第二百二十七話 贖罪
リノスが結界村に帰ってきたのは、すでに日が西に傾いていた。
「……ひでぇな」
村の入り口付近でイリモを止めた彼は、思わず呟く。そこには、夥しい数のクリミアーナ兵の死体が並べられていた。そして、その周囲には亡くなった兵士たちの友や家族たちが、アガルタ兵たちと共に粛々と弔いの準備をしているところだった。
兵士たちの亡骸は、どれもひどい有様だった。一人として、五体満足の者はいなかった。しかも、全員が笑顔を浮かべて絶命しているという、凄惨な光景がそこにあった。
リノスの姿を見つけた、ラファイエンスが近づいて来る。そして、二人は馬を並べて、報告をし合う。
「クリミアーナ兵は全員討伐した。絶命せん限り、何度でも立ち上がって戦いを挑んでくるので苦労したが、心臓を一突きして息の根を止めた。あまり苦しませたくはなかったのでな。こういう掃討戦は、心が痛むな」
「ありがとうございます将軍。カッセルの方は、キツイお仕置きをしてきました。おそらく、死ぬことはありませんが、死ぬよりも辛い苦しみを味わい続けることになるでしょう」
「そうか……。とんでもないヤツだったが、よくよく考えれば、あれはまだ子供だ。そう考えると、クリミアーナという国は、恐ろしい国だな」
「ええ。この後の処理は、慎重にしなければなりません」
老将軍は無言で頷き、そして、彼は再び俺を見る。
「リノス殿、あとのことは私に任せてくれ。貴殿は、マトカルの所へ……」
「そうさせてもらいます。あとはよろしくお願いします」
そう言って俺は、アガルタの医療研究所に転移した。
中に入ると、メイの部屋に通された。いつも思うが、この施設は常にキレイで清潔だ。働いているスタッフも研究者も、俺を見ると気さくに挨拶をしてくれる。メイたちの努力の賜物か、この施設には研究所によくありがちなおカタイ雰囲気は微塵も感じられない。そんなことを思いながらしばらく待っていると、メイがやってきた。
「お待たせしました」
「メイ、どうだ、マトの様子は?」
メイは小さく頷く。
「意識は取り戻しました。命に別状はありません」
「そうか……。安心したよ。でも、なんであんなに出血していたんだ?結界は完璧に張っていたんだがな。やっぱり体のどこかを斬られていたのか?」
メイは目を泳がせながら、何やら言いにくそうな様子で俺を見た。やがて彼女は意を決したように、口を開く。
「言いにくいことなのですが……」
「なに? どうした?」
「マトちゃんのお腹には、赤ちゃんがいました」
「なに?」
「妊娠していました」
「えっ……。ちょっと待て。マトは落馬していたぞ? そして……」
「はい。おそらくその時に、流産したものと思われます」
「り……流産?」
「まだ初期段階の妊娠でした。マトちゃんにも自覚症状は少々あったようですが……」
しばし呆然となる。どのくらいの時間が経ったのだろうか。俺は必死で言葉を絞り出す。
「マトは……どうしている?」
「今は薬で眠らせています。経過を見ないとわかりませんが、おそらく手術は必要ないと思います。ただ、しばらくは安静にしていないといけませんので、数日はこちらで入院させたいと思います」
主治医としてローニが付いてくれているのだという。俺はローニにくれぐれもよろしく伝えてくれと伝言して、イリモを連れて帝都の屋敷に帰った。
本来はラファイエンスに伝えてやらなければならないのだろうが、俺はどうしてもそんな気分になれなかった。屋敷に帰っても呆然としたまま、全てが上の空だった。俺はとりあえず、寝室に向かい、ベッドの上で大の字になる。
「どうしたのです、リノス?」
様子を察してリコが部屋にやってきた。彼女はゆっくりとベッドに腰を下ろして、やさしく俺の手を握った。俺はマトカルが妊娠していたこと、今日の戦闘のこと、そして、彼女が流産したことを話した。リコはその話をじっと聞いていたが、やがてその話を聞き終わると、毅然として立ち上がった。
「リノス、ローニが言っていましたが、妊娠初期での流産は、誰のせいでもないのですわ。誰のせいでもないのです。リノスのせいでも、マトのせいでも、そして……クリミアーナやヴィエイユたちのせいでもありませんわ。絶対に……マトを責めてはいけませんわ」
「ああ、わかっている」
「しっかり、しっかりするのです、リノス。マトを救えるのは、リノス、あなたですわ」
そう言ってリコは俺にキスをして、部屋を出ていった。
俺はダイニングに降りる気がせず、メシも食わずにボーッと考えていた。子供がいると知っていれば、マトを従軍させなかった。いや、俺の采配が間違っていたのか。マトが殿を受け持とうとしたのを止めていれば、こんなことにはならなかった。そもそも、あのクソガキがあんなことをしなければ……。いやいや、もっとうまくクリミアーナの対策をしていれば……。
