第二百二十五話 カッセルの狂気
カッセルは、肩で息をしながら、目をむき、歯をむき出して、まるで悪魔のような形相でリノスを睨みつけている。そんな彼の様子を、リノスは冷たい目で見下す。
「坊主、もう、お前の知っている姉さまは、ここにはいない。お前の大好きな姉さまは、死んだようなものだ」
「うぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
あらん限りの力を込めてカッセルは叫ぶ。この少年の小さな体のどこに、このような力が秘められているのかと疑う程の声量だった。そして、ひときわ大きく目を見開くと、彼は踵を返して脱兎のごとくその部屋から出ていった。余りの予想外の行動に、リノスはポカンと呆気にとられる。
「全く……。一人でしゃべって、一人で出ていきやがった。俺の話も聞けってんだ」
リノスは人を呼び、ヴィエイユを警護するように命じて、カッセルの後を追った。
カッセルは全速力で走っていた。あふれる涙をぬぐおうともしないまま、村の出口に向かって走った。あの清楚で美しいヴィエイユ姉さまはもういない。聡明で強かった姉さまはもう……。今の姉さまは、汚れ、汚され、人も憚るような淫猥な言葉を口にする、下劣な女になり下がった。もう、あれはヴィエイユではない。憧れ、追いかけ、大好きだった姉さまではない。
今まで必死で考えてきたことは何だったのか。必死で姉さまを取り戻す方法を考えてきた自分が、バカに思える。そんな言いようのない怒りを感じながら、彼は村の出口まで走った。
村から出るとすぐ、マトカルに率いられたアガルタ軍が、その入り口を固めていたが、カッセルはそれには目もくれず、自分が率いてきた部隊に向かって走っていった。リノスが追いついた時には既に彼は、馬上の人となっていた。
「全員、薬を呑め!」
カッセルが大声で叫ぶ。その命令一下、クリミアーナの兵士たちが何のためらいもなく懐から薬を取り出し、飲み込む。
「何だ? 何をしている?」
馬上で、マトカルは怪訝な顔をしながら様子を窺う。クリミアーナの兵士たちは、全員が目を丸くして、驚いたような表情を浮かべて、固まっている。
「はぁーはぁーはぁ……。あああああああ、うわははははがぁぁぁぁうはははは!!!!」
固まっていたクリミアーナの兵士が、突然叫びだした。全員が天に向かって、叫びとも笑いともつかない声を上げている。そして、やがてその声は収まり、彼らは目を見開いたまま、焦点の合わぬ目をアガルタ軍に向けた。
「何か様子がおかしいぞ! 総員、戦闘準備! リノス様……ツっ! 後ろへ下がっていてくれ!」
マトカルは素早く兵士たちに戦闘準備を命じ、リノスを村の中に避難させようとした。しかし、すでにリノスはイリモに乗り、戦闘準備を整えていた。それだけでなく、いつの間にかラファイエンスもリノスの傍に付いており、戦闘態勢を完了していた。
「殺せ! 裏切者を殺せ! 邪神に惑わされた者どもを殺せ! 全員殺せぇ!!」
カッセルが部隊の一番後方から叫ぶ。その声に呼応するかのように、歩兵と騎馬兵の1000名からなるクリミアーナ兵が突撃を開始した。それを確認したカッセルは一人、踵を返してその場を去っていった。
「きゃああああああああ~~~~~~!!!!」
「ひぅりぃぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!!!」
およそ人の声とは思えないほどの奇声を上げて、兵士たちは突っ込んできた。よく見ると、兵士たち全員の顔が恍惚の笑顔になっている。そのあまりの不気味さに、さすがのアガルタ兵たちも一瞬たじろぐ。しかし、その中で一人、冷静に戦況を分析する者がいた。マトカルである。
「しっかりしろ! 展開せよ! 挟撃せよ!!」
よく通るマトカルの声に、アガルタ兵は我に返り、村の入り口を中心に、一瞬にして隊が二手に分かれて左右に展開する。そして、クリミアーナ兵がマトカル率いる正面の部隊に襲い掛かろうとしたその直後、両翼の部隊が一気に攻撃を仕掛ける。
「おお! さすがはマトカル。見事な采配だ」
村の入り口でラファイエンスが思わず声を漏らす。アガルタ軍は見事な連携で、一瞬のうちにクリミアーナ兵たちを、三方から包囲する形になっていた。
「うん? 何だあれは?」
リノスが不思議に思うのも無理はない。形勢はアガルタ側に圧倒的に有利であり、クリミアーナ兵たちは、剣で斬られ、槍で突かれ、魔法で切り裂かれ、焼かれるなどしている。しかし、彼らは全く怯まない。体中から血を流しながら、それでも恍惚の表情を浮かべてアガルタ兵たちに襲いかかってくる。いくら斬っても、突いても、どれだけ傷つけても、まるでゾンビのように襲い掛かってくるのだ。
「風刃!!」
風魔法がクリミアーナ軍の真ん中に叩き込まれる。それを撃ったのはリノスだ。一瞬のうちに、何十という兵士が真っ二つになる。しかし、クリミアーナの兵士は全く意に介することなく、目の前のアガルタ兵に狂ったように刃を突き立てている。
「何だあいつら? 仲間が死んでいるのに、笑っていやがる」
リノスは忌々しそうに呟くと、再び右腕に魔力を集中させる。
「灼熱弾!!」
再びクリミアーナ軍の真ん中に魔法が撃ち込まれる。LV5の火魔法のため、辺り一面が火の海になる。
