第五百二十三話 やきもち
学会発表の前日、新・クリミア―ナ教国の教都、アフロディーテでは、参加者を招いたささやかなパーティーが開かれた。立食形式で、ビュッフェスタイルのパーティーではあったが、そこに供された食事や飲み物、調度品の全てが、世界各地から集められた超一流のものが使用されていて、ヴィエイユのセンスの良さが存分に発揮されていた。
参加者はその料理に舌鼓を打ちながら、それぞれが思い思いに時間を過ごしていた。とはいえ、時間が経つにつれ、その会場内には二つの大きなグループに分かれていた。言うまでもなくそれは、ヴィエイユを中心とするクリミアーナ側と、メイを中心とするアガルタ側のグループだ。それはまさに、この世界の勢力図を如実に表していた。
二つのグループの持つ雰囲気は全くの正反対なものだった。
ヴィエイユを中心とする、クリミア―ナ側は、全員がまず、教皇に挨拶を述べ、そして、この学会の開催を称賛した。そして、ヴィエイユが話を始めると、全員がおしゃべりを止めて彼女に注目した。その様子はまさに、ヴィエイユという一人の女性を中心とした結束の固さを物語っていた。
一方のアガルタ側は、言うなれば自由そのままの雰囲気だった。ある者――サンダンジのニケ王――などは、メイとの再会を喜び、彼女の手に優しくキスをしている。その様子を夫であるリノスが目を丸くして睨んでいる。その隣では、リボーン大上王が研究者たちと熱い議論を交わしていて、それは違うだの、そんなことはないだのと言った言葉が飛び交っている。
そうかと思えば、息子のメインティア王は部屋の隅で悠々と酒を飲みながら、このパーティーの様子――好みの女性――をスケッチしているし、ローニはローニで供されている食事を片っ端から口の中に放り込んでいる。その集団には、連帯感というものは全くないようにも見えた。
この様子を冷徹な眼差しで見つめている男がいた。サブクリナー王国の国王であるラッカーだ。彼はヴィエイユの近くに陣取りながら、パーティーの様子を眺めていた。右目でヴィエイユの一挙手一投足を捉えながら、左目でパーティーを見ていたのだった。
相変わらず、彼が神と崇めるヴィエイユは美しく、何の不安も感じていないように見え、彼は大きな満足感を得ていた。このパーティーの警備は、このラッカーが指揮しているのだ。
一見すると何でもないこのパーティーは、彼の指示により、水も漏らさぬ警備体制が敷かれていた。部屋には武装した兵士は一人もいないが、研究者に紛れた彼の部下たちが、常に目を光らせていたのだった。今のところ不穏な動きをする者はいないが、彼の左目は常にアガルタ陣営に向けられていて、怪しい動きがないか目を光らせていたのだった。
……このまま奴らを攻撃すれば、まさに一網打尽。我がクリミアーナ教国が世界の頂点に立てるというのに。
ラッカーは心の中で呟く。この部屋には、アガルタとその同盟国の要人がすべて参加していると言ってよかった。こんな機会は金輪際訪れることはないだろう。真にクリミアーナ教の教えを世界に広めるためには、この機を逃すべきではないと思う。だが、肝心のヴィエイユにはその気はないらしい。いつもの通りゆったりと、鷹揚に振舞っている。それだけではない。彼女からは、アガルタ側に対して不要な刺激を与えることは厳禁されていた。それどころか、彼らを丁重にもてなすように命じられていたのだ。
ラッカーは心の中で舌打ちをする。そのとき、アガルタ側から数名がこちらに向かって来るのが見えた。何とそれは、アガルタ王リノス本人とその妃であるメイリアス、コンシディー、そして、一組の男女がそれに続いていた。
「ちょっと、ごめんなさいね」
飄々とした様子で、アガルタ王リノスがこちらの輪の中に入ってくる。そのあまりに予想外の振る舞いに、人々は飛びのくようにしてリノスから離れていく。気が付くと、教皇・ヴィエイユまで、真っすぐな一本道ができていた。ラッカーはヴィエイユを守るべく、さりげなく彼女のすぐ近くに寄った。
「すまんな、ヴィエイユ。俺たちは部屋に戻ることにするよ」
「どうされました?」
