第四百四十六話 食えない女
結局、ヴィエイユからは、期日を過ぎても何も言ってこなかった。どうやら、俺が送った文章を解読できなかったようだ。あれから五日待ってみたが、彼女からは何のアクションも見られなかった。
「さてさて、ヴィエイユが動かないとなると、どうしようかね……」
俺は執務室で一人、そんなことを呟きながら、天を仰ぐ。そのとき、窓の外にサダキチの姿が見えた。俺は窓を開けて彼を迎え入れる。
『どうした?』
『バーリアル軍が兵を動かしました』
『ほう』
『ドルガの北、ヒヤマという場所に砦を築き、そこに兵を入れました』
『何?』
俺はワーロフ帝国の地図を手にして、それを机の上に広げる。
「また、えらいところに砦を築いたな……。これで、バーリアル軍は秘密裏に海に出て、ヒーデータを攻めることが可能になったわけだ。まあ、いきなりそんな乱暴なことはしないだろうが、陛下は頭の痛い問題がまた一つ増えたことになるな」
誰に言うともなく、俺は呟く。
『ご苦労だった、サダキチ。引き続き、バーリアル軍の動きを見張ってくれ』
『はっ』
『あ、あと、ヴィエイユの所に誰か行かせてくれ』
『すでに、見張りを入れております。特に動きらしい動きは……』
『そうじゃない。ヴィエイユ本人のところに、誰か行かせて欲しいのだ。俺へ手紙を出そうとしているかもしれないんだ』
『承知しました』
俺はサダキチに干し肉を与える。彼はそれを口にくわえると、スッとその姿を消した。
「それにしても、実に優秀な指揮官がいるんだな、敵には。きっと、新しく作った砦も、色んな仕掛けを施すのだろう……。やっぱり、実際に行ってこの目で見ないと、何とも言えないよな……」
そんなことを呟きながら、俺は椅子に座る。そして、再び天井を向いて、目を閉じる。
「あとは、皇帝御料の問題だな……」
リコに聞くと、皇帝御料とは、ヒーデータ帝国皇帝が所有する財産のことらしい。何かコトが起こったときに、国家予算が足りなくなることがある。その時のために、毎年国家財政の数パーセントを、皇帝御料として蓄えているのだそうだ。
今回陛下は、その半分を持って行けと言った。その額たるや、アガルタの国家予算の十年分に相当するのだという。その話を聞いたリコの目がキラリと光ったのを俺は見逃さなかった。きっと彼女の中には、その金の使い道が頭の中ではじき出されていたのだろう。
それだけの報酬が約束されたとはいえ、ワーロフ帝国が破れ、国が蹂躙されてしまえば元も子もない。あくまで俺の予感だが、今回の敵は、これまでとは一味も二味も違う気がする。下手をすれば、俺たちも痛打を被りかねない予感がするのだ。
「援軍……か。どうせなら、少数精鋭だよな」
俺は小さく呟くと、机の上の鈴を鳴らす。そして、外に控えている兵士に、クノゲンとマトカルを呼ぶように伝えたのだった。
◆ ◆ ◆
「あの……誠に恐れ入ります」
会議をしている最中、兵士の一人が申し訳なさそうに執務室に入ってきた。一体何事かと、俺たちは顔を上げる。
「お……お客様が……お見えです」
「客? 誰だ?」
「私です。ごめんくださいませ」
兵士の後から入ってきたのは、何とヴィエイユだった。予想外のことに、俺は思わず固まる。
「これはヴィエイユ様、お久しぶりですな」
俺の狼狽ぶりをよそに、クノゲンがにこやかに声をかける。彼女はこぼれるような笑みを彼に返している。
「突然の訪問、お許しくださいませ。手紙でやり取りをしておりましては、時間がかかって仕方がありません。そのため本日は失礼も顧みず、お邪魔させていただきました」
そう言って彼女はスタスタと俺の傍にやって来る。純白の、チャイナ服のような衣装を身に着けている。胸元は隠れているが、その豊満な乳房はしっかりと形が見える。下着は着けていないのだろうか。そんなことを考えていると、兵士の一人が、椅子を持って来る。彼女はにこやかに礼を言って、俺の隣に座った。
