第五百二十一話 ご案内
アフロディーテに到着してすぐ、俺たちは教皇神殿に案内された。船は神殿の地下に停泊しているので、移動距離はものの数分だった。
多くの船舶がひしめく港を横切るような形で、俺たちの船は進んでいった。先には小さな案内船が先導していたのだが、船影が全く見られない場所にどんどんと案内してくのだ。一瞬、何かの罠かと思った程だ。だが、その不安はすぐに払しょくされた。ふと見ると、巨大な白亜の城の真裏に船は進んでいた。
その城のすぐ下には小さな穴のようなものが見えた。案内船はそこに向かって進んでいく。当然、俺たちの船もそこに向かって進んでいく。穴の中はまるで船のドッグを思わせるような、巨大な造りになっていて、いつの間にこんなものを拵えたのかと思った程に、そこは設備が整えられていた。
船が停まり、下船を促された俺たちは、ゆっくりと桟橋を渡っていく。しばらく行くと、人影が見えた。ヴィエイユだ。彼女は俺たちを見つけると、嬉しそうな表情を浮かべながら恭しく一礼した。
「お久しぶりでございます。皆様をお迎えできて、光栄でございますわ」
……本当かよ。心の中で苦笑いを浮かべながら彼女の言葉を聞く。メイもシディーも、淡々と彼女の挨拶を受けていく。その中で、意外にまともな返答をしたのが、メインティア王だった。
「いや、このような晴れがましき会に招待いただいたのは、我が国にとって誉れ高いことだ。これだけの規模の学会を開催されるにあたっては、色々とご苦労も多かったことでしょう。多大なるお骨折りをいただいたこと、感謝申し上げる」
おお、このバカ殿、やればできるじゃないかと思わず彼に視線を向ける。メインティア王は、お互い、有意義な時間を楽しみましょうと言って、ヴィエイユと握手を交わしている。大上王はその隣で、鋭い視線を投げかけている。きっと、ヴィエイユに心を奪われはしないかと警戒しているのだろうが、その心配は皆無だ。この殿様は、美女には興味がない。むしろ、心配なのはヴァイラス公爵の方だ。この人は、実に女好きだ。当然、ヴィエイユについては裏も表も知っているはずだが、油断はならない。気が付いたら、心を奪われていましたという状態になりかねない。実際、二人が握手をする場面では、視線を絡ませ合って、濃密な雰囲気を作り出していた。
「あれ? グラリーナさんの姿が見えないようですが?」
ヴィエイユが俺たちを見廻しながら声を上げる。この学会には、グラリーナも招待されていたのだが、今回は参加を見送ることにしていた。元々、このアフロディーテで研究をしていたが、彼女はある意味で、この国を裏切っている。アフロディーテでは、グラリーナを知る者も多いだろう。もし、彼女が襲われでもしたら、精神的に相当なショックを受けるだろう。俺には結界があるので、肉体的な攻撃は防御できるが、精神的な攻撃に対しては結界では防御できない。それもあって、グラリーナの参加を見送ったのだった。
実際彼女は、アガルタ大学の医療研究所で多くの薬を開発して成果を上げている。メイにとっても良き相談相手であり、彼女はアガルタにとって欠くことのできぬ人材となっていた。
「グラリーナさんは、今回は不参加です」
ヴィエイユの問いかけに、ローニが毅然と返答する。ヴィエイユは笑顔を崩すことなく、応用に頷いている。
「グラリーナさん本人は参加したかったのですけれど、私が差し止めたのです」
ローニの言葉に続いて、メイが口を開く。メイの参加を差し止めたという言葉が意外だったのか、ヴィエイユはキョトンとした表情を浮かべながらメイを眺めている。
「実は……グラリーナさんは身ごもられたのです」
「えっ? マジで?」
思わず声が漏れてしまった。そんなことは初めて聞いた。確か、結婚したとは聞いていたのだが、まさか身ごもっているとは思わなかった。
そんな俺にメイは優しい眼差しを向けてきた。
「お伝えするのが遅れまして、申し訳ございませんでした。元々、懐妊の兆候はあったのですが、はっきりと判明したのが、こちらに出発する直前でして……」
「あっ、いや、おめでたいことだ。体を大事にするように伝えてくれ」
俺の言葉に、メイはゆっくりと頭を下げた。
ヴィエイユは、ご案内しますと言って、スタスタと歩き始めた。俺たちも彼女に付いて行く。すると、リボーン大上王が大股で俺たちを追い越していき、ヴィエイユの隣に並ぶ。そして、学会の開催について感謝の言葉を述べ、さらに、彼女に向けて持論を展開し始めた。
……メチャメチャ難しい話だった。要は、知識の共有という作業は、すべての人種や思想の違いを超えるものだ。その最も効果的な方法がこの学会という場なのだ、と言うのを強調しているのだとメイが教えてくれた。ヴィエイユは、ええ、そうですわね、仰る通りですと言いながら相槌を打っているが、おそらく聞いていないだろう。
階段を上がっていくと、広いホールのような場所に出た。ヴィエイユの説明では、今宵、学会の参加者を集めてのパーティーが開かれるのだという。それまでは、教皇神殿の一室で休息するように勧められた。断る理由もないので、従うことにする。
ヴィエイユは自ら先頭に立って、俺たちを部屋に案内した。そこはまるでスイートルームのような、豪華絢爛な部屋だった。部屋に入るとすぐに広いリビングがあり、そこを中心に、ベッドルームが六つも用意されていた。さらに部屋には風呂、トイレが完備しているなど、まさに至れり尽くせりの部屋になっていた。
「どうぞ、こちらからアフロディーテの景色をご覧ください」
部屋の説明を終えたヴィエイユが、リビングの窓の前に立つ。巨大なガラスがはめ込まれた窓……。そこから見下ろす景色はまさに、絶景と言えた。美しい海、白で統一された見事な都市。まるで、計算されつくしたかのような景色に、俺は思わずため息をついた。
「ほほう、無駄なところが一切ないね」
誰に言うともなく呟いているのは、メインティア王だ。その言葉にヴィエイユは恐れ入りますと言って頭を下げている。一方、リボーン大上王は、余計なことを言うなとばかりに、メインティア王を睨みつけている。
「アフロディーテは一度、破壊されましたが、驚異的な速さで復興しました。その際、以前の様式を改めまして、人やモノが機能的に行き来できるように、効率的な都市として生まれ変わったのです」
「まさに、難攻不落の都市じゃな」
リボーン大上王が口を開く。彼曰く、周囲を海に囲まれているだけでなく、都市の入り口である港が桝形になっているだけでなく、そこからこの教皇神殿まで、至る所に桝形が配置されていて、どんなに大軍勢で攻めても、この神殿までたどり着くことはできないだろうとのことだった。その言葉に、ヴィエイユはにこやかに頷いている。
メインティア王は笑みを浮かべながら窓の外を眺めていたが、やがて、口ひげを撫でながら俺に向き直った。そして、首を少し傾けてみせた。どうやら彼は、この都市には何の魅力も感じていないようだ。
彼の意図が読み取れなかったのか、ヴィエイユは不思議そうな顔をしている。何だか、ヘンな間が開いてしまった。
そのとき、絶妙なタイミングで数名の女性が入ってきた。どうやら俺たちの世話をするスタッフのようだ。ヴィエイユはその彼女らを紹介して、何かあれば彼女らに何でもお命じ下さいと言って、その場を後にしていった。
その後ろ姿を眺めながら、シディーは人差し指を顎の下に当てて、何かを考え始めた……。




