第四百八十五話 秘策
とある大陸の山の中。そこは大きな火山があり、火口からは噴煙が常に上がっている。その火口の中では一匹の黒龍が羽を休めていた。
所々にマグマが溜まっている灼熱の中、黒龍は目を閉じたまま微動だにしない。一見すると死んでいるようにみえるが、よく見ると、その体がゆっくりと上下に動いているのがわかる。
この黒龍はロイスだった。リノスとの戦いのあと、彼はここにやって来た。
自身の戦略がここまで外れたことは、彼のこれまでの中ではなかったことだった。アガルタ王リノスを攫うことが失敗しただけでなく、妹のシャリオまで捕らえられた。妹の行方はわからないままだが、おそらくリノスか龍王の許にいることは容易に想像がつく。
「龍王……」
思わず彼は小さな声で呟く。リノスと龍王、そして、この二人をはるかに超える力を持つ精霊……それらを相手に戦い、勝利することは難しい。だが、彼には一つの策があった。それをどのように実行するのか……彼はこの灼熱の中で、ずっとそれを考えていた。
……今度ばかりは失敗は許されない。完璧に事を運ばねばならない。
そんなことを考えながら、彼は思わず笑みを漏らす。これが上手くいけば、龍王とリノスに勝利することができるだろう。そうなれば、この世界は思いのままに動かすことができるのだ。
……さて、まずは、準備に取り掛かるか。
ロイスの眼が開かれ、目に不気味な光が差した。彼はゆっくりと翼を広げると、音もなく空に向かって浮き上がった。
◆ ◆ ◆
「一体何をしていたのだ!」
怒りをあらわにしているのは、長兄のツネだった。久しぶりに現れたと思ったのも束の間、ロイスの口からシャリオが龍王に捕らえられたという報告がなされたのだ。
「まさか、アガルタ王リノスと龍王が手を組むとは思っていなかった……」
「……」
「それに、兄者も感じただろう。龍王をはるかに凌駕する気配を」
「あれは一体何だったのだ?」
「精霊だ」
「精霊? あんな巨大な気配を持つ精霊などきいたことがない」
「おそらく神龍さまではないか」
「まさか……」
「相手が龍王であれば、考えられぬことではない」
「……」
「どうする、兄者?」
「どうする、とは、どういう意味だ?」
「このままでは、我らは龍王たちに滅ぼされるぞ。座して死を待つのか?」
「その言い方は、何か策があるということか」
「ああ、ある。我ら兄弟が一枚岩になって対抗すれば、龍王、アガルタ王リノスを倒すことができるだろう。そして、シャリオを取り戻すこともできる」
「……一枚岩になって対抗とは、どういうことだ。何をするつもりだ」
ロイスの表情が下卑た笑顔に変わる。それを見てツネは一瞬イヤな予感を覚えたが、気を取り直して、弟の言葉に耳を傾けた。
「では兄者、他の兄たちも呼んでもらえないか」
「何だと?」
「先ほども言っただろう。我ら兄弟が一枚岩になって戦わねばならぬと。であれば、全員で策を練らねばならないだろう」
「……」
「兄者、腹の中で、ロイス、お前が集めろ。そう考えているな? 兄者の考えていることは手に取るようにわかる。だが考えてもみろ、他の兄たちが俺の話を聞くと思うか? ラアルの兄たちを説得できるのは、兄者しかいないだろう」
ロイスの言葉をツネは黙って聞いていたが、やがてゆっくりと羽を広げると、音もなく上空に舞い上がった。その様子を見ながらロイスは、再び下卑た笑顔を見せた。
◆ ◆ ◆
数時間後、ロイスの許には、四匹の黒龍が集まっていた。すなわち、長兄のツネ、次兄のラアル、そして、ロイスの弟であるターチャとショースが目の前に控えていた。
「ツネの兄者から話を聞いたが、シャリオが龍王に攫われたそうではないか。早く助けに行かねばならぬ。すぐにでも行かねばならぬ。な、ショース」
「その通りだ。兄者たちが手を出す必要はない。ここは俺一人で十分だ」
弟たちの会話を聞きながら、ロイスは不敵な笑みを浮かべる。
