第千百四十六話 乱戦を収束させるゾ!
クリミアーナ軍はデウスローダ軍の殲滅にかかっていた。デウスローダの兵士たちはすでに潰走状態に入っていたが、逃げようとする者たちをクリミアーナの兵士たちは片っ端から倒していった。こうなるともはや戦場は乱戦状態となり、収拾がつかない状態となっていた。
マトカルはその様をじっと見ていた。指揮官を連れてこいといったにもかかわらず、クリミアーナの指揮官は現れなかった。ややあって彼女は愛馬から降りて自軍の後方に向かった。そこには先ほど保護したバゼットの部隊が控えていた。
彼らは疲弊しきっていた。全員が尻もちをついたような状態で、呆然自失の状態と言ってよかった。ついさっきまで鉄壁の守りで指揮官を守護していた者たちとは思えぬほどの有様だった。
その中でバゼット一人は目に炯炯とした光を宿しながらこちらを見ていた。けがを負っているのか、左手で右肩を押さえている。マトカルは歩みを進めて彼の前に立った。
「デウスローダ軍は壊滅した。現在は潰走状態にある。クリミアーナは殲滅するつもりらしい」
マトカルの言葉に、バゼットは反応しなかった。ただじっと、彼女の眼を見ていた。
「お前はどうするのだ」
「王都に戻ります」
「そうか」
バゼットはあくまで王都を国王を守護すると言ったのである。だが、現在の状況では、デウスローダ軍の指揮命令系統は崩壊したと言ってよく、国王ブレイの生死は今のところ不明ではあるが、討ち取られた可能性は高いとマトカルは見ていた。
デウスローダの完全な負け戦だった。おそらくクリミアーナ軍はこのまま王都に殺到することだろう。そんな状態で王都に戻るというのは自殺行為以外の何物でもなかった。
マトカルは一切表情を変えないまま、周囲にいた兵士たちに、バゼット以下の将兵たちに水と食料を与え、傷を負った者たちへの治療に当たれと命令した。すぐさま盾を持った兵士たちがバゼットの部隊を囲んだ。抵抗する者は一人もいなかった。それほど彼らは精も魂も尽きた状態だったのである。
マトカルは元居た場所に戻りながら、弓隊と魔法部隊は前に出ろと命令した。彼女が愛馬に跨ったころには、彼女の前には弓隊と魔法使いの部隊が犇めいていた。
「誰ぞ、槍を」
マトカルはそう命じると、兵士の一人がすぐさま槍を持ってきた。彼女はそれを手に取ると、まるで小枝を振り回すかのように軽々と振るった。ピュンという空気を切り裂く音が聞こえる。
「弓隊、魔法部隊、構えっ!」
一瞬の間をおいて、
「放てっ」
マトカルの命令の直後、乱戦状態の戦場に、攻撃魔法と矢が雨のように降り注いだ。さすがのクリミアーナ軍にも動揺が見られた。マトカルは再び攻撃命令を下す。それを、もう一度繰り返す。
しばらくすると、騎士が数名こちらに向かってやって来た。どうやら彼らの一人がクリミアーナの指揮官らしいと思っていると、その中で最も小柄な男がマトカルの前に進み出た。
「アガルタ軍総司令官、マトカル殿とお見受けする! 今の攻撃は一体どういうつもりであるか! わが軍を攻撃するとは、アガルタはわが軍と事を構えるつもりであるか!」
「誰だ、貴様は」
「クリミアーナ第十五派遣軍総司令官、ヒルドである!」
男が名乗ると同時に、マトカルの槍の柄がヒルドの頭の上に落ちた。その衝撃で彼は悶絶したかのように大人しくなった。
「私は、貴様にこちらに来い、と命令した。攻撃したのは、私の命令に背いたからだ」
居丈高な物言いだった。自分の命令を聞かなかったから攻撃した。攻撃されたお前たちが悪いのだと言わんばかりの態度だった。さすがにこれには、ヒルドの傍に控えていた騎士たちは怒りを露わにして、腰の剣を抜きはらった。
ヒルドは被っている兜を押さえながら憎しみを込めた目でこちらを眺めていた。