「今のうちに全員、一旦撤退せよ! 村の中に引け! 引けぇ!!」
リノスの命令が下されると、今まで攻撃をしていたアガルタ兵が組織的に撤退していく。まずは両翼に展開している部隊が、敵を攻撃しながら徐々に村の入り口に向かって撤退していく。そして、両翼の部隊が村に入ったその時、火の海の中から躍り込むようにしてクリミアーナ兵たちが現れ、マトカルの部隊に襲いかかった。
「殿は私が引き受ける! 全員引け!」
マトカルの部隊は、彼女を中心に炎から現れる兵士たちを斬り伏せながら後退していく。一切後ろを振り返らずに後退していく様は、実に見事だ。しかし、炎の中から現れた一人が、マトカルの乗る馬の首にしがみついた。何と男は全身に炎を纏いながらなお、恍惚の表情を浮かべていたのだ。
「ヒヒヒヒヒィィィィーーーーーン!!」
突然、炎を纏った男に抱き着かれて驚いた馬が暴れだす。その瞬間、マトカルの体が宙に投げ出され、そして地面に叩きつけられた。その直後、クリミアーナ兵は倒れているマトカルに襲いかかった。
「マト!! ウインドカッター!!」
リノスは叫び、風魔法でマトカルに狂ったように襲いかかる兵士たちの首を跳ねる。その直後、彼女はアガルタの兵士たちに抱えられるようにして村の中に運び込まれ、それを確認したリノスは再び、村全体に強力な結界を張った。
「これで安全だ。これでヤツらはここには入ることはできない。とはいえ、村の周囲を固めて警護を怠るな。この結界村の人間たちからも目を離すなよ!」
兵士たちにそう命じると、リノスはイリモから降り、マトカルの所に向かう。当然、マトカルをはじめとするアガルタ兵たちにはリノスの結界が付与されており、彼女が傷を付けられることはない。しかし、マトカルは気を失っているためか、動かない。顔面が蒼白になっている。
「マト! おい、マト! しっかりしろ!」
マトカルを抱き起してみるが、反応はない。よく見ると、彼女の寝ていた地面が血に染まっている。
「これは……血? 何故だ。マトには結界を張っているのに、なぜ出血している!? おい、マト! マト!」
マトカルはリノスの呼びかけにも一切、反応を示さない。リノスは傍にいたラファイエンスに目配せをし、その直後、マトカルを抱えたまま、どこかに転移していった。
「全軍、結界村の警護に当たれ! 村の住民たちは部屋から出すな! 心配いらん。我が王の結界は誰にも破られん。ただし、油断はするな! 怪しいヤツが居たら捕らえろ! 散開!」
ラファイエンスの命令が下ると、アガルタ軍の兵士は、全く動揺も見せずに、結界村の警護に向かうのだった。
リノスが転移した先は、メイたちがいるアガルタ医療研究所だった。
「メイ! メイ! ローニ! チワン!」
「ご主人様!? どうされたのです!? え? マトちゃん?」
リノスの声に驚いたように部屋から飛び出してきたのは、メイだった。そのあとすぐにローニも飛び出してくる。
「マトが……出血が……止まらないんだ」
「ちょっと見せてください!」
マトカルを床に下ろさせて、メイはすぐさま彼女を触診する。
「ローニさん! マトちゃんをすぐに医療室に運び込みます! 準備を!」
「わかりました」
ピョコンとお辞儀をしたローニは、そのままどこかに転移していった。メイはマトカルを抱え上げる。
「メイ、いい。マトは俺が連れていく」
「いいえ、ご主人様。ここはご遠慮ください」
「メイ、何故だ?」
「お願いします。ここはご遠慮いただいて、私とローニさんに任せてください。大丈夫です。命に別状はありませんから」
「メイ……」
メイのただならぬ気配に、リノスは何も言うことが出来なかった。メイはマトカルを抱えながらリノスの目をじっと見て、ゆっくりと頷く。そして、足早にその場を去っていった。リノスはその後姿が見えなくなるまでじっと見送った。
しばらくして再び結界村に転移すると、目の前にラファイエンスの後姿が見えた。彼は腕を組んで、じっと結界の外を見つめていた。
「将軍、マトは……」
そこまで言うと、老将軍はスッと右手を挙げる。そして、ゆっくり首だけをリノスに向ける。
「御覧なされ。結界の外を」
ふと結界の外に目を向けると、そこには、恍惚の表情を浮かべたまま、クリミアーナ兵同士が殺し合う、凄まじい同士討ちの光景が目に入った。
「こっ……これは……」
あまりのことに、リノスは言葉を失う。老将軍はゆっくりと息を吐きながら呟いた。
「片手、片足、両手、両足を失ってもなお、恍惚の表情を浮かべて殺し合っている。あの男を見なされ。両腕を失っているにもかかわらず、別の男の頭に噛り付いている。噛み殺そうというのだろうな。しかも、その男はもう、死んでいる。彼らにとって戦いとは何なのだろうな。何のために生きているのか。これが、彼らの望んだ人生なのだろうか……」
老将軍は呆れたような、しかし、寂しそうに呟く。彼の背中が、少し小さくなっているような気がした。
「おそらく、彼らが呑んでいた薬のせいでしょう。……あのクソガキめがぁ!」
リノスは、信仰にすがる教徒の心を盾として、彼らに血みどろの戦いを強いたカッセルを、心の底から憎悪していた。
予告:次話でカッセル坊ちゃん、お仕置きされる予定です。




