第五百十八話 ロイス後日談
ルワザン島のレイス火山。数日前に大噴火を起こしたこの島は、降り積もる火山灰に埋もれていた。同時に、火口付近ではいくつもの溶岩ドームが形成され、いつ火砕流が発生してもおかしくない状況だった。それに加えて、火山から噴出される有毒ガスが、島全体を覆っているため、この場所に近づくことはまさに、自殺行為と言えた。
そんな、ある種のこの世の地獄とも思えるような島に、一組の男女が降り立っていた。二人はしばらく、もうもうと黒煙を上げ続けるレイス火山を眺め続けていた。
「……大丈夫か?」
初老の男性が隣の女性に声をかける。一見すると少女のような風貌をしているが、体に纏う雰囲気は、少女のそれではない。ある程度のスキルを持つ者であれば、すぐにただ者ではないことを看破できる程の空気感を、その二人は纏っていた。
男の問いかけに、少女はゆっくりと頷く。その表情は少し苦しそうだ。
「今のお前の体では、この環境には耐えられぬのではないか。苦しいならば……」
「問題ない。行こう……」
少女は男の言葉を遮って歩き出す。
島に訪れたのは、黒龍のツネとシャリオの兄妹だった。二人は元のドラゴンの姿ではなく、人化した姿でこの島を訪れていた。しかも二人には龍王の監視が付いていた。もちろん、龍王の姿はここにはない。彼は、この島から離れた場所で、気配探知と魔力探知を使って二人を監視していた。
この兄妹がルワザン島に赴いたのには理由がある。弟であるロイスの死をこの目で確認したかったからだ。ロイスは死んだという龍王とアガルタ王リノスの言葉が、二人にはどうしても信じることができなかった。
龍王の話では、ロイスは腹を切り裂かれ、臓物を引きずり出されたのだという。その上、この火山の爆発……。通常で考えれば、たとえドラゴンとはいえ、生きることは難しい。だが、二人にはロイスが死んだとはどうしても思えなかった。
狡猾さにおいては群を抜いていたロイス。敵を欺くためならば、どんな手段も厭わない性格であることを兄妹はよく知っていた。それだけに、二人はどうしてもロイスの死を確認したかったのだった。
だが、それには龍王が首を縦に振らなかった。二人を己の監視下に置くと言って、譲らなかったのだ。
ツネとシャリオは、龍王から死一等を減じられていた。それは、先の戦いで龍王とリノスに味方して、大いに功績をあげたことによるものだった。
ロイスが潜んでいたマグマ溜まり……。そこに、龍王とリノスの影武者として赴いていたのが、彼らだった。二人にはリノスの結界が張られていたが、その中でも己の気配を消すように努めると同時に、ロイスに気取られないよう、自身のスキルを徹底的に秘匿し続けた。そのために二人は、飛べば僅か数十分で到達できるにもかかわらず、わざわざ山の麓から徒歩で山を登り、ロープを使用などしてマグマ溜まりまで赴いたのだ。
その成果もあってロイスは、近づいてきた二人を龍王とリノスと誤認して、ルワザン島に向かった。まさしく、ツネが描いたシナリオ通りに事が運び、リノスたちはロイスを倒して、リコとソレイユを奪還することができたのだ。リノスが愛する妻を取り戻せたのは、まさしく、ツネのお蔭と言ってよかった。そのため、彼らの命は助けられたのだった。
だが、ロイスの死については、この兄妹と龍王達との意見は真っ二つに割れた。あの状況下で生きることは難しいという龍王。そして、二人を遥かに凌駕する気配探知能力と魔力探知能力を有するリノスが、その力を駆使してロイスの気配を探ってみても、何の反応も見られないことを説明しても、この二人は納得しなかった。
何としても、この目でロイスの死を確認したいと懇願する二人に、龍王はにべもなく首を横に振り続けた。
「じゃあ、りゅーおーくんが一緒に行ってあげれば?」
助け舟を出したのは、リノスの娘であるアリリアだった。彼女はツネとシャリオの前に進み出ると、まるで教師が生徒に諭すかのようなポーズで語り始めた。
「二人とも、遅くならないうちに帰ってくること。人にめいわくをかけないこと。悪いことをしたら、ごめんなさいってあやまること。いい?」
彼女の言葉に、二人は戸惑いながら頷いた。その様子を頷きながら見ていたアリリアは、龍王に向き直る。