「甘いな、お前たちは」
「何だと?」
「相手はあの龍王だ。そして、それに匹敵する男までもが相手なのだ。お前一人で龍王を倒せるのか? 龍王一人でも手を焼くのに、それがもう一人いるのだ。しかもその一人は人族だが、尋常ならざる強さだ。これはいかに言ってもわかるまいが、俺は直接ヤツと戦ったからわかるのだ。この俺の腕が、斬られたのだからな」
ロイスの腕が斬られたという言葉を聞いて、弟たちは絶句している。狡猾さと防御力に関しては兄弟随一の力を誇るロイスなのだ。その彼の鱗を切り裂いて、腕を切り落とすなど、考えられないことだった。
「我ら兄弟の中で一番、頭の回転の速いシャリオが捕らえられたのだ。それだけで敵のスキルの高さはわかるというものだ」
「……」
絶句する皆に、ロイスはゆっくりと口を開く。
「俺に作戦がある。シャリオを取り戻し、我ら兄弟が龍王に攻撃されぬ作戦がな」
「……聞こう」
「まずはここにいる全員が人化する」
「人化?」
ツネが怪訝そうな表情で尋ねる。そんな兄に、ロイスは下卑た笑いを浮かべる。
「ああそうだ。人化して、この島を出るのだ」
「出てどうする?」
「ある場所に向かう」
「ある場所?」
「それは、付いてきてもらえれば分かる」
「待て」
口を挟んだのは、次兄のラアルだった。兄弟の中で最も慎重で思慮深い兄だ。ロイスが一番苦手とする兄だった。
ラアルは兄弟の中ではひときわ、異彩を放つ存在だった。話をしても彼が発言することはあまりなく、大概は兄たちやロイスたちに任せていた。ただ、任せっぱなしというわけではなく、発言する時はかなりしっかりと意見を言った。無口な男で、滅多に口を開くことはなかったが、たまさかの一言には盤石の重みがあった。
彼は森の中でじっと思考していることが多かった。何を考えているのかはロイスには全く伺い知れなかった。そうした悠々とした態度を取るこの兄が、ロイスは苦手意識を通り越して、嫌いですらあった。
だが、他の兄弟たちは、このラアルに対して文句の一つも言わなかった。そうした態度を見てロイスは、我々がしっかりしていればいいのだと考えていた。一番しっかり者の長兄、ツネと比較して、極端なほどに茫洋として見えるラアルには、近づきがたい何かを感じていた。
その一方で、この兄とシャリオとの仲は良かった。ただ一方的にシャリオが喋るだけの間柄だったが、彼女はこの兄を気に入り、折に触れて彼との接触を持った。ラアルもシャリオを邪険に扱うことはなく、表面的には仲の良い兄妹に見えた。
「シャリオの気配は感じないが、どこにいる」
「それは言えない」
「何故だ」
「言えば、兄者たちは、すぐさまそこに向かおうとするからだ」
「どうしてそう言い切れる?」
「兄者たちが、予想もしていない場所だからだ」
「アガルタではないのか」
「違う」
「何?」
何かを言おうとするラアル。だが、ロイスはグルルと鳴き声を上げて、彼の言葉を遮った。
「俺のことを疑わしいとは思っているだろうが、一度、俺に騙されてみてはくれないか。我々が力を合わせれば、間違いなくシャリオは奪還できるのだ。俺はシャリオの居場所については、大体見当がついている。まずはそこに行き、シャリオの生存を確認しようではないか。そして、俺の作戦を聞いて欲しい。やる、やらないはそこで決めてもらって構わない。どうだ?」
兄たちはただ、沈黙している。そこに再びラアルが口を開く。
「なぜ、我らは人化しなければならないのだ」
「龍王に悟られないためだ」
「龍王に」
「そうだ。俺たちがこの姿のまま移動すれば、必ず龍王は気付くだろう。ヤツのことだ。この島を警戒しているに違いない。その奴に気取られないために、できるだけ気配を消してこの島を離れなければならない。島を離れる前に龍王に見つかれば、それこそ俺たちは、滅ぶ」
ロイスはじっと長兄のツネを見た。彼はゆっくりと息を吐き出し、ぐるりと首を廻した……。




