第二百二十四話 ボクの姉さま
「……そうか。姉さまも承知したか。場所は……。ああ、僕の要請通り、裏切者たちがいるあの村になったんだな。わかった」
司教の一人が恭しく頭を下げて、部屋を出ていく。カッセルは真っ赤に充血した目を、たった今、男が出ていったばかりの扉に向け続けていた。
「……」
「……うるさいな。黙っていろよ」
ブツブツとカッセルは一人で呟く。折に触れて聞こえてくる幻聴は、ここ最近日増しに増えてきていた。その声に苦しめられながらも彼は、ヴィエイユをどうするのかを、じっと考え続けていた。
「……もし、もしもだ。姉さまが己の行いを悔い、泣いて命乞いをするのであれば、今回は許してやってもいい。教国へ……帰るんだ」
「……」
再び聞こえてくる幻聴。その声を振り払うかのように首を振る。そして、両手を叩いて人を呼ぶ。
「お呼びでしょうか?」
「今、戦える兵士たちはどのくらいいる?」
「そうですね……3000人少々というところでしょうか」
「何? 3000? なんでそんなに少ないんだ! 兵士は5000人近くいただろう!」
「およそ1000名がルロワンスに感染しています。彼らの大半は今、アガルタ王の治癒を拒否して村にとどまっております。しかし、そこにはアガルタ王の強力な結界が張られて、誰も入ることができません」
「くっ……。そいつらを解放してやりたいが……」
ルロワンスに感染した者たちを解放し、アガルタの町や村に送り届ければ、自ずとアガルタの民衆もルロワンスに感染する可能性が高い。カッセルは頭の中でそう考えていた。しかし、彼の前に立つ司教見習の男は、彼のその考えを察して、申し訳なさそうに大量殺戮の計画が実現不可能なことを伝える。
「恐れながら、難しいかと思います。我らも何度もあの村に入ろうと試みましたが、武器を使っての攻撃はもちろん、魔法などの攻撃も、全て防がれてしまいます」
彼からしてみれば、カッセルのやろうとしていることは、受け入れがたいものであった。今、ルロワンスに感染している者たちを外に出せば、自分たちも感染する可能性があるのだ。避難してきた教徒たちを、感染する可能性の少ない場所に移さねばならない。まず、それが先であろうと彼は考えていたのだ。だが、カッセルにはそんな考えは微塵も持ち合わせていなかった。
「わかった。じゃあ感染した者どもは放っておけ。ところで、裏切者たちがいる村を守っているアガルタの兵はどのくらいいる?」
「およそ2000程度と思われます」
「そうか。……では、明日の朝、残っている兵士の中で、1000の兵士を選りすぐれ。僕は彼らと共に村に向かう。彼らにはいつものように、普通の民の姿に見えるような格好をさせろ」
「畏まりました」
若い男が恭しく一礼をして部屋を出ていく。しばらく物思いにふけっていたカッセルは、懐から大人の手のひらのような大きさの、細いビンを取り出した。これは教国を出る時に、教皇から特別に与えられたものだ。本来はヴィエイユが持っていたのだが、彼女がここでルロワンスを発症して元の村に戻る時に、彼女から預かっていた。彼はそのビンをしばらくの間じっと見続けていた。
翌朝、カッセルは精鋭部隊1000名を連れて村を出た。残りの2000名には村を守るように命じ、住民にはいつでも逃げられる態勢を整えておくように言い残していた。そのため、村ではまるで、戦争でも始まるかのような混乱が生じていた。
そんな村の様子を横目で見ながら、カッセルはゆっくりと森の外に馬を進める。そして、森を出てしばらく進むと、彼は行軍を止めた。
「この軍勢に加わることを許された諸君! 君たちこそ、我がクリミアーナ教の真の兵士と認めよう。その証として、君たちにこれを授けよう!」
カッセルは懐に持っていたビンから丸薬を取り出し、帯同している兵士たち一人一人にそれを与えていく。
