第五百十七話 平穏な時
「リコ! リコ!」
慌ててベッドにしがみつくようにして、リコの傍に行く。彼女はぼーっとした表情のまま天井を眺めている。
「ママ! ママ! ママ!」
イデアやアリリアたち子供らが枕元に集まる。その声が耳に届いたのか、リコはゆっくりと視線を向ける。
「……まあ、イデア、アリリア」
小さな声だが、確かに子供たちの名前を呼んだ。どうやら大丈夫そうだ。リコはゆっくりと俺に視線を向けてくる。
「……リノス」
「リコ……よかった……」
何だか涙が出てくる。そんな俺に彼女はニコリと微笑みながら、静かに口を開いた。
「……久しぶりに、よく、寝ましたわ」
その言葉を聞いて俺は、笑いながら泣いた。
◆ ◆ ◆
リコの容体は、すぐに回復した。水分を摂り、軽い食事を摂ると再び眠り、夕方になると起きてきた。そして、家族と一緒に軽く食事を摂った。少しやつれてはいたし、ヨタヨタしながら歩いてはいたが、チワンやローニたちに言わせれば、しばらくすれば元の通りに生活できるだろうということだった。
リコはロイスに飲み込まれたことを覚えていなかった。ただ、アリリアを救わねばならないという強烈な使命感を感じたことだけは覚えていた。アリリアを突き飛ばして彼女を救った直後に、黒龍に飲み込まれたのだよと説明してみたが、リコは不思議そうな表情を浮かべたかと思うと、アリリアに向かって乱暴なことをしてしまってごめんなさいねと言って謝る始末だった。
まだ夢うつつの状態が少し残っている状態だったため、早めにリコを休ませることにした。風呂に入ってゆっくりと休むように勧めると、息子のイデアがリコの手を取って風呂に連れて行こうとする。リコが居ない間、余程寂しかったのだろうか。彼はリコが目覚めてからずっと母親の傍に付きっ切りだ。
そんな息子が愛おしいのか、リコはイデアやピアトリスらと共に風呂場に向かっていった。さすがに負担になりはしないかと思ったが、メイの好きにさせたらいいという言葉に従って、特に何も言わないでおいた。
突然呼び出してしまったチワンとローニには十分にお礼をしておいた。特にローニは、食事中を邪魔してしまったこともあって、屋敷で存分に食事を振舞った。夫であるドーキも呼んで、二人腹いっぱいに食べてもらったのだ。
そして夜、ベッドで一人横になりながら、俺はようやく一息つくことができた。本当に怒涛の数日間だった。いや、ドルガとヒヤマを巡る戦いに巻き込まれてからのことを考えると、本当に気の休まることのない日々が続いていた。
「……しかし、よく、厄介ごとに巻き込まれるな」
誰に言うともなく、そんな言葉を呟く。今回の日々があまりにも濃厚だったからか、これから先、こんなことがまた起こるかと思うと、何だか不安になってくる。
ただ、救いは、リコもソレイユも無事に戻って来てくれたことだ。エルザ様や摂政殿下、侯爵様やエリル、ファルコ師匠……。バーサーム家の人々は皆、亡くなってしまった。あのときと比較すると、心へのダメージは遥かに少なくて済んだ。
「ふう……」
俺は大きなため息をついて項垂れる。もう、家族が危機に晒されるようなことは起こらないでほしい……。そんなことを心の中で祈っていると、寝室の扉がゆっくりと開いた。部屋に入ってきたのは……メイだった。
「メイ……どうした?」
俺の問いかけに、メイは申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「その……眠れなくて……」
「どうした? ……そんなところに立っていないで、こっちにおいでよ」
メイはゆっくりと近づき、そして、俺の隣に体を横たえた。
「アリリアは?」
「シディーちゃんのところで寝ています」
「シディーと? 何で?」
「食事が終ってからずっと、シディーちゃんにドラゴンの生態について質問していまして……。あまりにも戻ってこないものですから、シディーちゃんの部屋に見に行ったら、そこで寝ていました。シディーちゃんも、このままここで寝かせましょうと言ってくれまして……」
「ピアは?」
「リコ様のところで寝ているようです」
「ピアもか? リコのところはイデアとピアと三人で寝ているのか? リコは眠れていないんじゃないのか?」
「私も同じことを心配しましたが、シディーちゃんは大丈夫だと……」
