第五百十四話 遅かれ早かれ
……ドチャッ!
叫び声と共に、龍王がひっくり返った。それと同時に、何かが叩きつけられる音が聞こえた。一体何だと思いながら見てみると、そこには、ロイスの体から赤黒い巨大なズタ袋のようなものが飛び出してきていた。
それは、地面に触れるとすぐ、ボコボコと不気味な音を立てながら土を溶かしていく。見る見るうちにそこには土の池が出来上がってきていた。一方の龍王はすでに起き上がり、両膝をついた状態で、その様子を眺めていた。
「さあ、見てみるがいい」
顎をしゃくって、俺を促す龍王。ここまでやったんだから、最後の胃袋もお前が確認すればいいじゃないかと思うが、ヤツは俯きながらブツブツと何かを呟いている。すると、その両手がほのかな光に包まれる。まさか、回復魔法をかけているのだろうか?
「……よかったら、エクストラヒールをかけてやろうか?」
「……いらん」
「いや、別に、そのくらいのこと……」
「イランと言っているだろう!」
「意外に、回復魔法が苦手なのか?」
「苦手? 苦手とはどういう意味だ? まるで我にできぬことがあると言いたいのか? フハハハ片腹痛い! そもそも我らドラゴン族は、傷を負うなどと言うことはあり得ぬのだ。仮に傷を受けたとしても、すぐにそれは回復する。それほどの体を持つ我らに、回復魔法などと言う軟弱なものを身に付ける必要はないのだ!」
ドヤ顔の龍王。どう見ても、言い訳にしか聞こえないのは、気のせいだろうか?
「ほらよ」
俺は何も言わずエクストラヒールをかけてやる。龍王はしばらく両手を眺めていたが、やがて、小さな声で呟いた。
「気が利くではないか」
俺はそんなバカ龍には目もくれず、目の前のものに視線を向ける。相変わらずボコボコと気色の悪い音を立て、湯気を出しながら地面を溶かしている。本音を言えば、龍王に何とかしてもらいたいが、ヤツはそんな気はサラサラないらしいのがよく伝わってくる。龍王の様子では、こいつはかなり分厚いものらしい。それを俺が手でやるのは時間がかかって仕方がないだろう。そう考えた俺はゆっくりとホーリーソードを抜き、剣を水平に構える。
……ピュッ!
剣を振り抜き、胃袋の表面を斬ってみる。切っ先からは、分厚いものを斬ったという感触はない。ただ、胃袋の表面を撫でたような感覚が伝わってきた。
反射的に刃こぼれを確認する。地面を溶かすほどの胃液だ。このホーリーソードも溶かしてはいないかと少し、不安になったが、刃こぼれの類は一切見当たらなかった。さすがに、メイとシディーたちが鍛え上げた剣だ。
再び視線を移すと、巨大な胃袋に一筋の線が入っていた。さすがにあのくらいでは切り裂けないのかと思ったそのとき、その傷が少しずつ開いていくのが見えた。
「リコぉ! ソレイユぅ!」
リコとソレイユが膝を抱えるような態勢で胃袋に収まっていた。剣で胃袋を切り裂いて、二人を何とかして助け出す。
「リコ! リコ! リコ! ソレイユ! ソレイユ! ソレイユ!」
二人を抱き起してみるが、一切反応がない。だが、ちゃんと生きている。結界を通してそれは伝わってくるし、二人の心臓に耳を当ててみたら、ちゃんと動いている。
「ちょっと待っていろ!」
そう言って俺は転移結界を発動させる。
帝都の屋敷に帰ると、誰も居なかった。
「リノス様……」
俺の気配を感じ取ったのか、二階からペーリスが降りてきた。
「リコ姉さまとソレイユちゃんは?」
「見つかった。でも、意識がないんだ。メイは?」
「まだ……眠っていると思います。今からすぐ起こして……」
「いいやそれには及ばない。アリリアは? ほかの子供たちは?」
「マトカル様が……お屋敷にいると、子供たちが落ち込むと言って、アガルタに連れて行かれました」
「アガルタに?」
「街に連れて行きました。止めたのですが、きっとリノス様は黒龍を倒して帰ってくるから大丈夫だと……。それに、私に休むようにと……」
「わかった。さすがマトだな。じゃあ、ちょっと行ってくる」
「リノス様、どこへ……」
ペーリスが言い終わるのを待たずに俺は再び転移結界を発動させた。
「……うおっ!?」
