9本目【タコ×岩牙ウツボ】
タコは岩場を進んでいた。
道中で見つけた小魚やカニ、エビを捕まえては食べる。
同じものを食べるのも、もう何度目か分からない。
そのたびに足の奥にあるものは少しずつ濃くなり、変わった足もほんの少しずつ良くなっていった。
けれど、最近はあまり変わらなくなっていた。
タコはまた一匹の小魚を食べ終え、足の奥へ意識を向けた。
舐めるように触れると、いつもの味が広がってくる。
美味い。
ほんの少しだけ濃くなっている。
しかし、それだけだった。
タコは周囲を見渡した。
岩に砂、細い隙間。
どこも見慣れた場所で、泳いでいる獲物も似たようなものばかりだ。
違うものが食べたい。
タコはそのまま岩場の奥へ進んでいった。
しばらくすると、岩貝がいくつも張り付いている場所に出た。
以前食べたものと同じ岩貝が、あちこちの岩にくっついている。
タコは近くの一匹へ太い足を巻き付けた。
他の足を岩へ張り付けて身体を支え、そのまま力を込める。
岩貝の端が少しずつ浮き上がり、やがて岩から剥がれた。
以前はあれほど苦労した相手だが、今はそれほど難しくない。
タコは岩貝をひっくり返し、柔らかな部分へ齧り付いた。
中身を食べ終えると、別の岩貝も引き剥がして食べる。
もう一匹。
さらに一匹。
美味い。
けれど、足の奥にあるものはほとんど変わらなかった。
タコはそれ以上食べず、岩貝の群れを抜けてさらに奥へ進んだ。
しばらくすると、周囲の岩が少しずつ変わり始めた。
岩肌の色が暗くなり、一つ一つの岩も大きくなっている。
細かな割れ目よりも、奥まで続いていそうな深い穴が増えていた。
水の流れも少し違う。
タコは身体を低くし、周囲を見渡した。
知らない場所。
岩肌へ身体の色を合わせ、ゆっくりと進んでいく。
大きな岩の横を通ると、その側面に黒い穴が開いていた。
タコは穴へ目を向けた。
暗くて奥は見えない。
そのまま通り過ぎようとした。
次の瞬間、穴の中から何かが飛び出した。
大きな口。
白く尖った牙。
タコは反射的にカニの足を前へ突き出した。
巨大な口が硬い足へ噛み付いた。
強い衝撃で身体が引っ張られ、タコは慌てて他の足を岩へ張り付ける。
鋭い牙が甲殻へ食い込み、さらに顎へ力が込められた。
──バキッ!
分厚い甲殻が砕けた。
痛い。
タコが足を引こうとした瞬間、相手は噛み付いたまま頭を大きく振った。
──ブチッ!
甲殻ごと足先が噛み千切られた。
激しい痛みに、タコの身体が一斉に縮む。
目の前では、岩のような色をした長い身体がうねっていた。
大きな口には鋭い牙が何本も並び、噛み千切った足先をそのまま呑み込んでいく。
そして、その口が再びこちらへ向いた。
喰われる。
タコはエビの足を岩へ押し付けた。
縮めた足を一気に伸ばし、岩の間へ身体を飛ばす。
背後で水が大きく動いた。
タコは振り返らず、近くの岩陰へ逃げ込んだ。
さらに別の岩へエビの足を押し付け、勢いよく飛び出す。
大きな岩の横を抜け、その奥へ逃げていく。
やがて、背後の水の動きが遠のいた。
タコは少し速度を緩めた。
その直後だった。
横の岩陰から、再び巨大な口が飛び出した。
タコは咄嗟に岩貝の足を持ち上げ、硬い側を向けた。
鋭い牙が硬い表面へ食い込む。
強い衝撃で身体が揺さぶられたが、岩貝の足は噛み千切られなかった。
しかし、相手は離れない。
長い身体が大きくうねり、頭を左右へ振った。
タコは何本もの足を岩へ張り付け、引きずられそうになる身体を必死に支える。
タコは棘の生えた足を持ち上げた。
そのまま、噛み付いている相手の頭へ叩き付ける。
短い棘が皮膚へ食い込み、長い身体が大きく跳ねた。
牙が僅かに緩む。
タコは岩貝の足を引き抜き、すぐにエビの足を岩へ押し付けた。
身体が勢いよく飛び出し、岩の間を抜けていく。
背後では長い身体が激しくうねっていた。
相手はすぐに向きを変え、再び追いかけてくる。
タコは次の岩へエビの足を押し付けた。
再び身体が一気に飛び出し、距離が開く。
しかし、背後の水がすぐに大きく動いた。
速い。
