第五百四話 淵となりぬる
「くっ……くぅぅぅぅ……」
俺は思わず声を漏らしていた。ツネの飛行速度が予想を超えたものだったからだ。一瞬でも気を抜けば、背中から放り出されそうだ。
必死に背中から生えている角に捕まる。風景が風のように流れていくために、一体、どこを飛んでいるのか、見当もつかない。
そのツネの飛行が突然止まった。ゆっくりと周囲を見回すと、眼下に広大な森が見える。ここに、ツネの弟がいるのだろうか?
「やるではないか」
突然、龍王の声が聞こえる。気が付くと、龍王が腕組みをしたまま空から降りてきた。
「結構本気で飛んだのだがな」
龍王は不敵に笑う。そんな彼をツネは無言のまま眺め続けている。
「どうだ、感じぬか?」
出し抜けに龍王が口を開く。どうやらこの森の中にツネの弟がいるらしい。俺は気配探知と魔力探知を駆使して、黒龍らしき者の気配を探る。だが、かなり集中しても邪悪な気配や、強大な魔力を感じることはできなかった。それはツネも同じらしい。彼はキョロキョロとあたりを見廻していて、少し戸惑っているように見える。
そんな俺たちを龍王は満足そうに眺めている。人が戸惑っている様子を見て、何が楽しいんだか。
俺が睨んでいるのに気付いたのか、龍王は一瞬、顔をしかめたが、やがてゆっくりとある場所を指さした。そこには滝があった。
「あの滝の中に何か……そうか、滝の奥に洞窟か何かがあって、そこに潜んでいるのか!?」
そう言って俺は滝に精神を集中させて、再び気配探知と魔力探知を発動する。だが、そこからは何も感じることはできなかった。
「何も……感じないな」
ツネも龍王が指さした方向を凝視しているが、やはり、何も感じないらしい。一点を見据えたまま、微動だにしないでいる。
「どこを見ているのだ?」
龍王が呆れたような声を上げた。その言い方が、俺の癪に障った。
「どこって、お前が指さしたところだろうが。気配探知と魔力探知を発動してみたが、何も感じないぞ? 本当にあそこに黒龍がいるんだろうな?」
「いる。よく見るのだ」
「……全くわからん」
「ええい! 世話の焼けるやつだ!」
そう言って龍王は下降していく。ツネも仕方ないといった感じで、彼の後についていく。龍王が降り立ったのは、巨大な滝のほとりだった。かなり高いところから水が落ちているらしく、周辺には薄い霧が立ち込めている。普段ならば、マイナスイオン全開の癒しの空間なのだろうが、生憎、今の俺にはそれを感じる余裕はない。
「何も感じないぞ?」
「どこを見ているのだ? ちゃんと見るがいい」
「さっきから一生懸命滝を見ているだろうが。まさか龍王、実は滝じゃなかったんですなんて言った日にゃ、マジでぶっ飛ばすからな!」
「何をバカな! 我の指さす方向を見るがいい! 一体どこを見ているのだ!」
よく見ると、龍王の視線は俺たちに向いているが、右手が滝壺を指している。いったいこれはどういうことだ?
