第三百四十七話 よくもお主は……
「ラファイエンス様、戦死~! ラファイエンス様、あえないご最期~!」
俺がヴィエイユの陣から戻ってきた直後、そんな言葉が耳に入ってきた。
「将軍が……戦死? どういうことだ!?」
「しばらくお待ちください! ただいま確認中です!」
兵士の一人が早口でまくし立てる。前線は乱戦になっていて、俺のいる場所からでは味方と敵が判別しにくい状況になっている。
ちょっと陣を留守にしていたら状況が変わってしまっているために、俺はこれまでの状況を聞こうと周囲に目を向けてみるが、皆、ヴィエイユたちが張っている陣に視線を集中させている。そこに視線を向けてみると、彼女の軍勢が徐々に敵の左翼を囲みつつあり、タナ軍の陣形が崩れようとしているようだった。
「あいつ、やるな……」
思わずそんな言葉が口を突いて出てきた。俺は敵が動揺してくれれば十分と考えていたのだが、あの様子では、敵の左翼がかなり押されているように見える。そのとき、どこからともなくイッカクが姿を現す。驚きのあまり俺は声を上げることができないでいた。マジでコイツは心臓に悪い。
「将軍殿、ご最期。お味方、参着」
「え?」
「サンダンジ軍、参着」
彼が指さす方向を見ると、北東の方角に一軍が集結していた。ようやくニケの軍勢が到着したようだ。しかも、あの位置に陣を張ると、タナ軍の退路を断つことになる。いい位置に陣を張っている。
俺は戦況とラファイエンスの確認をしようと、再び前線に目を向ける。すると、そこから数人の兵士が、一人の男を抱え上げるようにしてこちらに走ってくるのが見えた。
「将軍!」
俺の許に到着したのは、ラファイエンスの亡骸だった。彼は右手に剣を握り締めたまま目を見開いていた。その目からは光が失われており、何より、彼の体には矢が数本突き刺さっていて、中でも、その首に深々と刺さる矢が、痛々しさに拍車をかけていた。
「将軍! 将軍~~!!」
俺の必死の呼びかけにも、彼は全く反応を示さない。俺の心の中に、沸々と怒りが湧き上がってくる。
「あの野郎!」
俺はイリモの許に向かい、ひらりと彼女の背中に乗る。そしてすぐさま彼女を走らせようとするが、何故か彼女は進まない。
「御待ち候へ」
気が付くと、イッカクがイリモの鼻先に掌を当てて、彼女が進めないようにしている。俺は怒気を込めた声で、イッカクに命令を下す。
「どけ! 将軍の敵討ちだ! どくんだ!」
「お平らに」
「何っ?」
「大将が動けば、負けに候」
「何を言っていやがる!」
俺の言葉を無視する形で、イッカクは残る左手をスッと上げる。彼の指の先には、少しずつ自陣に後退していくタナ軍の姿があった。どうやら退却命令が出ているらしい。退け、退けという声が聞こえてきた。
「いや、よかった。ようやく一息つけるな」
突然頓狂な声が上がる。驚いた俺は声のする方向に視線を向ける。何とそこには、上半身をムクリと起こした、ラファイエンスの姿があった。
相変わらず顔面は蒼白だが、首が小刻みに左右に揺れている。首に矢を刺したまま動いている姿は、不気味以外の何物でもない。
「しょ……将軍!」
俺はイリモから飛び降りて、ラファイエンスの許に走る。彼は俺の姿を見ると、ニヤリと笑みを漏らした。
「死んだと思ったのだがな。あいにくと、生きているようだ」
「よかった……でも、何で……。その……矢が首に……」
俺の戸惑いをよそに、彼は首筋に手を当て、刺さっている矢に触る。するとそれがポロリと地面に落ちた。ペタペタと体を触るが、特に痛みなどは感じないらしい。体に刺さっていた矢も、ほどなく全て地面に落ちた。
「これのせいかもしれんな」
彼はゆっくりと鎧の中に手を入れ、懐から小さな箱を取り出した。それはあちこちに傷があり、すでにボロボロの状態だった。
「将軍……これは?」
「ポセイドン王からもらった箱だ」
「……あのときの」
確か、メインティア王と共にポセイドン王宮を訪問したときに、ラファイエンスがもらってきた箱だ。まさかこの箱に命を守る効果があったのだろうか。そんなことを考えていると、老将軍は掌に乗せた箱をゆっくりと握る。すると、彼の手からサラサラと砂のようなものが流れ落ち、その手には何も残らなかった。
彼は、ゆっくりと息を吐き出しながら、首だけを俺に向けた。
「すまないが、少し疲れた。あとのことは、頼みたい」
「わかりました。任せてください。伝令! 前線の兵士たちに伝えてくれ。将軍は無事だと」
「いや、それには及ばん」
俺の言葉を遮るようにして、ラファイエンスが口を開いた。
「何故です、将軍!」
「私が死んだことにしておけば、敵は油断するだろう。なぁに、わが軍のことなら、心配いらん。私が死んでも持ち場を動くなと厳命している。見なされ、敵が徐々に後退している。私がいなくても大丈夫だ。さすがは、オワラ衆だな」
