第三百四十八話 ナイショの話
戦場を離れたオクタこと、妖狐・ヘイズは、真っ先にアガルタに転移していた。その場所は、ミーダイ国から避難してきた人々が住む結界村であり、彼が初めてリコレットと出会った場所だった。
あの日以来、彼は一日たりともリコレットのことを忘れたことはなかった。その思い人を今日こそ手に入れる。何としても……。彼はラトギスの杖を握り締めながら、自分自身に気合いを入れる。おそらく今回が、彼女を手に入れる最後のチャンスだろう。絶対に失敗することは許されなかった。
彼は気配を完全に消し、村の中に忍び込むと、リコレットを探してみたが、すでにそこには、多くの住人たちが笑顔を交わし合い、互いに色々と手助けをしている光景が目に入る。驚くべきは、ミーダイ国の貴族の子女たちが率先して動いていることだ。もはやそこは、彼が知っているミーダイ国の姿はなかった。
彼はしばらくその村を物色していたが、リコレットの姿を見つけることはできず、彼は村を出て、その足でアガルタの都に向かった。
小高い丘の上に転移したヘイズは、アガルタの都を守る城壁をまじまじと見つめる。おそらくあそこにリコレットはいるのだろう。だが、あの都には強力な結界が張られている。以前、サルファーテ女王を伴って都に入ったときは、入念な準備の末、完全に邪念を消していたためにラトギスの杖を使って転移することができたが。今はその時間がなく、邪念の塊と化しているヘイズの力では、あの結界にあえなく弾かれてしまうのは、目に見えていた。
「ただただ、純粋な愛なのだけれどね。でも、あの結界はそんな僕を受け入れようとはしない……」
彼はニヤリと笑みを浮かべながら、ラトギスの杖を振るう。すぐにまばゆい光が現れ、そこに二メートルを超えるドラゴンが三匹現れた。その様子を満足そうな表情でヘイズは眺めている。
「さあ、ようやくお前たちの出番が来た。せいぜい、暴れてくれよ」
そう言って彼はスッと人差し指をドラゴンたちに向けて振るう。その瞬間、その目に赤い光が宿り、グルルル~と声を上げ始めた。
「さあ行け! 命の限り暴れてこい!」
ヘイズはドラゴンたちの尻を次々と蹴り飛ばす。その直後、彼らは全力でアガルタの都に向けて突進していった。
「さて、次の準備にかかるか……」
ヘイズはクスリと笑みを浮かべながら杖を振るい、その姿を消した。
「……おい、あれは何だ?」
草原の彼方から何かがものすごい速さでこちらに向かっているのを、城壁の上で警備をしていた兵士が気付いた。彼はすぐさまアガルタ軍の本部に伝令を走らせる。だがそれらは、何かにとりつかれたかのように、一直線にアガルタの城壁に向かって来ている。
「な……ドラゴン? 槍?」
彼の目に移ったのは、中型のドラゴンだった。しかも、その先頭を走る一頭には、頭に生えた二本の角の先に、槍のようなものが取り付けられていた。ドラゴンは瞬く間に城壁に肉薄してきた。
パァーン!!