突然現れた俺を見て驚いているのは、ポーセハイのチワンだった。彼は、アガルタの都に作られたアガルタ大学の医学部で教鞭をとりながら、附属病院の院長も勤めている。忙しいのは百も承知だが、今の俺には、彼の力が必要なのだ。
「どうされました、リノス様?」
「すまんが、ちょっと来てくれ」
「えっ?」
「リコとソレイユが」
「見つかったのですか! それは、よかったです。で、ご容態の方は?」
「生きてはいるが、眠った状態なんだ」
「わかりました。では、ローニも呼びましょう」
「すまん」
チワンは目を閉じて少し俯く。その直後、彼の眉間に深い皺が刻まれた。その状態のまま、沈黙が流れる。
「チワ……」
「行きましょう」
「え?」
「リコ様とソレイユ様がおいでのところはどこでしょうか?」
「いや、あの、ローニは……」
「クビです。破門しました」
「え?」
「さあ、参りましょう」
そのとき、部屋の隅の空間がゆっくりと歪んでいく。そしてすぐにローニが現れた。
「一体何なのですか。いきなりクビだの破門だのと……あっ、リノス様!」
ローニの耳がピンと伸びる。そんな彼女をチワンは一瞥したかと思うと、吐き捨てるように呟いた。
「今すぐ出ていけ。今日中に荷物をまとめて出ていくんだ」
「ですから、一体何なのです!」
「食事と人の命、どちらが大事なんだ!」
「人の命? 何の話ですか? いきなり食事中に今すぐ来い、などと言われても、すぐに行けるわけはないでしょう!」
「黙れ! もう、お前とは師匠でもなければ弟子でもない」
「ちょっと……」
「はい、それまで」
俺は問答無用で転移結界を発動させた。
「……うっ、ゴホッゴホッ!!」
レイス火山の麓に到着した途端、二人は激しく咳き込み始めた。俺は慌てて二人に結界を張り、回復魔法をかける。
「くっ……はあ、はあ、はあ……」
「すまんな。説明している時間がなかったので、無理やり連れてきた」
二人は周囲を見廻しながら、呆然とした表情を浮かべている。
「すまんが、リコとソレイユを見てやってくれないか」
「ええっ? リコ様とソレイユ様!?」
ローニの耳が「!?」の形になっている。彼女はキョロキョロと周囲を見廻す。
「ローニ、あそこだ。あそこに……」
視線を移した先には、龍王が片膝をつきながら、ソレイユの体をペタペタと触っているのが見えた。そして、ヤツはあろうことか、リコの体に手を触れようとした。
「てめぇ!」
叫ぶのとホーリーソードを抜くのが同じタイミングだった。俺はヤツを脳天から唐竹割に斬りつけた。だがヤツは両手で剣を受け止め、いわゆる真剣白刃取りの態勢を取った。
「貴様……何を……するのだ……」
「汚ねぇ手で俺の嫁の体に触るんじゃねぇ! 二人に触れていい男は、俺だけだ」
「貴様……何を言って……」
「リノス様、やめておくれよ!」
女性の絶叫にも似た声が聞こえる。声のした方向に視線を向けると、そこにはイリサルが立っていた。
「龍王様は、お二人の体についた胃液を、ずっと払っていてくれていたんだよ」
「何!?」
よく見ると、龍王の両手から煙が出ている。ロイスの胃液で指がやられているようだ。
「……それを早く言えってんだ」
俺は剣を鞘に納めながら呟く。そのついでに、龍王にエクストラヒールをかけてやる。彼はブツブツと何かを言っていたが、敢えて何も言わないことにする。
「リノス様、恐れ入ります!」
チワンの声で我に返る。チワンとローニはすでにリコたちの傍に居て、二人を観察している。
「触診しますので……」
「わかった、一旦、帝都の屋敷に運ぼうか」
「お願いします」
俺は両手から湯を出して、リコとソレイユの結界についたロイスの胃液を洗い流していく。粗方きれいになったと思い、龍王に視線を向けると、彼はゆっくりと頷いた。俺はリコとソレイユを肩に担ぎ、立ち上がる。そのとき、地面が大きく揺れた。
「火山が爆発するな」
誰に言うともなく龍王は呟く。彼の後ろには、ロイスの姿があった。腹の中を引っ掻き廻されているにもかかわらず、まだヤツの体は小刻みに上下していた。
「とどめを……」
俺の言葉に龍王は静かに首を振った。
「遅かれ早かれだ。すぐに、この場を離れたほうがよい」
その直後、火口から火柱が立ち上った。俺は無言で転移結界を発動させた。