彼は俺の後ろに控えているイッカクに視線を向けて、ニヤリと笑う。そして再び俺に視線を向けて、彼はゆっくりと頷いた。
「わかりました将軍。そのようにしましょう。まずは、休んでください」
俺の言葉に安心したように、老将軍はニコリと笑顔を見せ、そのままパタリと仰向けに倒れた。程なくして彼から大きなイビキが聞こえてくる。
「……まあ、あれだけ熟睡できれば、問題ないだろう。誰か、将軍をクノゲンの所まで運んでやってくれ」
兵士たちが迅速な動きで、老将軍を担架に乗せて、後方の部隊まで運んでいく。俺はため息をつきながら、前線の戦況に目を向けた。そこでは、司令官を失ったにもかかわらず、タナ軍を押し返そうとしているアガルタ軍の様子が目に飛び込んできた。
「うん? タナ軍が引き始めているのか? よし! ……だが、ここでは遠いな……。本陣を前線に移すぞ! 進め!」
一糸乱れぬ動きでリノスの本陣が前線に向かって動き出す。それを見たアガルタ軍の兵士たちの士気は上がり、タナ軍にさらなる攻撃を加えるのだった。
◆◆◆◆◆
「これ以上は攻められぬと申すのか!」
タナ王国国王であるヴィルは激怒していた。アガルタ軍の総司令官であるラファイエンスが戦死したという報告を聞いたが、にもかかわらず、前線の兵はそれ以上前進することをせず、それどころか、兵士たちは徐々に後退していく有様だった。
ヴィルは理解できなかった。すでに、敵軍の要である将を討ったのだ。あと一押しでアガルタ軍の正面は崩壊する。アガルタ王・リノスの首は、すぐ手の届くところにあるのだ。にもかかわらず、攻めることをしない将兵たちが、彼には理解できなかった。
「恐れながら、前線の兵士たちの間で、退却命令が下されている由にこざいます」
「何故だ! 我の命令以外は聞いてはならんと厳命しているはずではないか! しかも、アガルタを攻めているのは、ホンシュとルミネであろうが! 奴らが……臆病風に吹かれたというのか!」
ヴィルは知らない。オワラ衆の一人が、そのホンシュの声色を真似て、兵士たちに退却命令を出していたことを。乱戦の中、兵士たちは周囲を見廻す余裕もなく、目の前のアガルタ兵と戦っていた。そこにきて退却命令……。彼らはそれに従って、ゆっくりと退却を始めたのだ。一方で、司令官であるホンシュ本人は、攻撃命令を出しているにもかかわらず退却してくる兵士たちを見て激怒し、再び大声で攻撃命令を出した。ここに来て、タナ側の兵士たちに混乱が生まれ、前線の部隊は大混乱になっていたのだ。
「陛下! 一旦兵を引き、態勢を整えましょう!」
「何っ! 敵は寡兵! あと一歩でアガルタ王の首が獲れるのだ! 攻めよ! 攻めるのじゃ!」
幕僚の一人であるタブーが、必死にヴィルに進言するが、彼は憤怒の形相で睨みつけ、攻撃命令を下す。だが彼はそんな主君に対して、噛んで含めるような言い回しで、説得を試みる。
「陛下、恐れながら、戦は数ではございません! 一に軍略、二に地の利、三に兵の士気でございます! 我らは地の利に乏しく、さらには、兵の士気も低下しております。ここは一旦お引きください! 軍勢を立て直せば、十分我らに勝機はございます! 軍神であらせられる陛下が、それをお分かりにならぬはずは、ありますまい!」
「申し上げます! サンダンジ軍が、こちらに向かって動き始めました!」
「申し上げます! 右翼に展開しておりました敵軍が、我が後方に回り込み、スワンプに突入する構えを見せております!」
「何とか食い止められぬのか!」
「恐れながら、陛下……」
「……全軍をスワンプに一旦転移させる。オクタ! オクタはおらぬか! オクタ!」
「恐れながら、どこにも姿が見当たりません!」
「何ィ!? 余から離れるなとあれほど申しておったに!」
「今は、軍勢を立て直すことが先決でございます。いたずらに将兵を消耗するのは……」
「もうよい!」
ヴィルは吐き捨てるように、タブーの言葉を遮った。彼は立ち上がり、指揮棒を真っ二つに折りながら、大声で命令を下す。
「タブー、全軍に告げよ! 敵を迎え撃ちながら後方へ陣を結集し、スワンプに退けと!」
彼は折った指揮棒を地面に叩きつけると、大股で愛馬の許に向かい、その背に跨った。
「オクタ……どこに行ったのじゃ……。余から離れるなと命じておったに……」
唇を噛みながら彼は、馬の尻に鞭を入れた。オクタさえいれば、十万の軍勢をすぐさま別の場所に移し、そのまま攻撃ができるのに……。彼は忸怩たる思いを胸に、近習と共に、本陣を離れた。
その頃、アガルタの都では、リノスの妻たちが、最大の危機を迎えようとしていた……。




