第二百二十八話 言わぬが花と知らぬが仏
「ここにいる皆さんは、教国では選びぬかれた、優秀な方々でした」
ヴィエイユは桶のようなものをひっくり返し、その上に立って演説をしている。そして、それを囲むように、多くの信徒が集まって来ていた。警護の兵士たちも戸惑っている様子で、俺の姿を見ると、全員、俺に視線を向けてくる。俺は、手を出すなと目で合図をして、ヴィエイユの話に耳を傾ける。
「皆さんは、これまで身に付けてきた技術、知識、経験には誇りを持っていたと思います。それは私も同じでした。しかし、ルロワンスに感染した私たちは、何もできなかった。ただ、いつ訪れるとも知れない死を待つだけでした」
集まった信徒たちのざわめきが収まり、広場がシンとした静寂に包まれる。
「私は、死ぬことが怖かった。そして、死にたくないと切に思いました。必死で祈り続けました。しかし、主神様はなにもお応えにはなりませんでした。そんな私たちを救っていただいたのは、アガルタ王様でした」
ヴィエイユは俺に気が付いたが、すぐに視線を逸らせて、言葉を続ける。
「何も私は、みなさんにアガルタ王に忠誠を誓えと言っているわけではありません。そして、逆に、これから先もクリミアーナ教に対して忠誠を誓えと言うつもりもありません」
教徒たちが騒がしくなる。しかし、ヴィエイユはそれに構わず、口を開く。
「私は、今回のことは、主神様が我々に無力感を感じさせるために与えられた困難だったと解釈しています。我々は今回のことで、何もできなかった。そう、我々はこれまで世界一の国家を自負してきましたが、実際の我々は、無力だったのです。そんな無力の私たちですが、我々はこれまで、クリミアーナ教を信じる者には手を差し伸べて、信じない者には見て見ぬふりをしてきました。……傲慢だったと思います。もし、我々と同じことをアガルタ王がなさっていたらどうなっていたでしょう? ……ここにいる全ての者たちは、死んでいたでしょう」
そう言ってヴィエイユは目を閉じて、顔を上げる。そして、再び目を開き、信徒たちを見回す。
「しかし、アガルタ王は我々をお助け下さった。そして、私たちは今、生きています。これはきっと、我々も、教徒以外の人々も救えとの、主神さまのお導きだと思うのです」
再び広場が静寂に包まれる。
「アガルタに来たこと、ルロワンスに罹ったこと、それらは決して間違いではありません。意味があったのです。我々は今、生きています。生きることが許されたのです。まだ、生きてやるべきことがあるはずなのです。我々は、一人でも多くの人々を救うために生かされたのではありませんか。無力だけれども、それでも、私たちだからこそ、できることがあるはずです。我々の英知を結集して人々を救いましょう。それこそが、主神様が私たちに伝えたかったことではないでしょうか」
そこまで言うとヴィエイユは息をつき、そして、満面の笑みを湛えて、口を開く。
「だから皆さん、教国へ、アフロディーテに帰りましょう。そして、真のクリミアーナ教を作っていきましょう」
彼女は信徒一人一人に、帰りましょう、一緒に作っていきましょうと呼びかけている。集まった信徒たちは泣いていた。裏切り者と呼ばれることもなく、むしろ、自分たちが信じる主神様に認められているというヴィエイユの言葉に深く共感し、安堵したようだった。
彼女はピョンと樽の上から降り、まっすぐに俺の所に向かってきた。
「アガルタ王様、我々はアフロディーテに帰ります。ただ、申し訳ありませんが、イルベジ川の水量が落ち着くまでは、もう少しこちらに居させていただいてよろしいでしょうか」
俺はヴィエイユの顔をじっと見て、あきらめたように口を開く。
「好きにしろ。まあ、まだルロワンスが完治したかどうかもわからんからな。川の水位が落ち着くまで、この場所はお前たちに貸しといてやる」
「ありがとうございます。このご恩、忘れません」
「取りあえず、森の奥に隠れている信徒たちも何とかしろ」
「畏まりました。私が責任をもって話をします」
俺は隣の老将軍に視線を向けて呟く。
「将軍、しばらくは……」
「任せてくれ。願ったりかなったりだ。なかなか墜ちない花もあるのでな」
「墜ちない花……ですか? この村に花など咲いていましたか?」
老将軍の言葉を聞きつけたヴィエイユが話しかけてくる。ラファイエンスは遠くに目をやって、頷きながら口を開く。
「言わぬが花だ。お嬢ちゃん」
数週間後、俺は執務室で、メイ、ローニ、チワンの訪問を受けていた。ルロワンスの分析結果について進展があったのだ。
「原因は、カビか……」
てっきり病原菌の類だと思っていた俺は、予想外の結果に絶句する。そんな俺にチワンは落ち着いた様子で、噛んで含めるようにして説明を始める。
「はい。クリミアーナの人々は、食料生産のために森を焼き、畑を作りました。そして、その肥料としてアヒルネの灰を肥料として使用していました」
「アヒルネの灰?」
「はい。南の島に生えている雑草なのですが、これを灰にすると、作物の生育を助ける肥料になるのです」
「で、その肥料とカビとどういう関係があるんだ?」
「そこに森の中の湿度が異常に上がり、結露が発生しました。そこに生えたカビが、ルロワンスの原因になったのです」
「チワン、すまんがもう少し詳しく説明してくれ」