「いや、明日の準備などがあるからな」
「まだまだお話したいことが山ほどございましたのに……」
「それはまたの機会にすることにしよう。それにしても、美味い料理だった。さすがだな、ヴィエイユ」
「お褒めにあずかり、光栄ですわ」
ヴィエイユは恭しく頭を下げる。そして、顔を上げた直後、彼女は頓狂な声を上げた。
「まあ……シン様! お久しぶりでございますわ」
彼女はツカツカと一人の男の許に向かう。浅黒い肌をした若い男だ。その後ろには、心配そうな表情を浮かべる犬獣人の女性の姿があった。
「お久しぶりでございます、教皇聖下」
男は恭しく一礼した。
「そのように畏まらなくてもよろしいですわ、シン様。我々、真・クリミアーナ教国とシン様のサンダンジ王国は、かつてアガルタ王様とタナ王国を葬った同士ではございませんか。以前のようにヴィエイユとお呼びくださいませ」
そう言ってヴィエイユはシンの服の裾をスッと掴む。一見すると二人は恋人同士に見えるような振る舞いだった。
「ところで、こちらのお方は?」
ヴィエイユの視線が、シンの後ろに控えていた犬獣人の女性に向けられる。女性は一瞬、たじろいだ表情を浮かべたが、やがて、スッと一礼して、口を開く。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。アガルタ大学で研究をしております、ジャニスと申します」
「ジャニス様……。新・クリミアーナ教国のヴィエイユと申しますわ。ジャニス様はシン様の……助手か何かのお方ですか?」
「いいえ」
突然シンが、ヴィエイユの手を優しくほどきながら口を開く。その声にヴィエイユは思わず彼に視線を向ける。
「彼女は私の同僚です。かけがえのない方です」
「……左様でございますか」
「私は、このジャニスさんと将来、結婚したいと思っております」
「……シン君!」
女性が思わず声を上げている。同時に、リノスも目を丸くして驚いている。一方で、メイとシディーは優しい笑みを浮かべている。その様子を見たヴィエイユは冷たい笑みを浮かべている。
「サンダンジ王様、ご子息のご婚約、おめでとうございます」
突然ヴィエイユがニケに向かって口を開いた。ニケは何とも言えぬ表情を浮かべながら、ゆっくりと言葉を絞り出す。
「その話については、追々に」
ニケに満面の笑みを向けたヴィエイユは、再びシンに視線を向ける。
「おめでとうございます。クリミアーナ教国を代表しまして、お祝いを申し上げますわ。サンダンジ王国も、素晴らしい王太子妃殿下を迎えられて、後は安泰でございますわね」
「お言葉ですが、私は、王太子の位を降りようと思っております」
「え?」
「幸い、兄弟はたくさんおりますし、優秀な弟たちが多くおります。サンダンジの将来につきましては、弟たちに任せたいと思っております。私は、このジャニスさんと共に、市井の医師として、人の命を救いたく存じます」
ヴィエイユは少し驚いた表情を浮かべたが、やがていつもの表情を取り戻し、ゆっくりと口を開いた。
「左様でございますか。それは、よろしゅうございました」
このとき、ラッカーは感じていた。ヴィエイユの心の中に怒りとも憎しみともつかぬ感情が芽生えていたことを。彼は、ヴィエイユからこの浅黒い男を殺せと命じられるのを待っていた。だが、彼女は彼の予想に反して、アガルタ王リノスに向けて、口を開いた。
「アガルタ王様」
「何だい?」
「この学会が終わりましたら、慰労会を開催いたします。そのときも是非、ご参加くださいませ」
リノスはしばらく考える素振りを見せていたが、やがてよいだろうと頷くと、妃たちを伴って部屋を後にしていった。
……やはり、アガルタ王を愛しているのか。
ラッカーは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。人にはわからないだろうが、彼には確かにわかった。ヴィエイユの目は、明らかにリノスに対して愛情を抱いていた。わかってはいたことだが、その事実を目の当たりにしたラッカーは、心の中で激しい嫉妬の炎を燃やすのだった。