「この薬は、教皇聖下が特別に下された薬だ。もし戦闘になった場合はそれを呑め。我が主、クリミアーナ様の加護が得られるものだ。君たちの能力を最大限に引き出してくれるだろう」
兵士たちは一様に喜びの声を上げる。これまで劣悪な環境に耐えてきた甲斐があった。同僚が、友が、恋人が、家族が、ルロワンスという伝染病に感染し、ある者は息絶え、ある者は裏切り、そして、まだ多くの者が、いまだにあの恐ろしい村に閉じ込められて、ただ死を待っている。そんな状況下でも、自分たちは罹患せず、ひたすらクリミアーナ様にお仕えしてきた。自分たちの信仰の深さが評価されてこの五体満足の体がある。そう思っていた中でのこの下され物だ。しかも教皇聖下の孫であるカッセル様から直々に頂いたこの薬は、自分たちの苦労に報いるのに、十分なものだった。
それに加えてカッセルは彼らに、戦闘になる可能性を示唆した。ということは、アガルタの兵士たちと戦うことになる。彼らの大半は、アガルタには大魔王もしくは、それに類する邪神がこの国を支配しているという教国の話を未だに信じており、これまでに置かれていた劣悪な環境は、彼らにそう信じさせるのに十分だった。兵士たちは、一人でも多くのアガルタ兵、言い換えれば、邪神の手先を倒して、この国を真の国に導こうと考えていたのだった。
結局、カッセルに従軍したのは、兵士の力量ではなく、忠誠心によって選ばれた者たちであり、誰もが狂信的にクリミアーナ教を信仰していた者たちばかりだった。そんな様子をカッセルは満足そうに眺めながら、彼らに声をかける。
「僕が命令を出すまで、動くことは許さない。いいか? ……それでは、出発する!」
カッセルは再び軍を進めた。
クリミアーナの一団が到着したのは、約束の時間を1時間も過ぎた頃だった。リノスは前日に、マトカルと数名の兵士と共にヴィエイユを伴って結界村に入っており、この日も朝から、ヴィエイユとカッセルの会談に向けて余念がなかった。そのためだけの新たな結界を張り、そこに、リノスが許可した人間以外は一切の魔法が通じない効果を付与するなどして、色々と準備を行っていたのだ。
正直、ちょっとやり過ぎだろうという感情がないわけではなかった。しかし、前日の夜、リコからヴィエイユは無事に教国に帰すべきであり、万一のことがあってはならないと言われていたために、リノスは内心、面倒くさいと思いながらも、朝から頑張ったのだ。
にもかかわらず、待てど暮らせど彼は現れず、しびれを切らした彼は、マップを発動させて彼の現在位置を確認しながら、その進行速度の遅さに、舌打ちをしながら眺めていたのだった。
そして、ようやく彼等が到着し、案内役の兵士に連れられカッセルただ一人で、結界村のリノスたちが待つ部屋に乗り込んできた。
「おい、ずいぶんおそっ」
「姉さまぁ!」
リノスの言葉を遮るようにして、カッセルはヴィエイユを見るなり大声を上げる。しかし、ヴィエイユは全くひるまない。微笑を湛えたままの顔で、カッセルを見ている。
「姉さま! どうしてクリミアーナ教を裏切ったのですか! どうして教国に背いたのですか! 誰よりも主神様を敬愛していた姉さまが、なぜ! 姉さま、あなたの行動は、主神様に顔向けができますか! 信徒たちに何と詫びるのですか! 姉さま!」
カッセルは充血した目でヴィエイユを見据えたまま、狂ったように早口でまくし立てる。その言葉づかいもさることながら、まるで悪魔のような形相に、リノスはドン引きしてしまっていた。しかし、ヴィエイユは一切表情を崩さない。それが逆に、カッセルの神経を逆なでした。
「何とか言ったらどうなんだ!」
「カッセル」
ヴィエイユの凛とした声が結界部屋の中に響き渡る。相変わらずカッセルは目を真っ赤に充血させて、ヴィエイユを睨みつけている。
「私は、クリミアーナ教を裏切ったりしないわ。そして、これからも、クリミアーナ教と共に私は生きていきます」
