第五百十五話 後ろ髪
「あっ、リノス様……。リコ様、ソレイユ様!」
帝都の屋敷に着くと、ペーリスがいた。彼女はリコとソレイユの姿を見て、喜びとも戸惑いともつかぬ声を上げた。同時にフェアリがパタパタと俺の周囲を飛び回っている。そんな二人にゆっくりと頷き、離れに向かう。
「ローニ先生? あっ! おとうさん!」
二階に上がると、エリルがいた。突然現れたローニやチワンに驚いていたが、俺の姿を見て、すぐにパタパタと走っていった。
まず、ソレイユの部屋に行き、彼女をベッドに寝かせる。それと同時に、メイや子供たちがドヤドヤと部屋に入ってくる。
「マミー! マミー!」
アリリアが取るものも取り合えずといった感じで飛び込んできて、ソレイユの手を握るが、すぐにメイに引き離された。彼女はアリリアを後ろから抱きしめながら俺に視線を向け、ゆっくりと頷く。それを受けて俺はソレイユに張っていた結界を解除する。
それを待っていたかのように、ローニがソレイユの脈を取る。
「ローニさん、ソレイユさんは私が……。リコ様を」
「そうですか。よろしくお願いします」
メイがローニと入れ替わるようにして、ソレイユを触診する。アリリアが心配そうにのぞき込んでいる。
「大人しく、していなさい」
メイの優しくも厳しい声が飛ぶ。彼女のまっすぐな瞳は、何としてもソレイユの命を救うという覚悟が見て取れた。それと同時に、邪魔をするものは何人たりとも許さないという迫力も滲ませていた。だが、そんな彼女の振る舞いは、アリリアにとってはショックだったらしい。みるみるその表情が歪んでいく。
「大丈夫だ。任せておくのだ」
突然、龍王が口を開く。ウチのプライベートスペースに入り込んでいやがったのか、そんなことを考えていたそのとき、アリリアの目から涙が溢れだした。
「りゅーおーくん……」
アリリアは涙をぬぐいながら泣いている。その様子を龍王は満足そうに頷いている。いつの間にか、エリルがアリリアの背後に回り込んで、彼女を抱えるようにして抱きしめている。何て優しいお姉ちゃんなのだろう。さすがは、俺の娘だ。
「リノス様」
ローニが促してくる。俺はゆっくりと頷くと、その場をメイにまかせて部屋を後にする。
「マト、頼むぞ」
「えっ?」
部屋を出る直前、ドアの前にいたマトカルに声をかける。息子のファルコを抱っこしたまま彼女は、キョトンとした表情を浮かべている。龍王のヤツがアリリアに変なちょっかいを出しやがったら、斬れと言いたかったが、敢えて何も言わないでおいた。マトのことだ。龍王が何かおかしなことをすれば、何とか対応してくれるだろう。
俺は足早にリコの部屋に向かう。後ろから息子のイデアとピアトリスがパタパタと追いかけてくる。
「リコ……」
ベッドに寝かせて、結界を解除する。ローニが脈を取り、触診をしていく。
「ママ……ママ……」
イデアが小さな声でリコを呼んでいる。だが、彼女は安らかな寝顔を浮かべたまま微動だにしない。
「ローニ……どうなんだ、リコは。ソレイユは」
「触診しただけで何とも言えませんが、脈拍は落ち着いています。引き続き、診察を続けます」
「頼むな、ローニ……」
俺はイデアを背中から抱きしめながら、ローニの様子を見守る。彼女は懐から聴診器を取り出して装着する。そして、リコの胸元に手を伸ばしたかと思うと、スッと俺に視線を向けた。
「ここはローニにまかせて、我々は外に……」
チワンが落ち着いた声で話しかけてくる。俺は後ろ髪を引かれる思いで、部屋を出ていこうとする。
「いやだ、ママと一緒にいたい!」
そのとき、イデアが強い調子で口を開いた。いつもは親の言うことを聞く温厚な子供なのだが、こんなにはっきりと主張をするのはとても珍しいことだ。
「イデア……ローニ先生の邪魔をしては……」
「ママと一緒にいたい」