「アガルタ王様、お久しぶりでございます。お会いしたかったですわ」
そう言いながら、彼女は俺の太ももに左手をスッと乗せる。俺はすぐに立ち上がり、机に向かい、そこに置かれている鈴を鳴らす。すぐに兵士が入室してくる。
「すまないが、飲み物を持って来てくれないか。俺は温かいミルクでいい。他は……同じものでよさそうだ」
兵士は恭しく一礼をして、部屋を出て行った。
「さて、どこまで話をしたっけな? その前にヴィエイユ、よく来たな。以前に会ったときより、さらに美しさに磨きがかかったように見えるな」
「ホホホ、ご冗談を。アガルタ王様、心にもないことを言わないでくださいませ」
「そんなことはない」
「お話に全く心がこもっておりませんわ」
「そうか? まあいい。ところで、何をしに来た?」
「先日のお手紙の返事を申し上げに参りました」
「返事?」
「はい。我が新クリミアーナ教国は、アガルタ王様にお味方いたします。ご指示に従い、我が海軍を派兵いたします」
「……そうか。そうしてくれれば、助かる」
「具体的には、どのように致せばよろしいのでしょう?」
俺は机に広げている地図を指さす。
「この海峡を封鎖してもらいたい。特に、補給船は絶対に通さないようにしてもらいたい」
「そのくらいのことでしたら、造作もないことですわ」
「そうか。お前のいる所……アフロディーテだっけ? そこからこの海峡まで、船でどのくらいかかる?」
「約……二週間と言ったところでしょうか」
「そうか。ならば、すぐに立ち返って準備にかかってくれ。俺たちも、ヴィエイユ達が到着する頃に合わせて動くことにしよう」
俺の言葉に、クノゲンとマトカルはゆっくりと頭を下げる。
「ところで、アガルタ王様」
「何だ?」
「報酬の件ですが……」
「結局、期日までに何も言ってこなかったな。俺の手紙に書いた暗号は解けなかったのか?」
「いいえ。解けました。真ん中の文字を先頭に、ぐるりと右回りに読んでいけば、すぐに答えは出ました」
「……相変わらず、食えない女だな」
「報酬は考えましたが、アガルタ王様が承知するものは思い浮かびませんでした。そこで、私から提案がございます」
「提案?」
「是非、アフロディーテにお越しください。以前よりも美しく、機能的な都市に生まれ変わっております。そしてそこで、学会を開いていただきたいのです」
「学会?」
「以前、アガルタ王様とメイリアス様が発表されたではありませんか。あの学会を、新装なったアフロディーテで開催いただきたいのです。無論、全世界の国々に声をかけていただいて構いません」
「ハッハッハ。考えたな。全世界の国々から人々を呼んでおいて、アフロディーテの繁栄を見せようってか? 宣伝効果としちゃ、抜群だわな。……いいだろう。ちょうど、フラディメ国のリボーン大上王から学会開催の要請が来ていたところだ。前向きに検討しよう」
俺の言葉に、ヴィエイユは恭しく頭を下げた。
「ところでヴィエイユ。お前、どうやってここに来た? それに……この迎賓館に入るためには、許可がなければ入れないはずだが?」
俺の言葉に、彼女はニコリと微笑む。
「こちらには、アフロディーテにおいでになるポーセハイにお力添えをいただきまして、転移して参りました。そして、こちらには、これを見せて、中に入れていただいたのです」
そう言って彼女は懐から一通の書簡を取り出す。それは、俺がヴィエイユに宛てた書簡だった。
「警備の方には、私が誠心誠意ご説明申し上げましたら、ご理解をいただきました。ご納得いただけないこともあろうかとは思いますが、どうぞ、兵士の皆様を罰せないでくださいませ」
「マジで、食えない女だな、お前は」
そう言って俺は、呆れた表情を浮かべながら、ゆっくりと首を振った。
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