色々と考えるが、答えは出てこない。どのくらい時間が経ったのだろう。再びリコが部屋に入ってきた。
「とうたーん」
パタパタとエリルとアリリアが部屋に入ってくる。
「さあ、リノス、考えるのはそのくらいにして、エリルとアリリアをお風呂に入れてくださいな。一緒に入りますわよ」
リコに無理やり促される形で、俺はリコと共に、娘二人と風呂に入った。風呂の中での彼女らはお転婆そのものだ。じっとしていることがない。俺は泡だらけになりながら二人を追いかける。そのおかげで、かなり気が楽になった。
娘たちを風呂から上げると、シディーとソレイユが彼女たちの体を拭き、着替えさせる。俺はようやくゆっくりと風呂に浸かることが出来た。リコの話では、マトカルの事は帰ってきたメイが皆に伝えてくれたそうで、さすがに皆もショックを受けたようだ。しばらくそんな話をしていると、リコが俺の隣に寄ってくる。そして、膝立になり、俺の顔を抱きしめた。
「リノス、マトが帰ってきたら、こうやって抱きしめてやってくださいませね。何も言わなくてもいいです。こうやって、抱きしめてあげるのです」
「リコ……」
「一番傷ついているのはマトですわ。すぐには癒えないと思いますけれど、そういうときこそ、リノスが傍にいてあげてくださいませ。抱きしめられると、傷は癒えていくものですわ」
「わかった……。リコ、ありがとう……」
その夜、リコはその小さくて、柔らかい手で、一晩中俺の手を握り続けた。
次の日の朝、俺はリコと共にマトカルを見舞った。ショックを受けているかと思いきや、彼女は意外に元気な様子だった。
「まさか、私に子供が出来ていたとは思わなかった。ちょっと、体の調子がおかしいと思っていたが、予想外だった。いや、もう大丈夫だ。心配をかけた」
「マト、無理をしてはいけませんわ。ゆっくりと休まないといけませんわ」
「すまないリコ様……。ところで、クリミアーナの連中はどうだったのだ? ヤツらの強さは尋常ではなかった。アガルタ軍に被害は? ラファイエンス様や皆は無事だろうか?」
俺は彼女に、その点については心配いらないと伝える。
「マト、早く元気になってくれな。エリルやアリリアも、マトがいなくて寂しがっている」
「そうか。それならば、早く屋敷に帰らねばな。エリルもアリリアも、いい子たちだ」
そこまで言うと、マトカルはゆっくりと視線を病室の窓に向けた。
「……次の春を迎えるころには、この手に抱けていたのか」
「マト?」
マトカルの肩が、小刻みに震えていた。
「きっと……きっと、私に天罰が下ったのだな。……私は多くの人を殺してきた。その罰なのだろう。……今まで上手くいきすぎていたのだ。私が、幸せになっては、いけないのだ。……でも、産みたかった。エリルや、アリリアのような子供を……私も……。それにしても……どんな罰でも受け入れる覚悟はできていたが……。この罰は……辛いな……」
マトカルの声がどんどんと涙声になっていく。俺は思わずマトカルの手を握る。リコも俺と共にその手を握る。
「マト……。きっと赤ちゃんは、今、生まれてくる時ではないと思ったのですわ。きっと、きっと、一番いい時期にまた、戻ってきてくれますわ。だからマト、その時のために早く体を治すのです」
「リコ様……。リノス様……」
マトカルは初めて、俺たちの前で涙を見せた。俺もリコも、ただ無言で、彼女の背中を撫で続けることしかできなかった。
「そうか……。そんなことになっていたとはな……」
俺から報告を聞いたラファイエンスは、ショックを隠し切れない様子だった。
「珍しい話ではないが……。娘のように接してきたマトカルが、そのようなことになると、ちょっとこたえるな。実は、楽しみにしていたのだ。マトカルとリノス殿の子供を」
「将軍……」
「いや、忘れてくれ。老いぼれの、戯言だ」
ラファイエンスは苦笑いを浮かべながら、手をヒラヒラと振る。そして彼は、毅然とした顔になり、昨日の報告を始めるのだった。
クリミアーナ兵たちの埋葬は完了しているという。さすがに村の住民たちは動揺していたようだが、特に大きな混乱もなかったとのことだった。そして、これからのクリミアーナについて話をしていると、突然、兵士の一人が俺たちの所に飛び込んで来た。
「報告します! 村人が我々の制止を振り切って、続々と広場に集まっています! どうやらヴィエイユが村人を集めているようです!」
慌てて俺と老将軍は村の広場に向かう。そこには、大勢の信徒の前で、よく通る声で演説するヴィエイユの姿があった。
……その内容は、衝撃的なものだった。