「はい。通常であれば、アヒルネの灰にはカビなどは生えません。しかし、このカビは異常な湿度と低温の環境で増殖するのです。まさに、アガルタの冬と森の中の湿度上昇が、この病を生み出したと言って過言ではありません」
「そうなのか……で、そのカビはなぜ、人を死に至らせるんだ?」
「人体に吸い込まれたカビは、血管に炎症を起こすのです。感染した患者に紫の斑点がありましたが、あれがまさにそうです。そして、その炎症は段階的に進行すると同時に、徐々に体の中心に広がっていき、最後は肺に炎症を起こします。突然呼吸困難になりますので、突然死に見えるというのが、このルロワンスという病です」
「そうか……。通常、首の周りに紫の斑点が出るものが、どうしてクリミアーナの連中、特にヴィエイユなんか顔中に斑点が浮き出ていたが、あれはどういうわけだ?」
「通常ですと、気温や湿度は変化します。従って、病気の進行は遅く、まず、口に近い首の周りに斑点が出るのですが、アガルタの場合は安定して気温が低く、湿度が高い日々が続きました。そういった意味で、病気の進行は早まったと考えられますが、ヴィエイユの場合は特殊ですね。顔中に斑点が出るというのは、現在も調査中です。ただ、あのまま放っておくと、おそらく脳が浸食されたと思われますので、治癒のタイミングとしてはギリギリだったと思います」
「何とも……。ヴィエイユは、運がよかったということか……」
「このルロワンスですが、さらに厄介な点があります。それは、森の土壌も汚染するという点です」
口を開いたのはメイだ。
「土の上で増殖したカビは、少量の毒の物質を排出していますので、少しずつ土壌を汚染していきます。このままではあの森では作物は出来なくなります」
「それを止めるには、どうすればいい?」
「気温を上げて、湿度を下げればカビは死滅しますので、それでよいかと思います」
「もう森の精霊たちの嫌がらせはなくなっているはずだから、湿度は心配ないと思うが……。念のため、結界内の温度を上げておこう。30℃くらいにしておこうか……」
メイたちは顔を見合わせて苦笑いをしている。そんな彼女たちに、俺は再び口を開く。
「で、その治療薬は出来たのか?」
「はい、できました」
「おおう、さすがはメイたちだな。ということは、グラリーナの唱えた説は、全く的外れだったということか」
「ところが、そうでもないのです」
チワンが苦笑いをしながら、口を開いている。
「どうゆうこと?」
「グラリーナの作る酸液が、ルロワンスを発症する体内のカビを死滅させるのです」
「はあ? 何じゃそら?」
「羊獣人の胆汁と酸液を混ぜて……というのが、彼女の説でしたが、実験の結果、羊獣人の胆汁を混ぜると、少しだけカビの死滅が早まりますが、酸液さえあれば、なくても問題はありません」
「確か、猫獣人を媒介して感染すると言ってなかったか?」
「はい。それも実験しました。猫獣人にはルロワンスの耐性がありましてね。ルロワンスのカビを何年も保菌できるのです。おそらく、グラリーナが使用した猫獣人の体液には、その菌が混じっていたのでしょう」
「何ちゅう女だ……」
「ええ。彼女自身には自覚は全くありませんが、おそらく、完全にとはいきませんが、ある程度であれば、正解にたどり着く最短距離を導き出す才能があるのでしょう。ある意味で、彼女は神様に愛されています」
「私は、そういうことは一切認めません」
はっきり言い切るのはローニだ。確かに、彼女の考えからはグラリーナの偶然の産物というのは受け入れられないだろう。
「つまり、コントロール抜群ってやつか。あれ? そういえば、もう一人、コントロール抜群だなと思った奴がいたと思うんだが……。思い出せないや」
「結果的に、リノス様のLV5の回復魔法は、炎症を起こし、壊死していた血管を復活させたのでしょう。そのために患者が治癒したものと考えます」
「なるほどな。で、チワン、その治療薬というのは、どういうものだ?」
「どういうも何も、グラリーナの酸液を直接注射して、あとは血管の炎症を抑える薬を投与するだけです。感染初期であれば治癒できますし、発症していなくても、酸液を注射しておけば、ルロワンスに感染することはありません。病が進行してしまうと、かなり厄介ではありますが……」
「なるほど。だから、ルロワンスに感染していた奴は、親子代々に続いていたのか。住んで居る場所が一緒だからだったんだな。それでようやく納得がいったよ」
俺は、ゆっくりと息を吐きながら遠い目をする。
「嫌がらせをして、クリミアーナの連中に穏便に出ていってもらおうとした俺の策略は、ルロワンスの壮大な人体実験になっていたということか……。まあ、そのためにメイをはじめとした、ポーセハイたちを本格的に撲滅の研究に向かわせることになったから、それはある意味で、クリミアーナのお陰と言えば言えなくもないか……」
「まあ、教国の連中のこれまでの行いを考えれば、このくらいの仕打ちは仕方がないと思いますが……」
「チワンもそう思うか?」
「ご主人様、私たちは早速、結界村の方々に酸液を配ってきます。あと、まだ感染している人たちにも……。ルロワンスの発症原因については、ヴィエイユさんに伝えますか?」
俺は笑みを浮かべ、ゆっくり首を振りながらメイを見る。
「メイ、それは、知らぬが仏だ」




