第五二十話 親子の思惑
三月の暖かい風がやさしく吹き続ける中、新・クリミアーナ教国の教都であるアフロディーテでは、ある種の異様な光景が出現していた。普段は、白で統一された衣服を身に付けた信者たちで行きかうため、遠目からは光が放たれているように見える大通りが、赤、青、黄色……といった色が点在して、一見すると通りが汚れているように見えるのだ。これは、ここで開催される「学会」に参加するために訪れた者たちが纏う衣服の色がそう見せているのだが、彼らが纏う原色の衣装は、白で統一されたこの都市の景観を崩していた。
これには訳がある。濃い原色の衣装を身に付けている者たちは、過去にクリミアーナ教国から干渉を受けるなどして、この国に遺恨を持つ国や団体の者たちだった。彼らは、白を国と教団の色とするクリミアーナに対抗する形で、敢えてそれとは違う色、しかも、できるだけ派手に、濃い色合いのものを身に付けていた。これは、彼らのささやかな抵抗を示すためのものだったのだが、実際にヴィエイユの住む教皇神殿から見下ろすと、彼らの衣装は、まるで聖都と位置付けるアフロディーテを汚しているかに見えた。この光景を見て、不快感をあらわにする枢機卿も少なくはなかった。
だが、ヴィエイユはそんなことは歯牙にもかけず、淡々と学会の準備の進捗を確認していた。そして、水も漏らさぬ警備体制と、万全の準備が整ったことを確認して、満面の笑みを浮かべるのだった。
そのアフロディーテの沖合には、多くの船がひしめき合っていた。その中をひときわ大きな船が二隻、ゆっくりと港に向かっていく。そこに掲げられている旗を見れば、船はヒーデータ帝国とフラディメ王国のものであることがわかる。
先頭を走るフラディメの船。その後ろを悠然と進んでいるヒーデータの船。まるで、フラディメがヒーデータを道案内するかのようなその光景に、人々は思わず注目する。
「あ、アフロディーテが見えました。もうすぐ到着するようですね」
「早いな」
太陽の光をまぶしそうに手で遮りながら口を開いているのは、アガルタ王の妃の一人であるメイリアスだ。彼女は懐かしそうな表情を浮かべながら、アフロディーテを見つめている。
その傍らでぶ然とした表情を浮かべているのは何と、フラディメ王国のリボーン大上王だった。彼もまた、メイと同じようにアフロディーテを眺めているが、その表情には悔しそうな感情がありありと現れていた。
一方、フラディメ王国の船には、国王であるメインティア王が機嫌のよさそうな表情を浮かべながら、目の前に迫るアフロディーテを眺めていた。その彼の後ろでは、小さな子供がパタパタとデッキの上を走り回っていた。
「もうすぐ到着するぞ」
不意に男性の声が聞こえた。メインティア王はスッと視線を移す。そこには、アガルタ王、リノスの姿があった。そして、彼の隣には、緑色の髪の毛を持つ女性……。妃の一人であるコンシディーが寄り添っていた。
その二人の許に、先ほどまで走り回っていた子供が、まるで飛び込むようにして駆けてくる。きつい天然パーマのかかった、緑色の髪を持つ少女……。リノスとコンシディーの間に生まれた娘、ピアトリスだった。リノスはその娘を大事そうに抱き上げる。
「とうたーん。全然見つからないよー」
ピアトリスは抱き上げられた父の肩につかまりながら、キョロキョロと周囲を見廻す。そんなリノスたちの許に、メインティア王は静かに近づいていく。
「まだ、見つからないのかい? 体の大きな倅だ。すぐに見つかりそうなものだが」
メインティア王は笑みを浮かべたまま周囲を見廻す。
「ちょっとやそっとじゃ見つからないと思いますよ。な、シディー」
口を開いたのはリノスだ。彼は隣のコンシディーと顔を見合わせながら頷いている。そのとき、彼らの頭上から大きな声が聞こえた。
「父上!」
「あっ、オンサール君、見つけた!」
ピアトリスがあらぬ方向を指さす。そこからは、大きな樽があり、その中から子供が首だけを出していた。これは、メインティア王の息子であるオンサールで、彼はしまったという表情を浮かべながら顔をしかめていた。
「なるほど、大きな樽の中に隠れていたか。それではなかなか見つけることはできないね」
「父上……出られないです。助けてください」
「仕方のない奴だ。しかし、やらないよりはやった方がいい。経験になるからね」
メインティア王がオンサールを樽から引き揚げた直後、それが合図であったかのように、船はゆっくりと向きを変えた。
「それにしても、こんなに順調な旅になるとは思わなかった。きっと、ここでの学会は大成功に終わるだろうね」
目の前に迫るアフロディーテを眺めながら、メインティア王は誰に言うともなく呟く。
「順調……ね。まさか、俺たちの船を待ち伏せているとは思わなかったですけれどね」
リノスの言葉に、メインティア王は驚いたような表情を浮かべる。
「何を言うんだい。偶然さ」
リノスは胡散臭そうな表情を浮かべながら、メインティア王を見つめる。彼には、リノスたちがアフロディーテを出発する日を知らせていなかったばかりか、前回同様、ヒーデータ帝国の船に乗って行くことすらも伝えてはいなかった。当初、リノスたちは転移結界を使ってヴィエイユの許に向かおうと考えていた。だが、一度船に乗ってみたいというピアトリスやシディーのおねだりを聞く形で、彼は船で移動することにしたのだった。この決断には、屋敷にいては色々と仕事に追われがちなメイを学会発表に集中させることができるという考えもあってのことだった。それを決めたのは、出発の直前だったが、ヒーデータ帝国はリノスたちの乗船を歓迎したのだった。だが、彼らののんびりとした船旅は三日前、突然急変した。何と、リノスたちが乗る船の前に、一隻の船が現れたのだ。それが、フラディメ王国の船だった。
「いや、君たちに出会えて助かったよ。何しろ、あんな狭い船の中で父と一緒に過ごさねばならないのは、苦痛以外の何物でもないからね」
そう言ってメインティア王はカラカラと笑う。実際、大上王はリノスたちを見つけるや否や、船を横づけにして自ら船に乗り移ってきた。そして、メイを見つけるとそのまま話し込み、自船に戻ろうとはしなかった。さらに大上王は、同船していたヒーデータ帝国のヴァイラス公爵の勧めを受けてそのままヒーデータの船に泊まり込んでいた。さすがに、寝室まで押し掛けることはなかったが、夜は同船していたポーセハイのチワンと遅くまで語り合っていたのだった。
大上王の知的好奇心は凄まじく、常にリノスたちを質問攻めにした。そのあまりの迫力にリノスとシディーは早々に音を上げた。そこに声をかけてきたのが、メインティア王だった。彼はこっちに来ないかと二人を誘った。メイには悪いと思いながらもリノスとシディーはピアを連れてフラディメの船に移った。そこには、メインティア王の息子であるオンサールがいた。
てっきりアガルタの都で暮らしていると思っていたリノスは驚いたが、メインティア王は何事もなかったかのように、後学のために息子も同行させると言って笑った。そのあまりのタイミングの良さに、リノスは、メインティア王と大上王が示し合わせたのではないかと考えた程だった。
メイと喋りたい大上王、そして、その大上王から離れると同時に、息子のオンサールとピアトリスを近づけ、ゆくゆくは二人を結婚させたいと望むメインティア王。二人は示し合わせたわけではなかったが、結果的には、この親子の望む通りの展開となっていた。
そんな、色々な思いを乗せた二隻の船は、ゆっくりと港に入港していった……。




