第千百四十話 アガルタとの戦いが始まったゾ!
デウスローダ軍は槍隊を先頭にして進み、その後ろに弓隊、さらにその後ろに騎馬隊を配置していた。当初の計画では騎馬隊を先頭にして進み、疾風迅雷のごとく敵を襲うというものだったが、敵の本陣の前に柵が築かれていることを知って、兵の配置を変えたのである。彼らの狙いは、本陣のマトカルを狙っての攻撃であり、まずは弓隊で敵の前衛をなぎ倒し、そうしておいて槍隊で攻撃を仕掛けて柵を壊す。そこまですれば後は騎馬隊の一斉突撃で勝負を決めようという算段だった。
デウスローダ軍が本陣に肉薄しても、アガルタ軍に動きはなかった。マトカルが率いていると思われる部隊はもちろん、その横に展開している部隊も同様だった。ブレイはそのあまりの静けさが不気味ではあったが、敵は寡兵であるので、そのことは問題ではないと考えていた。
歩兵が槍を構えて攻撃態勢を取った。そのとき、ブレイの眼に、アガルタの柵の前に数駒の騎馬隊が出てきた。その真ん中に一人、銀の鎧を装備し、白馬に跨る小柄な騎士がいた。マトカル本人であった。彼女の手には弓が握られており、矢をつがえると淡々とそれを引き絞った。
矢が放たれると、それはとんでもない速度でブレイに向かって飛んできた。彼は反応することができなかった。気づくとそれは彼の顔をかすめ、後ろに控えていた近習に命中していた。まさに一瞬の出来事であった。
ありえないことと言えた。マトカルから自分のところまで数百メートルはある。美々しい鎧をまとっているとはいえ、あそこからここまで矢を届かせるだけでも至難の業であるのに、それをまるで至近距離から放ったかの如くの速度で到達せしめた。ブレイの背に冷たいものが流れた。気が付くとマトカルらは彼らに背を向けて悠々と自陣に帰っていった。ブレイの中で、何かがはじけた。
◆ ◆ ◆
「マトカル様ぁ。無理をしすぎだよぉ」
呆れた顔をしているのはラースだった。一見すると少年のような風貌だが、フェリスと同じクルルカンであり、現在はドルガの防衛隊長を勤めている。そんな彼にマトカルはニコリとほほ笑むと、大丈夫だと言って馬を降りた。彼女に従っていたホルムらも、顔を見合わせ、苦笑いを浮かべながら下馬する。
「申し上げます!」
兵士の一人がやって来て片膝をつく。
「敵の先鋒が動き出しました!」
「そうか。慌てるな。訓練と同じようにすればいいと伝えろ。敵の攻撃は、これまでの訓練よりもはるかに軽いだろう」
「ハッ」
兵士はそう言うと、踵を返して走っていった。
「敵の攻撃は、訓練よりも、軽い。ですか。蓋し名言ですね」
ホルムがそう言って笑う。
「ホルム」
「ハッ」
「そろそろ、フィレット殿のところに行ってやれ」
「承知しました。きっと、来るには及ばないと言われるでしょうけれど」
「念には念を、だ。状況次第では貴様が指揮を執れ」
「承知しました。では」
そう言ってホルムはアルレの城に向かって走っていった。
マトカルの眼に、鋭い光が宿っていた。
◆ ◆ ◆
戦いはデウスローダ軍の槍隊による突撃攻撃によって開始された。その後ろには弓隊が犇めいており、彼らの行動に呼応する形で、夥しい数の弓がアガルタ軍に向かって放たれた。そのとき、柵の向こうで金属のこすれあう音がした。何とも言えぬイヤな音だ。だが、気が付くとアガルタは鉄の盾で兵士たち全体を覆っていた。まるでそれは、巨大な鉄甲羅のような形となっていた。
彼らが放った弓はすべてその盾にはじかれていた。それならばと歩兵隊が槍を繰り出すが、それらもすべて盾にはじかれる。それどころかアガルタは縦の隙間から槍を繰り出して攻撃してくるため、デウスローダの兵士たちは柵の前で次々と倒れていった。
「弓隊に援護させよ!」
ブレイは大声で命じた。そのとき、アガルタが背にしている城壁の上に兵士が展開されているのが見えた。ブレイがそれに気が付いたのと同時に、そこから夥しい数の矢が放たれた。