「……まあ、シディーが言うなら間違いないだろう。それにしてもアリリアはどうして、シディーのところにドラゴンのことを聞きに行ったんだ? ドラゴンのことなら、フェリスやラース……シャリオらに聞けばいいだろうに。まあ、龍王と言う手もあるが、あれは……役に立たんからお勧めはしないけれどな」
ふと見ると、メイがクスクスと笑っている。どうしたのだと聞く俺に、メイは笑顔のまま口を開く。
「大丈夫です。アリリアと龍王様はご主人様がお考えになっているようにはならないと思います」
「うん? どういうことだ?」
「アリリアにとって龍王様は、あくまで仲のいい友達の一人です。龍王様はどうやら、アリリアの声を聞くと無条件で従ってしまうようです。ですから、あまり心配されることはないと思います」
「そんなこと……どうしてわかるんだ?」
「だって……私の娘ですもの」
「……そんなものか?」
「そんなものです」
メイの澄んだ瞳は、何となく納得させるものがあった。俺は体をベッドに横たえながら、ふと、ロイスのことを考えた。
「……一度、ヤツの様子を見に行ってみるか」
思わず呟いた俺の言葉が意外だったのか、メイはキョトンとした表情を浮かべている。
龍王に腹を切り裂かれ、中を散々にかき回されたのだ。しかも、火山の噴火もあった。ヤツが生きている可能性はゼロに等しい。だが、万が一のこともある。生きていたらこれほど厄介なヤツもいないのだ。
そう思いながら俺は目を閉じて、ロイスがいた方向に魔力を集中させる。当然ながらロイスの気配や魔力は感じることはできなかった。ずいぶん距離も離れているし、ヤツが万全の態勢で本気になれば、これだけ距離の離れている俺から姿を隠すことは容易にできることだ。
「ご主人様、ご主人様……」
メイの声でふと目を開ける。目の前には、メイが心配そうな顔をしていた。俺は思わずすまないと謝る。
「ちょっと、考え事をしていた」
「黒龍のことでしょうか?」
「……よくわかったな」
「何となく、そう思ったのです」
メイはそう言いながら、俺の手をゆっくりと握る。
「ご主人様の心配は、現実にならないと思います」
「なぜ、そう言い切れるんだ?」
「もし、何か事が起こるのであれば、真っ先にシディーちゃんが気付くと思います」
「あーなるほど。シディーの直感か」
「そうです。今回のことも、シディーちゃんはある程度予見していました。きっと、何か起こることがあれば、シディーちゃんが教えてくれると思います」
「そうか……そうだな。シディーが何も言ってこないということは、今のところは、心配ないってことだな。ありがとうメイ、それを聞いて安心したよ」
そう言って俺はメイの手を握り返す。彼女は少し、嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、寝るか」
「……ハイ」
俺は優しくメイを抱きしめた。体から伝わる彼女の温もりは、俺の心の疲れをゆっくりと癒してくれるような気がした。
一方、シディーの寝室では、今まさにベッドに入って眠ろうとしてるシディーが、眉間に刻めない皺を刻みながら固まっていた。
「……あれ? 何だか、えらいことが起こりそうな予感がするな」
彼女は注意深く、今感じた直感を分析していく。そして、ゆっくりと息を吐きだすと、誰に言うともなく呟く。
「まあ、何とかなりそうね」
そう言って彼女はベッドに横になった。シディーの直感は当然のごとく当たった。その頃、ルワザン島のレイス火山は二度目の大噴火を起こし、大量の火山灰が上空に巻き上げられていた。
それらの火山灰は広範囲にわたって降り注ぎ、海を越えて多くの国々に被害を与えた。特に農作物への被害は甚大で、一部の地域では数年にわたって食糧不足の状態が続くことになるのだった。
そうした状況をシディーは的確に予測していき、アガルタをはじめとする国々が支援に乗り出して、リノスたちアガルタの名声はさらに高まっていくのだが……。そんな未来が待ち受けていることを知らないリノスたちは、久しぶりに訪れた平穏な時間を、ゆっくりと堪能するのだった……。
黒龍編はこちらで終了です。ありがとうございました。
ロイスにつきましては、次話の間話で触れます。その後は新章に突入。一部ファンの皆様の熱い要請にお答えしまして、ヴィエイユにスポットを当てた物語を展開する予定です。お楽しみに!