「りゅーおーくんは、お兄ちゃんらしく、ツネくんとシャリオちゃんをちゃんと連れて行ってあげること」
「よいだろう」
「乱暴しないこと」
「乱暴は、しない」
「お行儀よくすること」
「お行儀よく、しよう」
「やさしくすること」
「やさしく、する」
まるで姉が弟に諭すような場面だった。その光景をツネはぽかんと口を開けながら眺めていた。あの龍王が、羊獣人の少女の言葉を、唯々諾々として受け入れているのだ。ツネにとってこれは、考えられない光景だった。
ツネの知る龍王は、歯向かう者には容赦がない恐ろしい存在だった。一族全員が、彼によって葬り去られたことも一度や二度ではなかった。まさにドラゴン族の頂点に君臨する者であり、彼に歯向かうことはすなわち、一族全員の死を現すものだった。
ところが、だ。目の前の龍王は、少女の言葉に素直に従っている。それだけではない、彼は少女の言葉を必ず守る。羊獣人の少女からは、支配的な雰囲気は微塵も感じられず、一方的に龍王が少女に従っているように見える。この関係性も、ツネには理解することができなかった。
ともあれ、少女の鶴の一声でルワザン島行が許可された。しかも、リノスが、スキルが奪われているシャリオに結界を張って送り出してくれたのだ。さらに都合のいいことに、島のすぐ近くまで来ると、龍王は目がしょぼしょぼするので、二人に付いてくることを断念したのだ。
「我の探知能力から逃れられると思うな? 逃げようなどと、変な気を起こさぬことだ」
そう言って龍王は不敵に笑う。だがツネには逃げる気持ちは毛頭なかった。彼はただ、弟の死を確認したいという思いの方が強かった。
ツネはシャリオと二人で無言のまま歩いて行く。リノスたちがロイスと戦った場所は、おおよその見当がつく。二人はその場所に向かって最短距離を歩いて行った。
「……ロイス、か」
突然、ツネが乾いた声を上げた。目の前には、巨大な黒い塊があった。
一見すると、巨大な岩のように見える物体……。だが、ツネにはわかった。これが、ロイスの躯であると。
「……マグマがここまで溢れ出たのか。それが中の兄さまの体を飲み込んだのか」
誰に言うともなくシャリオが呟く。よく見ると、ロイスの躯の先は、地面が真っ黒に染まっていた。
「……」
ツネは無言でロイスの体を覆っている、冷えた溶岩を取り除いていく。すると中から眼を見開いたまま絶命しているロイスの姿が現れた。
「……哀れな」
ツネは思わず目を背ける。ロイスの腹は切り裂かれ、その中には大きな石が詰まっていた。
「……噴石が腹の中に。相当熱かっただろう。これは、中の兄さまは、堪らなかっただろうな」
シャリオも少し顔をしかめている。事実、ロイスはリノスたちが転移した直後に起こった火山の爆発に巻きこまれた。その上、降り注ぐ噴石と火砕流が、龍王に引き裂かれた腹に容赦なく降り注ぎ、内臓を焦がしていった。ロイスは叫び声も上げることができぬほどの苦しみを与え続けられた後、押し迫るマグマに身を焦がしながら絶命したのだった。
「兄さま、どうする?」
シャリオがまっすぐな眼差しでツネを見つめる。彼は少し考える素振りをしていたが、やがて首を左右に振りながら口を開く。
「いや、このままにしておこう。ロイスが死んでいれば、墓を作ろうと思っていたが……。このままにしておくのがよいだろう」
「……私も、そう思う」
そう言ってシャリオも頷いた。
「あとは……ラアルの行方だな」
「……」
兄妹の中で最も思慮深いラアルは、忽然と姿を消していた。ロイスにどこに連れて行かれたのか、その行方は知れなかった。龍王もリノスも、ラアルのことには一切触れないところをみると、おそらく、彼らに気づかれることなく、その身を隠しているのだろう。
「奴が死ぬとは思えぬからな」
「ラアル兄さまのことだ。静かに暮らしたいのだろう」
「そうかもな」
ツネはスッと空を見上げる。まあ、そのうちどこかで会えるだろう……そんな確信がツネの心にあった。
数百年後、このロイスの体から緑色の芽がいくつも芽吹き、やがてそれは大きな木に成長していった。その木には甘い果実がなり、幻の果実と呼ばれるようになるのだが……。そんな未来が待ち受けているとは、このときのツネとシャリオには知る由もなかった……。




