第八話 里帰り
グレースがマテオとともに王城を訪れたあの日から、1ヶ月が経っていた。
話はトントン拍子に進み、セバスチャンとグレースは正式に婚約した。
そしてこの日、グレースは馬車に揺られていた。
結婚の準備で必要な荷物を実家に取りにいくため、アッシュトン領を目指していた。
実家に帰るのは、1ヶ月ぶりとなる。
こんなに長い時間、家族と離れたのははじめてだった。
森の悪路を進むたび、思い出し笑いをしてしまう。
1ヶ月前、王城を目指していた自分は、おぞましい野蛮な王子の姿を想像してすくみ上がっていたのだ。
つぎに家に帰るときに、自分がその王子の婚約者になっているとは夢にも思わなかった。
改めて振り返ると、怒涛のような日々だった。
グレースの日常は大きく変化した。
王室に嫁ぐ不安はあるけれど、それよりもセバスチャンを支えたいという思いが勝っていた。
しかし、と眉間にしわを刻む。
ここ数日、グレースの心は晴れないでいた。
セバスチャンとの関係は良好だ。
それは間違いない、間違いではないのだが……。
憂いを帯びた瞳で車窓を眺めていると、馬車はアッシュトン家に到着した。
「グレース!
おかえりなさい!」
ローズが馬車を降りたばかりのグレースに駆け寄り愛娘を抱きしめた。
薔薇の香りがふわっと漂う。
「ただいま、お母様」
ローズがグレースの顔を手で挟み込み、やや涙目になって言った。
「よく顔を見せて頂戴。
心配してたのよ、みんな。
元気そうでよかった……。
まさか、あなたが結婚するなんて……」
優しい眼差しでグレースをみつめるローズの肩に、マテオが手を置いた。
「長旅で疲れているだろう、早く家に入ろう」
「あら、そうね。
グレース、こちらへ。
ほら、リリスも、ぼうっとしていないで」
少し離れた位置に立つリリスは、うつむき加減で無言を貫いていた。
「お姉様?」
グレースが声をかけると、リリスははっとして笑顔を取り繕った。
「なんでもないわ、おかえりなさい、グレース」
そういうと、さっさと屋敷へと入っていってしまった。
グレースは首を傾げる。
──わたし、お姉様を怒らせることをしてしまったかしら。
リリスは笑顔をみせていても、心の中では静かに怒りを溜め込む性格であることは、もちろんグレースは知っていた。
だからこそ、積もりに積もった激情が、たまに爆発することがある。
あの笑顔も、それを予感させた。
まもなく本格的な夏を迎えるアッシュトン領では、山並みには青々とした葉が茂り、生命の息吹を間近に感じることができる。
これは、王都ではなかなかない光景だと、瑞々しく清廉な空気に触れて改めてそう感じさせられた。
離れてみて、気づく居心地のよさもあるんだな、と屋敷を囲む豊かな自然をぐるりと眺めて屋敷へ入ると、懐かしい匂いに、ずいぶんと長く留守にしていたような心地になる。
なんだか、見なれたはずの実家がよそよそしいような、そんなやんわりと拒絶するような空気感。
──ああ、わたしはもう『この家の子』じゃないんだな。
一抹の寂しさがグレースを襲う。
結婚を決めたのは自分なのに、もうホームシックだろうか。
「おかえりなさいませ、グレースお嬢様。
お荷物をお運びします」
「え、あ、アンナ!」
最後に見たときとなにも変わらないアンナを見て、グレースはなんだか泣きそうになってしまった。
「……は、アンナですが……」
グレースは突発的にアンナに抱きついてしまった。
「……お嬢様、もう成人でしょうに……。
ご結婚される方が子どものようにメイドに甘えるのは感心しませんよ」
「結婚が決まった人だって、たまには甘えたいの。
城では気を張ってばかりいたんですもの。
少しくらいいいじゃない」
「まったく……。
お嬢様はなにも変わっていませんね」
アンナの呆れを含んだ小言すら、グレースには懐かしく嬉しい反応だった。
「アンナを城に連れていきたいくらい」
「冗談はやめてください。
私は権力闘争に巻き込まれる気はありませんよ」
「ふふっ、権力闘争なんてしてないわよ」
「そうですか。
しかし、私の耳には第1王子に王位継承されるか疑問だという噂が入ってきていますが」
「まだ言われもない噂が流れているのね……。
王位継承は変わらないわ。
でも、まあ、親子仲がよくないのは確かだけど……」
その『親』を相手に啖呵を切ったなどとは、アンナはもちろん両親にすら報告できない。
ガブリエルに楯突いた時点で、速攻処刑される可能性だってじゅうぶんあったのだ。
あのときのことを思い出すと我ながら、危険な橋を渡ったな、といまさらながらに冷や汗が噴き出てくる。
あのときは、セバスチャンをけなすガブリエルへの怒りで我を忘れていた。
ようやくグレースから解放されたアンナは、「夕食の準備がありますので」とにべもなく言い放つとさっさと廊下を歩いていってしまった。
「…変わらないのは、あなたもよ、アンナ」
グレースは苦笑しながらアンナの背中に小声で呟いた。
☆
久々に家族4人で食卓を囲み、食後のお茶を飲みながらも、家族の話は尽きなかった。
王城でなにがあったのか、王都はどんな場所なのか、セバスチャンとはどういう経緯で結婚に至るまでになったのか──。
3人は好奇心旺盛に目を輝かせグレースに矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
「まさか、娘が結婚するとはなあ……。
私も歳を取るはずだ」
「あら、あなた、グレースが結婚するって決まったとき、ものすごく不機嫌になったじゃありませんか」
ローズに笑いながら暴露され、マテオはむぅ、と口をすぼめた。
くすくすとグレースが笑った。
「誰が相手だろうと、父親なら娘が嫁にいくことなど嬉しくないに決まってるだろ」
「でも、王妃になるなんて、グレースは本当にすごいわ」
グレースの話を一番身を乗り出して聞いていたリリスが、うっとりと夢見る顔で両手を組んだ。
「王妃になるためには覚悟が必要だと、陛下に釘をさされましたが……」
「すごい、国王と話ができるなんて!