初めて見る息子の様子に俺は戸惑ってしまった。思わずローニに視線を向ける。彼女はゆっくりと頷いた。俺は片膝をついて、息子を抱きかかえるようにして両肩に手を添える。
「じゃあ、ママを守ってくれるかい?」
イデアは力強く頷いた。俺は頼むよと言って、チワンと共にその場を後にした。娘のピアトリスも、そこにいるのが当然と言った表情で俺を見送っていた。何となくだが、この二人はローニの邪魔になるようなことはないだろうという確信があった。
「いかがでしたか?」
ダイニングに戻ると、ペーリスが心配そうな表情で話しかけてきた。その後ろでは、イリサルが椅子に腰かけていた。
「ソレイユはメイが、リコはローニが診察してくれている。詳しくはわからないが、リコの場合は、脈拍は安定しているとローニが言っていた」
「きっと、大丈夫です」
ペーリスが安堵の表情を浮かべる。世界最高の名医が診ているのだから、大丈夫だと彼女は笑顔を浮かべる。その表情は何となく、俺を安心させた。
「お茶でも入れましょう」
ペーリスは俺とチワンに椅子に座るよう促して、キッチンに向かう。テーブルの椅子に腰を下ろすと、何とも言えぬ安堵感が湧き上がってくる。ああ、やっと帰ってきたのだなという感覚に包まれる。
「何かあれば、ローニから念話が飛んできます。それまでは、待ちましょう」
チワンが少し笑みを浮かべながら話しかけてくる。その表情からは、二人に任せておけば大丈夫だという雰囲気が見て取れた。その様子は、俺を安心させるのに十分だった。
ふと視線を向けると、イリサルがゆっくりとお茶を飲んでいた。彼女もかなり無理を聞いてもらって協力してもらったのだ。
「すまないな、イリサル。あと、お前が契約している精霊にも……」
「気にすることはないよ。あのくらいのことなら、いつでもお安い御用だ。それよりも、ソレイユ様が心配だ」
「まずは、族長様に、一応ソレイユが助かったことを伝えるか」
「それなら、私が里に伝えるよ」
「そうか……。世話をかけるな。里に帰って、一息ついたら、屋敷に帰って来るといい。お礼をするよ」
「気にしないでいいよ。それじゃ、私は里に戻るよ。ソレイユ様が心配だけれど……」
そう言ってイリサルは立ち上がった。そのとき、彼女がキョロキョロと周囲を見廻し始めた。
「どうした?」
「いや……何だか、すごく癒される音が……」
「癒される?」
不思議に思いながら、耳をすましてみる。確かに、かすかな音が聞こえてくる。これは一体……。
チワンは何のことだかわからないらしい。ペーリスは相変わらずキッチンにこもったままだ。俺はイリサルと顔を見合わせる。
どうやらかすかに聞こえる音は外から聞こえているようだ。離れにつながるドアを開けると、幼い少女の歌声が聴こえてきた。
「集まる水が溶けあって~豊かな川となるように~♪ 心合わせて助け合おう~♪ 温かいまなざし~♪ やさしい声~♪ 精霊たちは~私たちの力の泉~♪ 私たちを元気にしてくれている~♪ みんな~そろって~手を組もう~♪」
これはアリリアだ。俺には幼い少女の歌声にしか聞こえないが、イリサルは目を閉じてじっと歌声に耳を傾けている。
「イリ……」
話しかけようとするが、彼女は手をスッと上げて俺の言葉を遮る。
「すごい……。まるで、心が洗われるようだ……」
イリサルは声に耳を傾けながら、両手を胸の前で組み、何かに祈るようなポーズを取っている。その表情は恍惚に浸っているようにも見える。何だか、周囲の雰囲気もほのぼのとしてきたように感じる。アリリアは相変わらず歌い続けている。
「風吹き渡るこの土に~♪ 緑の若木たくましく生い立つ~♪ やさしく強く我らも伸びよう~♪ みんな~そろって~手を組んで~♪ 輝く……」
突然、アリリアの声が止んだ。その瞬間、周囲の雰囲気が一変した……。