さすがにそれはブレイの許までは届かなかったが、その矢は次々と歩兵と騎兵の命を奪っていった。さすがに騎兵は盾を装備させているために被害は軽微であったが、盾を装備していない弓隊の兵士は次々と討たれていった。ブレイは弓隊を騎兵の後ろに下がらせざるを得なかった。
部隊の交換が行われたので、そこは膠着状態となった。それを見たアガルタの左右に展開している四隊が動き始めた。ブレイは彼らの狙いがわからなかった。動いたとしても敵は四千。何ほどのことはないだろうと考えていたそのとき、本陣から最も遠い位置に陣を張っていた左右それぞれの部隊が、突然全力突撃を開始した。だが、その先には何もない。一瞬ブレイは敵前逃亡かと思ったが、彼らは見る間にデウスローダ軍の背後に回り込むと後詰の部隊に攻撃を仕掛けてきた。ブレイはすぐさま応戦せよと命令した。背後に回り込まれたことを知った各部隊に動揺が走っていた。
全く予想もしていなかった攻撃に、後詰の部隊は混乱していた。遠くで敵は寡兵であるという指揮官の声が聞こえてきていた。
背後に回ったアガルタの攻撃は止むことがなかった。背後では鉄と鉄がぶつかる音が断続的に聞こえてきていた。伝令兵がやって来て、お味方じりじりと後退中と告げた。
「何をしているのだ! たかが二千の軍勢に何をてこずっている! ええい! 前面の左右の隊を援護に向かわせろ!」
苛立ったブレイは命じた。命令を受けた左右の隊が移動を始める。彼らは大きく迂回してアガルタ軍の背後をついて挟撃する作戦であった。誰もが、すぐに敵を壊滅させて元の陣地に戻ってくると考えていた。だが、部隊が動き出すと、左右に残っていたアガルタ軍もまた動き出した。ブレイの頭の中に、前回の戦いの記憶が蘇ってきた。彼らはこの本陣に向けて突撃を行うのではという懸念が頭をよぎった。ブレイは敵の捨て身の攻撃に警戒せよと命じた。すぐに盾を持った兵士たちが守りを固める。二人の結界師がブレイの傍近くに来て結界を張った。
しかし、アガルタ軍は本陣には突撃してこなかった。彼らは動き出した左右の部隊の背後に回り込む形で攻撃を開始した。攻撃というより、突撃であった。ブレイの目の前で、デウスローダ軍はどんどんアガルタ軍に押し込まれていった。退くな応戦せよと大声で叫ぶ。デウスローダ軍は部隊を立て直すためにじりじりと自陣に向かって退いていく。こうなると、まだいびつではあるが、デウスローダ軍はアガルタ軍に包囲された形となった。ただ、敵は合わせても四千ほどしかない。いかに早さを誇るアガルタ軍とは言え、隊を立て直し、陣形を組みなおせばそうやすやすと突破されることはないとブレイは考えていた。そのとき、アガルタの本陣から何かが飛び立つのが見えた。それは、赤い鱗を纏った、ドラゴンだった。
なぜこんなところにドラゴンが。そう考えたその瞬間、そのドラゴンからまばゆい光が放たれているのが見えた。
ブレスが飛んでくるぞ、伏せろと誰かが叫んだ。周囲が真っ白になったのは、その声と同時だった。轟音と土煙が舞い上がる。まるで暴風のような風が吹き荒れた。馬が動揺のためか嘶きながら後ろ足を天に向かって蹴り上げている。兵士たちがそれを宥めようとしている。
目を凝らしてみると、ブレイの前を守っていた部隊に大穴が開いていた。そこにいた兵士たちはどうなったのかという疑問が沸き上がるが、それは考えるまでもないことであった。一瞬の静寂の後、部隊全体に大きな動揺が広がった。
◆ ◆ ◆
ゆっくりと空から降りてきたラースにマトカルは、
「ご苦労だったラース。まさに注文通りだった。礼を言う。腹が減っただろう。食事にしてくれ」
「いいやぁ。まだまだやれるよ?」
「今は、大丈夫だ」
「じゃあ、先に食事にさせてもらうよ。ああ~腹減ったぁ」
ラースはそう言ってアルレの城に向かって走っていった。




