第四百九十七話 一家離散
それからリノスは、子供たちをどこに避難させるのかを決めていった。
ファルコとその母であるマトカルは、アガルタの迎賓館に避難させることにした。そこには、エリルも帯同するように指示を与えた。これは言うまでもなく、エリルがマトカルになついていたためだが、リノスは、彼女の心境を察して、マトカルの育児を手伝ってやってくれとだけ伝えた。その言葉だけで、エリルは父の思いを察して、力強く頷いたのだった。
次に、ピアトリスについては、母であるコンシディーがドワーフ公国に戻るために、一緒に連れて行くこととした。ドワーフ公王は、娘と孫の帰国を喜び、空間を切り裂く剣の製作についても快諾してくれたのだった。
だが、その話を聞いたピアトリスは意外にも、公国に行くことを嫌がった。
「どうして? おじいさまのところに行くのよ?」
「や!」
「母さんも一緒よ?」
「いや! いや!」
泣きながら首を振るピアトリス。彼女は椅子から飛び降りると、兄であるイデアの許に駆けていく。そして、彼の腕に絡みつくようにして抱きついた。
「にーにと一緒じゃなきゃ、やだ」
妹に抱き着かれたイデアは困った表情をしている。母であるリコレットがいなくなったと聞いて、一番ショックを受けているのが、彼なのだ。だがイデアは健気にも泣いたり、取り乱したりすることはなく、ただじっとその場に控えていた。とはいえ、その顔は蒼白になっていて、何らかのケアを行う必要があることは、誰の目にも見ても明らかだった。
「シディー」
リノスが落ち着いた声で話しかける。彼はじっとシディーに視線を向けながら、言葉を続けた。
「すまないが、イデアも一緒に……」
「承知しました。考えてみましたら、私も、父も、そして、メイちゃんも……ピアの傍にはそんなに居てやれないと思います。イデア君には申し訳ないですが……」
その言葉に、リノスはゆっくりと頷く。
「イデア」
「はい」
「すまないが、ピアと一緒にドワーフ公国に行ってくれないか。シディー母さんは忙しいから、ピアの面倒を見てやってくれないか」
「……」
「とうたんは、これからママ達を迎えに行く。とうたんがいない間、妹を守ってやってくれ」
イデアは目を泳がせていたが、やがて、ゆっくりと頷いた。
「イデア、お前は男の子だ。とうたんがいない間は、お前がこの家を守るんだぞ。お姉ちゃんや妹たち、弟たちのことを守るんだぞ」
リノスの言葉に、イデアは力強く頷いた。
しばらくするとリノスは、メイとアリリアを伴ってアガルタの迎賓館に転移した。メイの腕には、赤ん坊が抱かれていた。言うまでもなく、ソレイユが生んだ、息子のセイサムだった。
謁見の間につながる扉を開けると、そこには、一人の麗しき女性が立っていた。まるで、二十代のような若々しい姿、そして豊満な肉体……。そこにいたのは、サイリュースの族長であり、ソレイユの母でもあるヴィヴァルだった。
彼女はリノスたちに気が付くと、にこやかな笑顔を浮かべてみせた。娘であるソレイユが黒龍に飲み込まれ、いまだ生死がわからない状態の中、彼女自身も必死で平静を保とうとしていることが、よく見て取れた。
「族長様、この度は……大変申し訳ありません。ただ……ソレイユは、生きています。これは間違いありません」
「左様ですか……」
ヴィヴァルは、表情は崩さないものの、纏っていた雰囲気が明らかに変わる。その様子を見て、リノスはゆっくりと頷く。
「必ず、必ず、ソレイユを取り戻して見せます。ですから……」
「わかっております。アガルタ王様が言われることです。どうして我らがそのお言葉を疑いましょうか。ソレイユが戻るまでの間、この子……セイサムにつきましては、お任せください」
そう言って彼女は両手を差し出した。その手に、メイは抱いていた赤ん坊を大切そうに渡した。
