第九話 裏切り
実家で3日過ごすと、大きな荷物を馬車に積み込み、結婚式での再会を約束して両親と別れ、グレースは王都へ向け出発した。
朝早くに出発したので、昼前には王城に帰り着いた。
すっかり馴染んだ王城の迷宮を辿り、いの一番にセバスチャンの自室へと向かい、扉をノックした。
セバスチャンはグレースが城へ帰ってくる日は、研究所へは行かないと宣言していた。
『縁切り』の能力をちらつかせたあの日から、国王夫妻──特にガブリエルはセバスチャンを恐れるようになった。
そのため、セバスチャンの主張を飲み込むことが増えた。
「グレース!」
勢いよく扉が開かれ主人の帰りを待つ子犬のごとく、顔を綻ばせたセバスチャンが婚約者の名前を呼ぶ。
「……え?」
セバスチャンの碧眼の瞳が見開かれる。
扉の前には、銀髪で瓜二つの少女がふたり立っていたのだ。
「グレース……が、ふたり?」
セバスチャンの反応に、グレースとリリスがいたずらが成功した子どものように笑い合った。
「ただいま帰りました、殿下。
紹介します。
姉のリリスです」
リリスが微笑んで淑女の礼をする。
「お初にお目にかかります、セバスチャン殿下。
グレースの姉のリリス・アッシュトンと申します」
顔をあげたリリスが、セバスチャンの顔を見て一瞬驚いたような表情になったが、すぐさま笑みを作る。
「大変、お美しくていらっしゃるのですね……」
リリスがセバスチャンを見上げ、頬を赤らめた。
「あ、ああ、グレースのお姉様の……。
はじめまして、セバスチャン・ストランドです。
リリス様のお話は聞いています。
本当に、よく似ていらっしゃるのですね。
驚きました」
「両親にも区別がつかないと、よくいわれます」
リリスが朗らかに答えた。
「でも、どうして王城に?」
セバスチャンの疑問にはグレースが答えた。
「わたしが招待したのです。
姉に美しい王都の街並みを案内したくて」
「そうでしたか……」
「田舎育ちの人間の、物見遊山です」
リリスが照れたようにそう言った。
「少しの間、姉が城に滞在しても、平気でしょうか」
「ええ、問題ないでしょう。
どうです、私の部屋でお茶でも飲まれませんか」
「えっ、殿下の部屋で?」
リリスの驚きように、セバスチャンはきょとんとした顔つきになる。
「グレースは毎日、私の部屋で食事を摂っていますし、私が研究所にいない時間はほとんどふたりきりで過ごしていますから……」
「研究所?」
「あ、いえ、それは、忘れてください。
どうぞ、中へ」
セバスチャンに導かれ、姉妹は彼の部屋へと入っていった。
「ああ、ジョン、おふたりに飲み物を持ってきてください」
すでに部屋の中にいたジョンに、セバスチャンが声をかける。
「ジョンさん、お久しぶりです」
グレースが挨拶すると、ジョンは無表情でむすっと告げた。
「別に、久々というほとでもないでしょう」
ぶつぶつ言いながら部屋を出ていくジョンに、リリスが顔をしかめる。
「なあに、あの人。
冷たくない?
殿下にもグレースにも失礼じゃないの?」
グレースとセバスチャンが揃って苦笑いを浮かべる。
「ジョンは、ああいう性格ですから……」
「そうそう。
怒ってるわけじゃなくて、あれが普通なのです」
口を揃えるふたりに、刹那の間だけ、リリスが眉間にしわを寄せた。
しかし、それを誰にも悟らせず、いつもの笑顔に戻る。
「なんだ、噂は本当に嘘だったのね。
殿下が恐ろしい化け物だとか、人殺しだとか、勝手な噂を信じ込んでいたわ、恥ずかしい。
お会いしてみたら、こんなに美しくてお優しい人だったなんて。
すっかり妹とも打ち解けたみたいで……安心したわ」
リリスにセバスチャンが笑いかける。
それを受けて、リリスの顔がわずかに硬直した。
「もうお昼ですね。
リリス様が荷物を片付けたら、一緒に昼食を摂りませんか」
「え、ええ、ぜひ」
リリスが鷹揚に微笑む。
「ジョン、リリス様をゲストルームまでご案内してください」
紅茶のポットを持ってきたジョンに、セバスチャンが申しつけた。
「承知しました」
終始緊張した様子のリリスは紅茶を飲み干すと、会話の輪から離れて、ジョンの案内のもとゲストルームへと向かっていった。
他愛のない話をつづけるグレースとセバスチャンを去り際、振り向いたリリスの瞳が妖しく光った。
☆
「来客だというのに、もてなしもしないなんて」
セバスチャンの部屋で夕食を摂ったあと、柔らかいピンクのドレスを脱ぎながらリリスが不満げに言った。
純白のワンピースを脱ぎつつグレースが「仕方がないですよ」と姉をなだめる。
「じゃあ、服の交換ね」
お互い背中を向け合いながら、脱いだばかりの衣服を交換して身に着ける。
グレースはピンクのドレスを、リリスは白のワンピースに着替えた。
「……本当に、うまくいくのでしょうか」
「大丈夫よ。
わたしたちは誰がどう見てもそっくりなんだもの。
自信を持って」
リリスがいたずらっぽく目を細めてみせる。
不安そうな顔を隠しもせずにグレースはうなずいた。
☆
「失礼します」
ノックとともに、セバスチャンの部屋に足を踏み入れる。
振り向いたセバスチャンが、少し驚いたような顔をする。
「リリス様?
