第五百十六話 おはよう
一瞬、周囲がまばゆい光に包まれた。俺とイリサルは思わず顔を見合わせる。
そんな俺たちに目もくれず、アリリアはパタパタと走って離れに入っていった。俺たちも彼女に続く。
足早に階段を駆け上がる。ソレイユの部屋の扉は開けられていて、その付近にはマトカルらが控えている。皆、俺たちに気が付くと、いそいそと扉から離れていく。
「ソレイユ……」
ベッドには、ぐったりとした表情を浮かべているが、確かに目を開けているソレイユの姿があった。その彼女の手を、アリリアが両手でしっかりと掴んでいる。
「マミー……マミー……」
小さな声で、まるでソレイユに囁くようにしてアリリアが口を開いている。そんな様子を、ソレイユは優しい眼差しを向けている。
「ソレイユ……よかった……」
ベッドのすぐ傍で俺は崩れ落ちるようにしてへたり込む。そして、アリリアの手の上に自分の手を乗せる。ソレイユは穏やかな笑みを浮かべている。
「意識は取り戻しましたが、憔悴したままです」
メイが申し訳なさそうに説明する。つい先ほど、ソレイユは目覚めたらしいが、衰弱が激しいためか、喋ることができないでいるらしい。すぐに水を与えてはみたが、ごく少量しか飲むことができず、容態としては、未だ予断を許さない状況なのだという。回復魔法をかけようと提案してみたが、おそらく効果はないのだという。
「今からアガルタ大学に行きまして、栄養価の高い食べ物と薬を取りに行ってきます」
「いや、ちょっと待って」
出ていこうとしたメイを止めたのは、イリサルだった。彼女はメイとソレイユを交互に眺めながら、言葉を続ける。
「薬よりも、里に戻ったほうが遥かに回復は速いはずだよ」
イリサルは自信満々に答えている。彼女曰く、サイリュースの里には、何と言っても族長様がいる。彼女の契約する森の精霊は最上位クラスであり、サイリュースとの付き合いも長い。族長様に頼めば、ソレイユの体調はすぐに回復するのだそうだ。
「食べ物や薬を使ったら、回復までに一週間以上かかってしまうだろう? それなら、族長様に頼んだ方が、絶対にいいよ!」
そう言ってイリサルは胸を張る。その様子を見てメイは少し考えていたが、やがて、ゆっくり頷くと、よろしくお願いしますと言って深々と頭を下げた。
念のため、ソレイユに確認を取ってみたが、彼女もやはりコクリと頷いた。善は急げとばかりに、俺はソレイユをお姫様抱っこする形で抱き上げる。
「マミー……マミー……」
アリリアが今にも泣き出しそうな顔で付いてくる。そんな彼女にイリサルはウインクをしながら優しく話しかけた。
「大丈夫。二日もあれば戻ってくるよ。それまで、いい子にして待っていなよ」
その言葉に、アリリアはゆっくりと頷いた。そのとき、ソレイユが小さな声で呟いた。
「アリリア……」
「マミー!」
「お歌……。とっても……上手……だった、わよ……」
アリリアは心から嬉しそうな表情を浮かべながら、何度も頷いた。
「うむ。良い歌だった。我も感じ入ったぞ」
何故か龍王が腕を組みながら、偉そうに胸を張っている。いつまでコイツは家にいやがるんだ。
バカ野郎、早く帰りやがれと言いたかったが、今はソレイユの容体を回復させることが先決だ。バカ龍は無視することにして、俺はソレイユを抱っこしたまま、ゆっくりと階段を降りていく。後ろからメイとイリサルも付いて来た。そして俺たちは、そのまま外に出て、転移結界を発動させる。
サイリュースの里の入り口は、森に閉ざされたままだった。まだ、俺たちの来訪に気が付いていないようだ。
「ちょっと待って」
イリサルがスッと目を閉じて、ブツブツと呟いている。すると彼女の体の周囲に炎が取り巻いた。
「よーし、任してくんねぇ。お~い、今帰ぇったよ~! 入れてくんねぇ!」
イリサルが契約しているサラマンダーが現れて、大声で叫んでいる。すると、目の前を覆っていた森がゆっくりと消え、サイリュースの里の入り口が見えてきた。