ヴィヴァルはニコリとほほ笑むと、彼女の周囲が緑色に光りだした。そして、それはゆっくりと赤ん坊の体を包んでいく。
「もうこれで大丈夫です。ご安心ください」
ヴィヴァルの声に、メイが心底ほっとした表情を浮かべる。実は、リノスの子供の中で最もケアが必要だったのは、このセイサムだった。
サイリュースは、精霊と契約することで命をつないでいる。すなわち、精霊たちがあらゆる病気の抵抗力となってくれているのだ。だが、まだ赤ん坊であるセイサムは精霊と契約することはできない。従って、母であるソレイユが契約している精霊――神龍様――が、彼の抵抗力となっていた。
しかし、ソレイユが黒龍であるロイスに飲み込まれてしまった直後から、セイサムの体には異常が見られていた。彼の体中には赤い湿疹が見られ、時間を追うごとに体調が悪化していった。
サイリュースの性質を知っていたメイは、すぐさまアガルタにあるサイリュースの里に転移し、族長であるヴィヴァルに状況を説明した。彼女は全くうろたえることなくメイの話を聞き、すぐさまセイサムを連れて来るようにと言った。しかも、直接この里に連れてくるのではなく、アガルタの迎賓館の謁見の間と、連れてくる場所を明確に指定した。これは、各国の使者や貴族たちをもてなす謁見の間が最も清潔な状態に保たれていることを知っていたためであり、セイサムの状況を考えると、それが彼の体調をこれ以上悪くさせない最も有効な策をヴィヴァルは導き出したのだった。
実際、セイサムを迎賓館に運び込むとき、すでに彼は肺炎に近い状態になっていて、命の危険すらあったのだ。まさしく、このやり取りは、一人の赤ん坊の命を救い、そして、アガルタという一国の命運を分けることにもつながった。
顔中に出ていた湿疹がゆっくりと消えてく。それに比例して、セイサムの呼吸も落ち着いていった。それを見たヴィヴァルはゆっくりと頷いた。
「それでは、早速里に戻ります。ソレイユが帰るまでの間、この子は必ず私が守り通して御覧に入れます」
「族長様……よろしくお願いします」
頭を下げるリノスとメイに、ヴィヴァルは優しい笑みを向ける。そして、その後ろに縮こまるようになって控えているアリリアにも、彼女は優しい笑みを投げかけた。それを見たアリリアは、無言のまま頭を下げたのだった。
屋敷に帰ると、そこにいたのはペーリスとシャリオの二人だけだった。
「シディー姉さまも、マト姉さまも、それぞれ転移していかれました。フェリスちゃんとルアラちゃんは仕事に戻りました。ラース君もゴンさんも……」
「仕事に戻ったか」
「はい」
「そうか。色々世話をかけるな、ペーリス」
リノスはふと、視線をダイニングの隅に向ける。そこには仰向けに寝転がった、黒龍のツネの姿があった。目を閉じて、まるで死んだかのような様子だ。張ってある結界の影響で体を動かすことはできなくなっている。ツネ自身もそれをよくわかっているようで、無駄な抵抗をする気はなさそうに見えた。そんな彼を一瞥した後、リノスは再びペーリスに視線を向ける。
「いいえ。大丈夫です。それよりも、アリリアちゃんが……」
ペーリスはアリリアに視線を向ける。彼女はシャリオが怖いのか、母であるメイの後ろに隠れている。
リノスはアリリアに視線を向けながら、心の中でため息をついていた。この子を、メイと共にドワーフ公国に連れて行くべきかと悩んでいたのだ。
「シャリオ」
「何だ?」
「お前の兄貴は、このアリリアが一人になったら、襲いに来るだろうか」
「ああ、襲いに来る。それだけではない。アガルタ王リノスの命も狙っているだろう」
一切の迷いを感じさせない即答ぶりだった。その様子にリノスは少し驚いた表情を浮かべる。一方のシャリオは、表情は沈んでいるものの、その眼の奥は爛々と光っていた。その様子を見て、リノスは彼女に向き直った……。