「何!? じゃあ、先日の、あの無様な体たらくはなんだ! そこにいる邪神の手先であるアガルタ王に泣いて命乞いをし、それだけでなく、クリミアーナ様は我々を救わないなどとあなたは言った! 確かに言ったぞ! 教徒たちが見ている目の前でだ! それはどう説明するんだ!」
ヴィエイユは相変わらず微笑みを崩さない。そして、目の前の子供に、諭すように言葉を発する。
「ええ。確かに、あの時は私も追い詰められていました。しかし、そのお陰で、私は、主神様の本当の教義を知ることができたのです」
「本当の教義ぃ!?」
「カッセル、よく聞いてください。教義の……」
「うるさい! 黙れ! 今さら教義の話など聞きたくない! 姉さま! 教国はあなたを許しませんよ! 絶対にだ! あなたの父上と同じく、辺境に送られて一生を過ごすことになるんだ! それでもいいのですか! 姉さま、僕に命乞いすれば助けてあげます。教皇聖下にお願いしてあげます。これから先、僕の言うことを何でも聞いてくれるのであれば、命は助けます。さあ、僕の前に膝まづいて許しを乞え! 絶対服従を誓え!」
あまりの剣幕と傲慢さに、さすがのヴィエイユも顔が凍り付いている。しかし、彼女はすぐに元の顔に戻り、ゆっくりと話し始める。
「お父様と同じ辺境に送られる……望むところです。むしろ、そうなりたいと願っています。カッセル、あなたに命乞いをして、今のままでいられることこそ、私にとっては不都合極まりありません。あなたは私を意のままに操って何をするつもりなのかしら? 私は何もできないわよ? もしかして、あなたは私の体が見たいのですか? だったら、見せてあげます。 今、ここで脱いで、裸になるわよ? 私の裸であなたの怒りが収まって、冷静な話し合いができるのであれば、喜んで裸になるわ!」
カッセルの目が大きく見開かれる。まさかあのヴィエイユが、自分から裸になると言うなど、彼にとっては全くの予想外の返答だった。
「姉さま……何を言っているんです? 喜んで裸になるって……。姉さまの裸など……。僕はただ、姉さまを……。姉さま、よく考えてください。姉さま、辺境に飛ばされるということは、危険が伴うのですよ? 多くの困難が伴うのですよ? アガルタとは比較にならぬほどの困難や苦労が……」
「望むところです」
カッセルに皆まで言わせず、ヴィエイユは言い切った。すでに彼女の顔からは笑みが消え、目の奥には強い意志を感じさせる光が宿っていた。
「カッセル、あなたは、たくさんの人々の前で、自分の肛門を見られたことがある? 明るい中で裸になって、体中を触られて、ありとあらゆる所、それこそ、肛門のシワの一つ一つを拡げられて調べられたことがある? 本当に恥ずかしかった。死にたかった。その苦しみに比べれば、どんな苦労や苦難にも耐えられます。しかし、私はそんな絶望の中で悟ったのです。本当のクリミアーナ教の意味を、主神様が本当に伝えたかったことを。私はこれから、辺境を歩いて、主神様の教えを説いて回ります。そして、多くの人を救います。困難があるということは、そこにいる人々も困難にあえいでいるのでしょう?ならば、私が行って、その人々を救うのです。それこそが、クリミアーナ教のなすべき姿です!」
「姉さま……。い、今何て……? こ、肛門? 肛門って何です……?」
カッセルは目を血走らせながらヴィエイユを見つめている。そして、視線を、その隣にいるリノスにゆっくりと向けた。
「おいお前、姉さまに何をした! 僕の姉さまに何をしたぁぁぁ!! 答えろ邪神め! 肛門って何だ! まさかお前、姉さまを……。 許さん、許さんぞぉぉぉぉぉ!!!!」
子供とは思えない程の大絶叫が響き渡る。リノスはドン引きの表情から徐々に眉間に皺を刻んでいく。目の前のカッセルは、悪魔のような形相で、肩で息をしながらリノスを睨みつけている。リノスは、その様子を睨みつけながら、ゆっくりと立ち上がった……。