長い身体が岩の間を滑るように進み、みるみる距離を詰めてくる。
大きな口が、すぐ後ろまで迫った。
タコは咄嗟に岩貝の足を横の岩へ伸ばした。
吸盤が強く張り付く。
前へ飛んでいた身体が横へ引かれ、進む向きが大きく変わった。
直後、巨大な口がすぐ横を通り過ぎる。
タコは岩貝の足を引き剥がした。
そのまま岩と岩の間を抜け、少し先にあった細い隙間へ飛び込む。
頭を縮め、足を畳む。
柔らかな身体を岩の隙間へ押し込んだ。
すぐ後ろまで長い身体が迫る。
巨大な口が隙間へ突っ込まれた。
鋭い牙が岩肌を擦り、細かな欠片が散っていく。
タコはさらに奥へ進んだ。
足を畳み、胴を押し潰すようにして狭い岩の間を抜けていく。
背後では、巨大な口が何度も隙間へ突き込まれていた。
牙が岩を削り、そのたびに水が激しく揺れる。
しかし、大きな頭は奥まで入ってこない。
タコは止まらず、さらに身体を押し込んだ。
やがて、背後の動きが弱くなった。
何度か水が揺れた後、長い身体が隙間から離れていく。
それでもタコは動かなかった。
岩の奥で身体を小さく丸め、じっと待ち続ける。
しばらくすると、水の流れも静かになった。
タコはゆっくりと振り返った。
暗い隙間の向こうには、もう何も見えない。
いない。
タコはその場へ身体を沈めた。
足を身体へ引き寄せ、岩の隙間に張り付く。
身体が僅かに震えていた。
噛み千切られた足を見る。
硬い甲殻に覆われていたはずの足先が、なくなっている。
あんなに硬かったのに。
タコは傷付いた足をそっと身体へ寄せた。
痛い。
あの大きな口に噛み付かれた瞬間、硬い甲殻が簡単に砕けてしまった。
さらに頭を振られ、足先を持っていかれた。
タコは身体を縮めた。
しばらくして、傷付いた足の奥へ意識を向ける。
いる。
そこに宿っているものは、まだ残っていた。
足先は失われているが、傷口は少しずつ塞がり始めている。
なくなっていない。
タコはその足を他の足で包むように引き寄せた。
しばらく身体を丸めたまま、じっと動かなかった。
大きな口。
鋭い牙。
長く、速い身体。
喰われるところだった。
怖い。
タコはさらに身体を縮めた。
外には、さっきの大きなものがまだいるかもしれない。
隙間から出れば、また噛み付かれるかもしれない。
あんなものには近づきたくない。
けれど。
巨大な口を思い出すと、別の感覚も湧いてきた。
あんなに強いもの。
今まで食べたことのないもの。
どんな味だろう。
タコはしばらく身体を丸めたまま、その味を想像するようにじっとしていた。
食べてみたい。
でも、怖い。
身体を伸ばしかけると、噛み千切られた足が痛んだ。
タコはすぐに足を引き寄せ、再び小さく丸まった。
そのまま、しばらく動かなかった。
やがて身体の震えが少しずつ収まり、傷口の痛みも弱くなっていく。
タコはゆっくりと頭を持ち上げた。
岩の隙間は、さらに奥へ続いている。
タコは一度だけ後ろを振り返った。
暗い隙間の向こうには、何も見えない。
けれど、あいつがいるかもしれない。
タコは狭い隙間の奥へ身体を伸ばした。
柔らかな身体を押し込み、少しずつ進んでいく。
やがて、前方が明るくなった。
タコは隙間から外を覗いた。
大きな岩がいくつも並び、その間には深い穴が開いている。
今までいた岩場とは違う景色だった。
知らない場所。
タコは身体を低くし、岩と同じ色へ変えた。
しばらく周囲を見渡してから、ゆっくりと隙間を抜け出す。
知らない場所。
また、あんな大きなものがいるかもしれない。
タコは岩肌へ身体を寄せ、慎重に進んでいった。
その時だった。
少し先の岩陰を、見たことのない何かが横切った。
タコは動きを止めた。
知らないもの。
身体をさらに岩へ寄せ、じっとその姿を見つめる。
どんな味だろう。
タコはしばらく動かなかった。
それから、岩肌に紛れたまま、ゆっくりと後を追い始めた。
【現在の八腕】
一ノ足:細身小魚
二ノ足:太身小魚
三ノ足:エビ
四ノ足:カニ
五ノ足:ウニ
六ノ足:太身魚
七ノ足:細身魚
八ノ足:岩貝