どうされましたか?」
ピンクのドレスにピンクの髪飾りをつけたリリスがにっこりと笑った。
「殿下……。
少しお話をよろしいでしょうか」
「え?
ええ、構いませんが……」
リリスがソファに座ると、セバスチャンも対面に腰かけた。
「グレースはどうしました?」
「部屋にいます。
実は、殿下にうかがいたいこがありまして」
「は、はい、なんでしょう?」
あくまで笑顔でありながらも、有無を言わせぬリリスの物言いに少し気圧されながら、セバスチャンが面食らったように答える。
「妹は、殿下との結婚に、不安を抱いているようなのです」
「不安?
グレースがそう言ったのですか?」
「ええ。
自分が王妃に相応しいかという不安や、殿下のお心がわからないという不安を、実家に帰った際にわたしに教えてくれました」
「私の、心?」
リリスは顔をあげ、セバスチャンを見据えた。
「単刀直入にうかがいます。
殿下は、グレースのことを愛していますか?」
「あ、愛……?」
「好きだとか、愛しているだとか、そういった恋愛感情をグレースに抱いているかどうか、ということです」
「……」
部屋に沈黙が流れる。
セバスチャンは顔を伏せて黙り込んでいる。
リリスは祈るように両手を組んだ。
そうして、永遠にも感じる熟考の末、ようやく口を開いた。
「わかりません」
「わからない?」
セバスチャンは銀髪をくしゃっと握りながら表情をゆがめる。
「正直、自分がグレースに感じているこの感情が、恋愛感情なのか、そうでないのか、私には区別がつかないのです。
ただ、もうグレースがいない生活を送ることは、私にはできない気がします」
セバスチャンは自嘲気味に笑うとつづけた。
「私はグレースにとても感謝しています。
私は、グレースと出会ってからどんどん弱くなっている気がします。
いままでは我慢できたことを恐ろしく感じたり、グレースを失うことが怖くてたまりません。
グレースにそばにいてほしい、グレースのそばにずっといたいと思ってしまったのです。
この感情が、好きとか愛していると表現するに足るものなら、きっと私はグレースに恋をしている、といって差し支えないのでしょう」
「……殿下……」
リリスはいまにも泣き出しそうな顔になると、唇を噛んでそれを堪えた。
それに気づかずセバスチャンはつづける。
「お姉様を心配させないようにはっきり言った方がいいのかもしれませんね。
リリス様、私はグレースを愛しています。
彼女はとても大切な女性です」
「……ありがとうございます」
「え?」
リリスが涙を堪えてうつむいていると、部屋の扉が突然けたたましく開け放たれた。
「騙されてはいけませんわ、殿下!」
そこには、白いワンピースを着た少女──グレースがいた。
「ぐ、グレース?
どうしました、突然……」
すると、グレースは不敵に笑い、自身の胸に手を置いて、まるで舞台役者のような大仰な仕草と声音で、つかつかと部屋に入ってきた。
「殿下、そこに座っているのは、正真正銘グレースですわ。
グレースは、わたしになりすましたのです」
「お、お姉様!」
ソファから立ち上がったリリス──いや、リリスのふりをしたグレースが狼狽して叫ぶ。
「ど、どうしてここへ?
お姉様のふりをして殿下とお話をすればいいと提案したのはお姉様ではありませんか」
「聞きまして?
殿下。
グレースはわたし、リリスのふりをして殿下に近づき殿下の本心を聞き出そうとしたのです。
殿下を騙して、姉であるわたしに責任をなすりつけ、殿下を試したのですわ。
グレースは、しょせん殿下を信じてなどいないのです。
嘘をついて平気な顔をしていられる──『聖女』が聞いて呆れますわ」
ふん、とリリスは鼻を鳴らした。
グレースはなにも言い返せず、ただうつむいている。
「グレース……」
セバスチャンがピンクのドレスをまとったグレースを眺める。
「……ごめんなさい……」
グレースは小さな声でそうとだけ言うと、また黙り込んでしまった。
「殿下、わたしは止めたのです。
殿下を信じるべきだと。
殿下を騙すような人間は、王妃に相応しくない、そうは思いませんか?」
セバスチャンが悲しそうな眼差しをグレースに向ける。
「……でしたら、こんな真似はせずに、直接私に聞いてくださればいいものを……。
やはり……やはりあなたも、私を利用する側の人間だったのですか?」
ばっとグレースが顔をあげる。
「ちっ、違います!