グレース、本当に王室へ入るのね。
なんだか遠くにいってしまった気がするわ」
「……正直、ずっと王城にいるのは息が詰まるので……。
本当はたまには帰ってきたいと思っているのですが……」
「あら、それは贅沢というものだわ。
王妃になると、美しい宝石を買えたり美味しいご飯を食べられたりするのでしょう?
羨ましいわ」
リリスの言葉を受けてグレースは苦笑する。
「そう簡単な話ではないようです。
王室は国民に尽くすためにあるのだと、公務の大切さを説かれました」
「ふうん、そう……」
リリスは人差し指をあごに当てたまま考え込む表情になる。
「グレース、家を出たのだから帰ってくるな、なんて言わないわ。
好きなときに、いつでも帰っていらっしゃい。
それに、嫌なことがあったら離縁したって私たちはあなたを責めないわ。
悪評が尽きないあの王子と結婚するんですもの。
褒められこそすれ、グレースが責められるいわれはないわ」
「お母様、殿下はとても優しくていい方です。
領内で噂されていることは殆どデマに過ぎません」
「そうなの?
まあ、結婚式で正式にお会いすることになるけど、グレースが惚れてしまった王子を見ることを楽しみにしているわ」
セバスチャンの悪い噂を真に受けているローズが、美しく儚げなセバスチャンを見たらどういう反応をするのだろうと考えると、グレースは密かに笑ってしまった。
そのとき、リリスと目が合った。
リリスは笑っていなかった。
ぞわぞわと、グレースの中で不穏なものがうごめきはじめた。
☆
「グレース、ちょっと話をしない?」
シャワーを浴びて、早めに寝ようと自室に入ろうとしたところで、自分の部屋から出てきたリリスにそう声をかけられた。
グレースはうなずくと、促されるままにリリスの部屋へと入った。
リリスの部屋は、彼女が大好きなピンクの家具で統一されている。
壁紙からカーテンから机の色まで、愛らしいピンクに囲まれていた。
ふたりはクッションの上に座り、顔を突き合わせた。
リリスが乾いたばかりの銀髪を指で梳きながらグレースをみつめる。
「お姉様?」
「ねえ、グレース。
あなた、なにか悩んでいるんじゃないの?」
グレースは自分の分身を驚きの目で見返した。
やっぱりね、とリリスが溜め息混じりに苦笑した。
「わたしはあなたのたったひとりの姉よ。
妹のことなら、誰よりも敏感に感じ取ることができるわ。
だって、わたしたちは双子だもの。
普通のきょうだいよりも、強い絆で結ばれているわ。
だからわかるの。
あなたが悩んでいることが」
グレースも負けじと溜め息をついてしまった。
「なにか、心配なことがあるんじゃない?
お父様たちには言えないことが。
グレース、わたしになら話せないかしら?」
グレースは姉の顔をみつめたまま、しばらく逡巡した。
しかし、やがて観念したふうにひとつ呼吸をすると、うなずいて話しはじめた。
「実は……。
殿下のお気持ちが、わからないのです」
「お気持ち?
セバスチャン様とうまくいっていないの?」
グレースが慌てて両手を振って否定する。
「いえ、殿下はとてもお優しくて……。
ただ、あまり多くを話さない方なので、殿下がわたしのことをどう思っているのかが、本心がよくわからなくて」
「どういうこと?」
「殿下は王城であまり優遇された立場とはいえません。
たくさんの人の悪意に触れ、傷ついているのです。
そんななか、わたしが近づいてきて、話し相手にでもなりたいと言ってきた……。
もしかしたら、殿下を理解したいと言い出したのはわたしがはじめてだったのかもしれません。
優しくされ慣れていない殿下が、わたしを好ましく思うことは必然なのかもしれません」
「それって、つまり……」
「ええ。
確かに結婚してほしいと殿下は仰ってくださいました。
けれど、殿下にとってわたしははじめて好意を寄せてくれた存在──。
そんなわたしと一緒にいたいと思う……それは不自然なことではありませんよね」
リリスが、うーんと難しい顔を上げ、腕を組んだ。
「なるほど。
つまり、こういうことね。
セバスチャン様が、グレースに恋愛感情を抱いているかどうかがわからない、と」
「……はい。
殿下が好意を抱いてくださっていることはわかるんです。
でも、わたしは、陳腐になりますけど、『好き』とか『愛している』とかお互いが同じくらいの熱量で想っていてはじめて結婚という選択をするのではないかと思ってしまうのです」
「……セバスチャン様が自分を愛してくれてる確信がほしい、と」
「はい……。
わがままであることはわかっているのですが……。
恋愛感情がないと、結婚生活がつづかないのでは、と不安になってしまって」
「……まあ、そうよねえ。
女としては、惚れた男に生涯愛されたいものね。
でも、それって、マリッジブルーってやつじゃないかしら?」
「マリッジブルー?」
「よく言うじゃない。
結婚直前に、本当にこの人と結婚して大丈夫なのかって不安になるって」
「……そう、ですね。
殿下の心がわからなくて、不安なのは確かです。
王妃となる重圧もあります。
この結婚が正しいかどうか、疑問もあります」
すると、そうねえ、と言いながらリリスが首を傾け、あごに指を当てる仕草でじっと考え込む。
「ねえ、こういうのはどう?」
リリスは内緒話をするように顔を近づけてきた。




