第五百二十二話 シディー、ヴィエイユを分析する
「……シディー、どうした?」
俺の声に彼女はハッとした表情を浮かべる。こんなシディーを見るのは、初めてのことだ。
「えっと……すみません」
顔を赤らめながらシディーは俺に抱き着いてきた。ここは、俺たちの屋敷のベッドルームだ。
ヴィエイユの案内を受けた後、それぞれの部屋を割り振り、荷物を運び込んだ。そして、豪華な夕食を振舞われたあと、旅も疲れもあるために、皆、早々に部屋に引き上げることにしたのだった。当然、俺たちは転移結界で帝都の屋敷に帰る。だが、メイはローニとチワンとの三人で、明日の打ち合わせをすると言って、しばらく部屋に留まると言ってきた。仕方がないので、打ち合わせを終えたらすぐに屋敷に転移して来るように言って、俺とシディーは先に帰ったのだった。
ところが、屋敷に帰ると、今度はシディーの様子がおかしくなった。何だかずっとボーっとしていて、話しかけても、上の空なのだ。こんなことは、今までなかったことだ。
風呂から上がり、寝室に向かうと、シディーがいた。仰向けになりながら、呆然と天井を眺めている。一瞬、ベッドに入ることを躊躇ったが、少し気を使いながら俺もベッドに入ることにする。
いつもは、俺がベッドに入ると、シディーは手をつないでくるのだが、この日はいくら待ってもそれがない。てっきり寝たのかと思って顔を覗き込むと、初めて俺の存在に気が付いた。本当に彼女は、俺が隣にいるのも気が付かないほどに、集中していたのだった。
「さっきから、何を考えているんだ?」
「……ううう、その」
「うん?」
「あの、ヴィエイユさんのことです」
「ヴィエイユ? ヴィエイユがどうした?」
「何だか、変な視線を感じるのです」
「変な視線?」
「何と言うか……その……観察されているというか……。ただ、興味本位で観察されているという視線と共に、憎しみの視線も感じるのです」
「憎しみの視線?」
「はい……。これまでは、興味本位で見られていると感じることが多かったのですが、今回は、その……何というか、複雑な視線を感じるのです」
「そうか……。俺の探知にはそんな奴は引っかからなかったけれどな。まあ、ヴィエイユのことだ。俺の探知をすり抜けるマジックアイテムを装備している可能性はあるけれどな。ちょっと待て……そうなるとメイのことが……。あっ、ちゃんと屋敷に帰って来ている。風呂に入っているな。大丈夫だ」
そのとき、シディーがスッと手を繋いでくる。俺もその手をやさしく握り返す。
「私たちを観察したいというのであれば、自分の懐……。つまり、教皇神殿に私たちを招待するというのはわかります。ただ、憎しみの感情があるのであれば、自分の住まう場所には入れないと思うのです」
「どうしてだ? 憎い相手ならばむしろ、己のテリトリーに入れて一網打尽にするという手段は効果的だと思うけれど?」
「いいえ。ヴィエイユさんの性格上、それはしないと思います。あの人は、己が嫌う者が自分のテリトリーに入ってくると、強い不快を感じる人です」
「そんなものかな?」
「特に今回はそれを強く感じました。あの方の立場がそういう感情を強めているのかもしれません」
「で、シディーは、ヴィエイユがどうして嫌いな俺たちを自分の住まいに招待した理由を考えていたと」
「はい……どうしても説明がつかなかったものですから……。あの方は、相手の戦力を読み誤るようなことはしない人です。リノス様や私たちに攻撃を仕掛けたところで失敗するのは目に見えています。ですから、むしろ、ご自身の優秀さを私たちに誇示する、あわよくば、ヴィエイユという一人の女性に興味を持ってもらおうというのが今回の意図であると思うのです。それは、間違いないと思います」
「だとすると、憎しみの視線の説明がつかない……」
俺の言葉に、シディーはゆっくりと頷く。