大きな風船が割れるような轟音が響き渡る。その衝撃のためか、突撃してきたドラゴンたちが仰向けに倒れながらバタバタと両手足を動かしている。程なくしてそれらはクルリと元の姿勢に戻り、そのまま城壁沿いを走り、西門の方角に向かっていった。
叫び声が聞こえたのは、しばらくしてからのことだった。何と、城壁に突撃してきたドラゴンが、西門から都の中に躍り込むようにして侵入したのだ。周囲の人々は吹き飛ばされ、ある者は城壁に体を打ち付けられて、大きなケガを負った。
「……そうか。ご苦労だった」
そう呟いているのは、マトカルだった。彼女は帝都にある屋敷の自室の窓から顔を出していた。そこにはパタパタと羽を動かしながら空に浮くフェアリードラゴンが、彼女に都の状況を報告していた。そこではドラゴンが暴れ、さらに、外では数百ものアンデッドが暴れながら西門の方向に向かっているのだという。警備兵たちはドラゴンを押さえるのに精いっぱいであり、アンデッドにまで対応しきれていないようだ。
「帰って、休んでくれ」
彼女は引き出しから干し肉を取り出して、フェアリードラゴンに差し出す。
「……どうした? そんな申し訳なさそうな顔をするな。命じたのは私だ。お前は私の命令に従っただけだ。お前が責められることはない」
マトカルはフッと優しい笑みを浮かべる。それを見て、フェアリードラゴンはスッとその姿を消した。
「さて、支度をしようか……」
しばらくして、マトカルは鎧に身を包んで部屋を出た。廊下を歩きながら彼女は、リコ様たちには申し訳ないと思いながら、まずはアガルタの都の防衛をいかにするべきかを考えていた。もしかすると、リノスの張った結界が破られる可能性があるということは、彼女自身も承知していた。中型とはいえ、ドラゴンが都の中まで侵入しているのは、結界が破られたと考えていいだろう。さらに報告では数百に及ぶアンデッドが都を目指しているのだという。彼らは一体一体の力が極端に強い。従って、一対一の勝負になると抜群の強さを発揮する。それに対抗するためには、組織的に攻撃を加えねばならない。それができる将兵は今、リノスの許に行ってしまっているため、自分がやらねば、都に大きな被害が出るだろうと考えていた。
彼女は足音を消して離れの建物を出て、転移結界のある場所に向かう。そのとき、何か空気を切り裂くような音が聞こえた。そこには、庭でエリルが棒を持って素振りをしているところだった。確か、この時間は、アリリアたちとおままごとをして遊んでいる時間のはずだが……そんなことを考えながら、マトカルは足を止めた。
エリルはマトカルに背を向け、その存在には気づいていない。ただひたすら、一心不乱に棒を上段に構え、そこから一気に振り下ろす作業を繰り返している。
このまま通り過ぎることはできた。だが彼女は、エリルの背中を見て、どうしてもそこを動くことができなかった。
「違う」
マトカルの声に、エリルが驚いたような表情を浮かべながら振り返る。
「えっ? マト……ちゃん?」
「エリル、剣は、右手で振るものではない。左で振るのだ」
そう言って彼女はエリルの許に近づき、その小さい手に握られている棒を静かに取り上げる。そして、ゆっくりと構えてスッと上段の構えを取り、そこから一気に振り下ろした。
「剣は、こうやって振るのだ。エリル、お前は筋がいい。まだ剣のことはわからないだろうが……剣が好きならば、帰ってきたら、教えてやろう」
「どこに……行くの?」
「ナイショだ。ママにも、内緒にしておいてくれ。すぐに戻ってくる」
そう言って彼女はエリルに棒を返し、スタスタと転移結界のある場所に向かった。エリルはその様子を呆然と見送った。
「エリル? どこにいるのです? エリル?」
母屋の方から自分を呼ぶ声がする。この声は、ママの声だ。
「まあ、ここに居たのですか、エリル。何をしていたの?」
棒を握り締めたまま、エリルは動けないでいる。そんな彼女に近づいて来たリコは、怪訝な表情を浮かべながら口を開く。
「何をしていましたの?」
「う……う……う……」
「……エリル?」
「マトちゃんが……」
「マトがどうかしましたの?」
「……何でもない」
「エリル!」
リコが真剣な表情を浮かべながら、エリルの前にしゃがみ込む。そして、彼女の目をじっと見つめる。しばらくすると、エリルの目から涙が溢れてくるのが見えた。
「マト……ちゃんが、鎧を着て……出かけて行きました」
「何ですって?」
リコは立ち上がると、母屋の方向を向いて大声で叫ぶ。
「ペーリス! ペーリス! 子供たちのことを、頼みますわっ!」
慌てて勝手口から出てきたペーリスを見て、リコは小さく頷く。そして再びエリルの前にしゃがみ、優しく彼女を抱きしめた。
「お母様はすぐに戻ってきますわ。その間、妹と弟たちのことを、頼みますわね?」
「マ……ママ……」
リコはエリルから体を離し、再び彼女の目をじっと見つめる。
「できるかしら?」
エリルは涙を拭き、しゃくり上げながら、大きく頷いた。
「それでこそ、お姉ちゃんですわ。よく知らせてくれました。すぐに、マトを迎えに行って来ますわ」
そう言ってリコはにっこりと笑う。……初めて見る母の表情だった。いつもの厳しい母の顔ではなく、ゾッとするほど美しい笑顔だった。そのあまりの美しさに、エリルの体は震えた。
リコは立ち上がり、転移結界のある場所に向けて走り出した。その後姿を見て、エリルの目には再び、涙が溢れだした……。