「そうか、あの滝壺の中にいるのか!」
突然ツネが頓狂な声を上げる。その様子を龍王は満足げな表情を浮かべながら、言葉を続ける。
「この滝は、千数百年間流れ続けている。そのお陰で、この滝の下は大きく、深い淵となっているのだ。黒龍のターチャは、この淵にいる」
俺は早速、気配探知と魔力探知、そして、鑑定スキルを発動させる。気配と魔力は感知できなかったが、鑑定スキルに反応があった……というより、見えたのだ。一匹の黒龍が、この淵の中に入っていく様子が。
「うっ……ツツツツ……」
頭がズキズキする。思わず頭を押さえてうずくまる俺に、龍王が声をかけてくる。
「三つのスキルを同時に発動するとは器用なヤツだ。そんなことをすると、頭が溶けてしまうから、やめることだ」
どうやら、かなり体に負担のかかることをしていたらしい。俺は深呼吸をして、ゆっくりと立ち上がる。
「クッ……ターチャ……」
隣ではツネが顔を歪ませている。いや、歪んでいる気がするのだ。ドラゴンになると、全く表情が変わらないので、なかなか気持ちを推し量るのが難しい。ツネ曰く、弟のターチャに念話を送ってみたが、全く反応がない。彼にはちゃんと見えているようで、聞けば、このツネには千里を見渡す力があるのだという。その力で、空間に閉じこもっている弟の存在を、何とか見つけることができたのだそうだ。
「この黒龍は出てくる気はないのか?」
「出たくても出られないのだろう」
「何?」
「この空間は、おそらく術者か解除できなければ出ることすらできぬ。しかも、外からは一切の情報を遮断されている状態なのだろう。我がいかに接触を試みようとも、全く反応がなかった。これは我の推測だが、今、この黒龍は眠っているのだろう。そして、眠りから覚めると再び天候支配の魔法を使う。魔力が切れれば再び眠りに落ちる。ロイスが来るまでそれを繰り返すのだろう」
「そこまでして、何で?」
「そこまでしても、シャリオを取り戻したいのだ」
誰に言うともなく、ツネが呟く。彼は深いため息をついた。
「我ら兄弟にとってシャリオは唯一の妹。そして、最も能力の高いドラゴンだ。我ら一族の未来は、シャリオにかかっていると言っていい。その妹を取り戻すのならば、このくらいの犠牲は容易いものだ」
「……そうか。まあ、事情はわからんでもないがな。とはいえ、どうやってコイツを外に出すかだな」
そんなことを言いながら俺は、ホーリーソードの柄に手をかけ、ゆっくりと刀身を引き抜いていく。
「ほう……」
龍王が思わず嘆息の声を上げる。屋敷の中で見たときにはさほどは感じなかった剣が、この森の中、寒さで冴えわたった空気に触れると、何とも言えない雰囲気を放つ。磨きに磨き、研ぎに研がれた刀身は、鏡面さながらにものを映し出している。そして、剣から発せられる匂いと沸が、なんともいえない神韻を醸し出していた。刃と地肌の境に細微な銀砂が浮き出ていて、これを見ていると何だか、魂を吸い取られそうな感覚に陥る。俺は思わず刀身から目を逸らす。
「ええと。メイたちの話では、これに魔力を通すと空間が斬れるって言っていたな……」
そんなこと言いながら俺は、剣に魔力を通す。そのとき、刀身で反射した太陽の光が、水面をなぞった。
「うん?」
淵の中に、一匹の黒龍がいるのが浮かび上がってきた。こちらに背中を向けたまま、微動だにしないでいる。龍王が言った通り、眠っているのかもしれない。
俺はゆっくり息を吐きながら、黒龍を凝視する。コイツがいるのは、淵のかなり深いところだ。数十メートルはあるだろうか。そんな遠いところを斬るのは難しいだろう。ここはひとつ、水に潜って、至近距離に近づいて斬らねばならないだろうか……。
俺は剣に魔力を通しながら、大上段の構えを取る。斬るとすれば、横に払うよりも、袈裟懸けに斬るほうが威力はあるだろう。例えば、こんな感じに……。
「ええいっ!」
気合を込めて剣を振るう。すると、一筋の光が黒龍に向かっていったかと思うと、その瞬間、ドラゴンの体が真っ二つに割れた。
「え?」
俺が驚きの声を上げるのと、巨大な水柱が上がるのが同時だった。気が付くと目の前には胴を真っ二つにされた、巨大な黒龍が浮かび上がってきた。
「おお……ターチャ……」
何とも言えない、ツネの悲しみを込めた声が聞こえる。あまりのことに俺はしばし呆然と、ホーリーソードの刀身を眺める。
「マジか……すげぇ……」
「全く、何をしておるのだ、貴様は!」
龍王の声が聞こえる。彼は腕組みをしながら首を左右に振っている。
「殺さぬのでは、なかったのか!」
「仕方がないだろう! 俺だってこの剣の威力を知らなかったんだから! てゆうか、何でここに連れて来たんだ? 優先順位から行けばロイスのところが先だろう、このバカ龍が!」
「何を言うか! ここが最も接触しやすかったのだ! 貴様たちのことを思ってここに連れてきた我の思いをフイにするとは……全く、何という男だ!」
最も接触しやすかったって、マジか……? この調子だと、ラスボスのところに行くには、どんな仕掛けをクリアしなきゃいけないんだ??