「ヴィエイユは何を考えているのだろうな」
「ただ……」
「ただ、何だ、シディー?」
「直感的に、今回の学会は穏便に終わりそうな気がするのです。そして、リノス様やメイちゃん、私たちにも被害はない気がするのです」
「じゃあ、別に心配ないじゃないか」
「そうなのですけれど……。やっぱり……」
「気になる、か?」
「はい……」
「じゃ、少し気分を変えようか」
そう言って俺は、シディーを優しく抱き寄せる。彼女はギュッと目を閉じて、顔を赤らめている。
「それとも、今夜はゆっくり眠るかい?」
俺の言葉に、彼女は小刻みに顔を振った。
ゆっくりと、彼女の着ているパジャマを脱がしていく。これもいつものことだが、シディーは絶対に自分から服を脱がない。敢えて聞くことはないが、妻たちの中で、自分から服を脱いだことがないのは、シディーだけだ。
瞬く間に彼女は一糸まとわぬ姿になった。そのとき、シディーが小さな声で呟く。
「……ごめんなさい」
「うん? どうした?」
「こんな体で……」
「何を今さら……。俺は、シディーの体は大好きだよ」
「ううう……」
「何ていうかその……抱き心地が最高なんだよな。すべてがちょうどいいというか、俺の腕の中にきれいに収まってくれるというか……シディー?」
よく見ると、シディーの体が小刻みに震えている。そして、顔が真っ赤に染まっている。
「ごめん。……灯りを消そうか」
シディーはゆっくりと頷いた。この夜のシディーは、なかなか俺を離さなかった。ずっと俺に抱き着いたままだったのだ。こうした場ではほとんど自分を表現しない彼女が、精いっぱいの主張をしたのだ。そんなシディーを愛おしく思いながら、俺は彼女を強く抱きしめた。
◆ ◆ ◆
同じ頃、教皇神殿の一室では、ヴィエイユが数名の枢機卿と何やら打ち合わせを行っていた。
「教皇聖下……そ、それはあまりにも……」
一人の枢機卿が驚きの声を上げた。そんな彼の表情をヴィエイユはいたずらっぽい目で眺めている。
「何か、問題があるかしら?」
「教皇聖下が常に背中を曝すというのは……」
「いけませんか?」
「そっその……警備上の都合もございます。もし、襲われでもしましたら……」
「あら? そういう心配がないように、万全の警備態勢を敷いていると言っていたのは、誰だったかしら?」
ヴィエイユの声に、枢機卿はオロオロとしながら頭を下げる。
「お待ちください、教皇聖下」
別の枢機卿が口を開く。ヴィエイユはスッとその男に視線を向ける。
「ライアガート枢機卿が申されることも一理ございます」
「……」
「ライアガート枢機卿がお考えになった警備体制は万全です。ですが、常に教皇聖下が背中を曝している状態では、ライアガート枢機卿の気の休まる時間がございません。それは我々も同じでございます。誠に恐れ入りますが、教皇聖下におかれましては、こちらで学会の推移をお見守りいただきたく、お願い申し上げます」
枢機卿はゆっくりと机の上を指さす。そこには、明後日に行われる学会の見取り図があった。ヴィエイユはしばらくその図面を眺めていたが、やがて、ある場所を指さした。
「それでは、私はここで、学会の様子を見ることにします」
彼女が指さしたのは、座席の一番後ろの席だった。
「ここならば、学会の全体が見渡せます。それに……誰にも背中を曝すことはありません。当初、私が希望した一番前の席よりは、遥かにあなた方の心配は軽減されると思いますけれど?」
「……」
枢機卿たちは顔を見合わせている。そんな彼らの様子を満足そうな表情を浮かべながら、ヴィエイユは眺めている。
「発表者の後ろに座るのは、どうしても全体を見渡せません。それに……この席は、先代教皇が座っていた席……。あのような俗物の塊が座っていた席に、私は座りたくありません。私は、常に信者と共にありたいのです」
ヴィエイユの言葉に反論するものは、誰もいなかった。