わたしは、そんな……。
ただ、その……」
「私はあなたを信頼していました。
疑われるなど考えもしませんでしたよ」
口ごもるグレースは、うまく言葉を継げないでいた。
「殿下、グレースは王妃の座が欲しいのです。
殿下に優しくしたのは、すべてその野望を叶えるため。
殿下が自分を愛しているかどうか試したのは、殿下をうまく騙せているかどうかを確かめるためだったのです。
グレースは、殿下の繊細な心をもてあそんでいたのです。
結婚できるのなら、いくらでも自分の気持ちを偽ることができる、そんな性格だから、愛してもいない殿下との婚姻を結んだのですわ」
つぎつぎに投下されるリリスの暴露に、セバスチャンは目を見開き、グレースは口をぱくぱくさせた。
「……まさか、そんな……」
セバスチャンが呟き、ふらりとソファに腰を落とす。
「殿下、違います!
わたしは、王妃の座などに興味はありません!」
グレースが必死に言い募るが、セバスチャンはこめかみに手を当ててグレースを見ようとはしなかった。
「恋をしていたのは、私だけだったのですね……。
私に接してくれたのは、そういうことだった……。
驚くことではありません。
これまで、私に近づいてきた人間には必ずといっていいほど野望がありました。
グレース、あなたのように。
あなたもそのひとりに過ぎなかった、そういうことなんですね。
あなたなら、と信じた私が愚かだったのです。
誰にも心を開くべきではなかった……。
自分が傷つくだけなのに……」
うつむきながらも、セバスチャンは笑っていた。
そして、泣いていた。
「……殿下」
グレースが動けないでいると、さっと近寄ったリリスがセバスチャンの身体を抱擁した。
セバスチャンが真っ赤になった瞳を見開く。
「殿下、妹が殿下を傷つけてしまったこと、姉として謝ります。
幼いころから、妹は『聖女』と持ち上げられて甘やかされて育ってきたのです。
世界は自分を中心に回っている、そんな勘違いをし、傲慢な性格にしてしまったのは、わたしたち家族の責任です。
ですが、わたしは違います。
昔からグレースを見てきて、本来の『聖女』とはどんなものか、グレースを反面教師にして学んできました。
わたしなら、殿下を裏切ることなく、おそばにいることができます。
間違っても権力のために殿下を利用したりはしませんわ」
「リリス!
勝手なことを言わないで!
殿下、わたしは……」
「黙れ!」
セバスチャンが鋭く叫んだ。
グレースはびくりとして口をつぐむ。
セバスチャンの怒鳴り声をはじめて聞いた。
セバスチャンはゆるゆると首を振り、リリスから身体を離した。
「……ひとりにしてくれ……」
「殿下……」
「ひとりにしろと言っている!」
セバスチャンの銀髪が激しく揺れる。
言いたいことは山のようにあるのに、なにひとつ言葉にならない。
もどかしい思いを抱えながら、これ以上なにもできずに、グレースはセバスチャンの部屋を出ていった。
つづいて、余裕の笑みを浮かべたリリスが部屋を出て、扉を閉めた。
「お姉様、どういうことですか?」
怒りで顔を充血させたグレースが掴みかかりそうな勢いでリリスを問い詰める。
「あら、そんなに怒らなくてもいいじゃない。
殿下はあなたを愛していた、それが知りたかったのでしょう?
殿下のお気持ちを聞けたのだもの、目的は果たせたわ」
「そんなことを言っているのではありません!
どうして、わたしが殿下を裏切ったことになっているのですか?
一体、なにがしたいのです?」
「わたしはあなたに協力しただけよ。
あんまりな言い草だわ。
でも、そうね。
なにがしたいのかと言えば、わたしは王妃になりたいわ」
「……え?」
「だって、セバスチャン様は、本当にお美しくて、わたし、ひとめで好きになってしまったの。
最初からあなたをけしかけてセバスチャン様と引き離したら、わたしが殿下に取り入って王妃の椅子に座るつもりだったけど、殿下の美しさに感動してしまったわ。
王妃と殿下、どちらも欲しい、わたしのものにしたいって、思ってしまったのだから、仕方がないでしょう?」
「最初から、わたしと殿下の仲を引き裂くつもりで王城にきたのですか?」
「ええ、そうよ」
リリスは悪びれた様子もなく首肯してみせる。
「わたし、殿下に誤解を解きにいってきます」
すると、リリスはせせら笑った。
「無駄よ。
もう手遅れだわ。
一度猜疑心を抱いてしまった相手をもう一回信じることは難しいわ」
「時間をかけて信頼を取り戻します。
殿下なら、きっとわかってくださるはず……」
「そうだといいわね」
ワンピースの裾を翻すと、リリスは軽やかな足取りで廊下を去っていった。