「貴様らクリミアーナの軍勢は、どこまで攻撃を加えるつもりだ。王都をこのまま攻撃するのか」
「きっ、貴様にそのようなことを教えることはないっ! そのまえに、我らへの非礼を詫びたらどうなのだ! それともアガルタは我らと敵対するというのか! であれば、相手になってやる! うわっ!」
ヒルドは話を言い終わらぬうちにその体が宙を飛んでいた。マトカルが目にも止まらぬ速さで槍をさばき、彼の体を馬から吹き飛ばしていた。周囲にいた騎士たちはそれに反応することができなかった。
ヒルドは兜を飛ばしながら、その体をしたたかに地面にたたきつけた。すぐさま立ち上がると剣を抜いて立ち上がった。もう、そのときにはマトカルは馬から降りて、ヒルドのすぐそばまで来ていた。
「貴様っ!」
ヒルドがそう叫ぶと同時に、マトカルの拳が彼の顔面を正確に貫いていた。たたらを踏んで後退する彼にマトカルはさらに二発、三発とその顔面に拳を打ち付けた。たまらず彼は尻もちをつく。その彼の顔に向かって、マトカルは足で何度も踏みつけた。あまりの光景に、誰も彼女を止めようとはしなかった。
マトカルはヒルドの髪の毛を掴んで引き起こすと、血まみれになったその顔に自分の顔を近づけて口を開いた。
「私は、お前たちの今後の行動について聞いているのだ。答えろ」
有無を言わせぬ物言いだった。ヒルドは肩で苦しい息をしながら、まるで呻くように、
「わっ、我らは、デウスローダ軍を、壊滅させることが、目的であって、王都を、攻撃する、意志は、ない」
「どうして」
マトカルの質問の意味がわからないのか、ヒルドは肩で息をしながらただ、彼女を眺めている。その目には恐怖の色が見えていた。
「デウスローダ軍は潰走しているだろう。そのまま王都まで追えば、王都を抜けるのではないのか」
「……王都には、高く厚い城壁が、ある。我らの、規模では、抜くことは、できぬ」
「デウスローダ王はどうなった」
「……」
「答えろ」
「……わが手の者が、討ち取った」
「そうか」
そこまで聞いてやっとマトカルはヒルドの髪の毛から手を離した。彼女は悠々と元居た場所に戻ると愛馬に跨り、目の前で慄いているクリミアーナの騎士たちに向かって大音声を上げた。
「この戦いは終わりだ! 貴様たちは今すぐ撤退するのだ! 三十分の時を与える。その間に兵をまとめて引き上げろ。三十分を超えて戦場に残る者については、容赦なく攻撃を加える。行け!」
彼女はチラリとヒルドに視線を向けると、再びクリミアーナの司令官に視線を向け直し、
「この男を片付けろ」
と命令した。騎士の一人が慌てて彼の許に駆け寄り、肩を貸して馬に乗せ、その彼もまた再び馬に跨ると、ヒルドが乗っていた馬の轡を取りながら自軍に引き上げていった。
クリミアーナの兵士たちの撤退は早かった。まるで蜘蛛の子を散らしたように北に向かってばらばらに引き上げていく。それまで狂ったように攻撃を加えられ、必死の防戦を行っていたデウスローダ軍の兵士たちは呆気に取られていたが、やがて彼らもばらばらになりながら、王都の方向に向かって引き上げていった。
先ほどまでの喧騒が嘘であったかのような静寂が訪れた。マトカルらの目の前には、累々とした死体が転がっていた。彼女は馬首を返すと、全軍にアルレの城に向かって撤退すると命令した。
途中、バゼットの部隊とすれ違う。マトカルは馬を止めてバゼットに話しかけた。
「我々はアルレに向けて撤退する。すでにクリミアーナは撤退した。デウスローダ王は討たれたそうだ。貴様たちも自由にすればいい。王都に帰るもよし、アルレに向けて我々と撤退するもよし。貴様らが我がアガルタ軍に加わるというのであれば歓迎する。アルレで一休みして王都に帰るのもよいだろう。お前たちの好きにすればいい」
そう彼女は言って、アルレへと馬を進めた。