「……ずいぶんと古典的なんだな」
「何がだい?」
「いや、こっちの話だ」
そんな会話を続けながら、里に入っていく。すると、俺たちの気配に気づいたのか、数名のサイリュースたちがフワリと降りてきた。
「ソレイユ様!」
心配そうな表情を浮かべるサイリュースたち。この真冬のさ中だが、相変わらず彼女たちは薄着だ。体のラインがモロ見えだ。
「族長様は今、セイサム様を世話しておいでです。ご心配には及びません。ソレイユ様は私たちが必ず回復させて御覧に入れます」
サイリュースの一人がそう言うと、ソレイユの体がフワリと浮き上がった。そして彼女は四人のサイリュースに囲まれるようにして、里の奥に消えていった。
「もう、安心だよ。ソレイユ様が回復したらまた、報告に伺うよ」
「そうか……。このお礼はさせてもらうな。ありがとうな、イリサル」
俺は礼を言いながらも、やはりソレイユのことが気になる。それはメイも同じようで、じっとソレイユが消えた先を眺めている。
「大丈夫だって! さあ、リノス様も疲れているだろう? お屋敷でゆっくりと……もできないか。ただ、これから先は、私たちの仕事だよ。メイ様、はやくリノス様をお屋敷に……。さもないと、他のサイリュースたちが、リノス様を誘惑しちゃうよ」
メイはクスリと笑みを浮かべながら頭を下げる。そして、俺と腕を組むと、まるで諭すように口を開いた。
「ご主人様……ここは、引き揚げましょう」
その言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
再び屋敷に戻る。ダイニングには行かずに、再び離れに向かう。リコの容体が気になるのだ。
部屋に入ると、リコは安らかな寝息を立てていた。その傍にはチワンとローニが控え、そして、息子のイデアがじっと母の顔を眺めていた。ピアトリスは、イデアの隣で椅子に座らされていて、コックリコックリとうたた寝をしているところだった。
「チワン、ローニ、リコの容体は?」
二人は顔を見合わせていたが、やがて、チワンがゆっくりと口を開いた。
「ただ、眠っているといった状態です。ただし、三日近く飲まず食わずの状態だったのを考えますと、あまり楽観はできない状況です」
「リコ様には水分を少し摂っていただきましたが、眠っている状態ですので、どうしても少量になります」
チワンとローニの話を聞きながら、俺はリコの手を握る。小さいが、ほんのりと温かい。いつものリコの手だ。真っ白で、まるで白魚のような、きれいな手だ。その手を俺は両手で包み込むようにして握り締める。
「リコ……リコ……」
呼びかけてみるが、反応はない。ただ安らかな寝息が聞こえてくるのみだ。
俺の帰りを知った家族たちが集まってきた。皆、リコの邪魔にならないように、静々と集まってきている。そんなちょっとした優しさが、何とも言えずありがたかった。
「アリリア、歌ってみてはどうだ? この者も目を覚ますのではないか?」
龍王が口を開いている。このバカ龍はまだいやがったのか。睨みつける俺を、龍王も睨んでいる。マジで一度、本気で戦ってやろうか?
「りゅーおーくん、静かにしよう」
アリリアが人差し指を口元に当てている。何ていい娘なのだろう。それを見た龍王は、大きく頷いている。
「そうだ。静かにするのだ」
……何で俺に言うのだ? ちょっとイラッとしたが、今はこのバカ龍を相手にしているときではない。リコだ。リコを目覚めさせるのが、先決だ。
だが、いつまでたってもリコの様子は変わらない。皆、じれてきているのがよくわかる。このままではいけないと判断した俺は、皆を一旦部屋に帰そうと決意する。そのとき、息子のイデアが不意に口を開いた。
「ママ、おはよう。おはよう、ママ……」
リコの目が、ゆっくりと開いた……。




