第五百十九話 汲み取る
新・クリミアーナ教国の教都、アフロディーテ。白で統一されたこの都市が、いつになく活気づいていた。
その理由は、これまで停止されていた大規模な人事異動である「ジモーク」が復活することだった。世界中から主だった信者が集められ、このアフロディーテに迎えられる者と去る者が決まるのだ。すでに街には夥しい数の信者が集まり、活況を呈していた。
この都市は、前教皇、ジュヴァンセル・セインが討たれた際に、大きく破壊されている。現教皇であるヴィエイユは都市を再建するにあたり、都市の色は白のまま残したが、その町並みは、これまでの雑然としたものから機能的で統一的な様相に改められた。港から教皇神殿まで伸びる広く、まっすぐな道。その両側に並ぶ建物の高さはすべて統一され、見事な景色に変わっていた。また、信者たちが住む場所も細かく定められ、物資の流通と人の流れが効率的に行われるよう工夫が凝らされていたのだった。
海を越えてやってきた信者たちは、この都市の様子を見て驚いた。そしてすぐに、これがヴィエイユの手腕であることを悟ると、この世の生き神である教皇の住む神殿に向かって、祈りを捧げるのだった。
実際、ヴィエイユの手腕は見事の一言に尽きた。都市の再建計画もさることながら、全世界に散る信者たちの心を完全に掴んでいた。彼女は己が信頼する枢機卿を全世界に派遣し、前教皇であるジュヴァンセル・セインの醜聞を吹聴させると同時に、ヴィエイユ自身の素晴らしさを強調させた。彼女はそうした話を信徒たちに流布させながら、徹底的に信徒に対する支援を行った。そうすることで、クリミアーナ教の信徒は、以前よりも増して信仰心を厚くしていった。
時はきた――そう判断したヴィエイユは、全世界に向けてジモークを行うことを宣言したのだった。
翌日、アフロディーテの大聖堂に、教徒が一堂に会していた。彼ら、彼女らの視線は教皇であるヴィエイユに向けられている。正確には、彼女から視線を外すことができないでいた。それほど、ヴィエイユの美貌は輝きを放っていたのだった。
陶然とする信徒たち一人一人に、ヴィエイユは視線を向けていく。彼女と目が合うと、ある者は思わず視線を外し、ある者はさらに目を丸くする。ヴィエイユはジモークが行われている間、一人一人違の反応を楽しんでいた。
淡々と進められていくジモーク。前教皇の頃は、発表によっては会場内がどよめくなどの反応が見られたが、今回はそれは皆無と言えた。不平不満を口にする者もいなかった。
ちょうど、ヴィエイユが全ての信徒と目を合わせ終わった頃、ジモークは終わりの時を迎えていた。そして、それを待っていたかのようにヴィエイユは口を開いた。
彼女の口から二つの事が発表された。一つ目は、二ヶ月後にここアフロディーテにおいて、「学会」を実施すること。これには、クリミアーナ教国には苦い思い出がある。それを今になって再び開催することに、疑問を持つ者も多かった。だが、彼らの懸念は、ヴィエイユの一声で雲散した。
「確かに、以前このアフロディーテで開催された学会で、我々クリミアーナの威信は地に落ちました。しかし、その威信は、失墜したままでいいのでしょうか? 私は、今こそ、我らは、以前の輝きを取り戻すべきなのです。そのための準備は完了しております。我々は、貴族の間で流行するライパートメント病の特効薬を開発することに成功しました」
場内に大きなどよめきが起こる。ライパートメント病とは、世界中で、なぜか貴族の間で流行する病で、激しい虚脱感に襲われると同時に、体、特に手足が痺れて歩行困難となり、最終的には死に至るというものだった。その原因の解明と特効薬の開発は急務とされていたのだが、どの国をもってしてもその開発には至っていない。それを、この新・クリミア―ナ教国が開発したというのだ。もしこれが本当であれば、全世界を揺るがすニュースとなることは間違いなかった。
再び過去の威信を取り戻せるかもしれないという期待感が、会場内に満ちていく。その様子をヴィエイユは満足そうに眺めている。
「静粛に! ……その学会ですが、世界各国から国賓の方々がお見えになります。くれぐれも粗相のないようにお願いいたします。その警備については、ライアガート枢機卿にお願いすることにします」
「お待ちください!」
突然、ヴィエイユの言葉を遮った者がいた。教皇の言葉を遮る……。クリミア―ナ教徒にとってこれは、不敬に当たる行為だ。だが、声の主は、そんな後ろめたさを微塵も感じさせず、自分の席を離れたかと思うと、堂々とした足取りでヴィエイユたちが居並ぶ舞台の前に進み出た。そして、片膝をついて、恭しく一礼した。
「これはラッカー様。一体どうなさいました?」
男はスッと顔を上げる。身の丈は優に百八十センチを超える大柄な巨漢。口元には顎ひげを蓄え、その表情は精悍そのものだ。彼はヴィエイユの問いかけに、嬉しそうな表情を浮かべながら返答する。
「そのお役目、是非、この私に賜りたく存じます」
「いえ、それには及びません」
ヴィエイユは柔和な表情を浮かべてはいるものの、その瞳の奥は冷たい光を湛えている。
「ラッカー様サブクリナー王国には、先のバーリアル王国への遠征でも大きなお力添えをいただきました。今回もお手を煩わせるわけには、参りませんわ」
「いいえ、教皇聖下。我がサブクリナー王国は、古くからクリミアーナ教国軍の先鋒を勤めております。教皇聖下が申されました、先の戦いにおいても、我が軍は先鋒の誉れにあずかりました。言わば、我らは百戦錬磨の軍勢でございます。各国の君主の皆様をお守りするのは、我が軍を置いて他にはございません」
ラッカーの言葉を受けて、ヴィエイユはニコリと微笑む。
「その通りです。我が軍の先鋒を勤めるのは、貴国を置いて他にはございません。歴代にわたる我が教国への貢献には深く感謝申し上げます。ですが、今回はどうぞお休みくださいませ。間違っても、争いに発展することはございませんわ」
「では、せめて、教皇聖下の御身だけでもお守りしたく存じます」
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分ですわ。確かに、ラッカー様がお傍についていただきますと、身の安全は保障されるでしょう。ですが、その様子を見た他国の方々はどうお思いになりますでしょうか。今回は単に学会を開催するだけでございます。徒に、各国を刺激する必要は、ございませんわ」
ラッカーはゆっくりと立ち上がり、なおもヴィエイユを見つめ続けている。会場内に不思議な沈黙が流れる。
「私は、教皇聖下の御ために、この身を捧げることが何よりの幸せなのでございます。どうか、この私の思いをお汲み取りください」
「承知しました」
「これからも私は、教皇聖下に害をなす者を排除してまいります」
まるで周囲に宣言するかのような口ぶりだった。ラッカーは恭しく一礼すると、ゆっくりと自分の席に戻っていった。その様子を見ながらヴィエイユは、誰にも悟られることなく、ゆっくりと息を吐きだしていた。
ヴィエイユはこのラッカーが生理的に嫌いだった。彼を見ていると、以前、自分を襲おうとしたある国王のことを思い出すのだ。
でっぷりと肥った体。脂ぎった顔。そして、鼻をつく口臭と体臭……。男性として受け入れることのできる点が微塵もなかった男だ。その男に乱暴に裸にされ、危うく操を奪われそうになったのだ。その経験はトラウマとなって残り、今でもヴィエイユの心の傷となっていた。
いけないいけないと自分に言い聞かせつつ、ヴィエイユはこのジモークを進めるべく、頭を切り替えるのだった……。




