭痛に苦しむシディーの姿があり、リノスの判断で彼らはすぐさま帝都の屋敷に転移したのだった。
シディーの頭痛を和らげる薬を調合したり、帰りを待ちわびていた子供たちの世話をしたりと、息つく暇がなかった。そして、リノスと二人っきりになれたのは、風呂場だった。
二人で体を洗い合い、湯船につかりながら、ヴィエイユとの話し合いをリノスに報告する。彼はしばらく天を仰いで何かを考えていたが、やがて、少し真剣な表情を浮かべながら、口を開いた。
「その花、もしかすると、ヴィエイユは他国を侵略するために使おうとしていたのかもな」
夫の言葉に、メイリアスは息を呑む。彼女自身も、リノスがそんなことを考えるなど、予想もしないことだったからだ。
「その花が、成長が早く、枯れないものだったとしてだ。その上で、再生能力に優れていたとなれば、これはかなり厄介だぞ? 切ろうが抜こうがそこから再生してしまうのであれば、国中がその花で埋まってしまうだろう? そうなると、その国は滅びることになるだろう」
「ですが……。それは……ヴィエイユさんの国でも同じでは……」
「アイツのことだ。その対策くらいは考えているだろう。例えば、その花を枯らせることのできる薬品か何かを開発しておけば……。花の繁殖に困る国に、それを売りつけるだけで、クリミアーナは膨大な利益を得ることができる」
「そっ……そんな……」
「まあ、あくまで俺の予想だけれどね。ヴィエイユがそこまで考えているのかは、正直わからないな。ただ、メイを別室に連れて行って、二人で話し合いをしたことを考えると、アイツの狙いは、メイを何とかしたかったのかもしれないな」
「私を、でしょうか」
「いや、これも俺の推測の域を脱しないが、もし仮に、メイがヴィエイユに心酔したとすると、その効果は計り知れないだろう。メイの言葉なら、多少おかしいと感じたとしても、大抵の人は信じるからな。俺だって、メイに真剣に意見されれば、やっぱり聞いてしまうだろう。まさかとは思うが、メイの信用に付け込もうと考えていたとすれば、あの小娘……キツイお仕置きをしなきゃならないな」
そう言って、リノスは人差し指をスッと立てて、まるで銃を撃つような仕草をする。その様子を見ていたメイリアスは、リノスの手をそっと握る。
「そのようなことには、絶対になりません」
「……そうか」
「私は、ご主人様の奴隷です。ご主人様以外の、誰のものにもなるつもりもありません」
「メイ……。だがな、お前はもう、俺の奴隷じゃない。俺の妻だ。もう二度と俺の奴隷だなんて、言わないでくれ」
「……承知しました」
「メイ、無理だけはするなよ。それに……何かあれば相談してくれな」
「はい。そのお言葉をいただけただけで、心強いです。ご主人様に、これからも、甘えさせていただきます」
そう言って彼女はリノスの腕にしがみつく。リノスはその体を、優しく抱きしめた。




