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第四話 呪われた王子

「……殿下の、正体?」


 グレンと名乗った白衣の男に連れられて、グレースは、手術室さながらの機器とベッドが置かれた部屋へやってきた。


 手術台に似たベッドには、セバスチャンがすでに横たわっている。


 両手首と両足首には枷のような器具が取り付けられ、固定された頭には脳波を測るときに使われるような器具が装置されている。


「まずはいつも通りデータを一通りとります。

 問題がなければ今日は心臓を取り出してみましょう」


 グレンの言葉にグレースは目を剥いて絶句した。


──心臓を、取り出す……?


 清潔が保たれた手術室のような部屋に、ぞくぞくと白衣の男性が入ってくる。


 てきぱきとセバスチャンを寝かせた台を取り囲んだ男性たちが拘束されたセバスチャンの身体にチューブをいくつも繋げていく。


「体温、脈拍、脳波は問題なし。

 では、記録をとるために解剖をはじめます。

 婚約者殿、少しショッキングな光景になりますので、気分が悪くなりましたら申し出てください」


 グレンがマスクをつけながらグレースを振り向く。


 グレースがなにがなんだかわからずに、おろおろとしていると、「邪魔です」と白衣の男たちに押し退けられ、ふらふらとベッドから数歩離れた。


「では、はじめます、メスを」


 本物の手術さながらにグレンが手を出すと、隣についていた白衣の男がメスを手渡す。


 グレンが、麻酔もせずになんの躊躇もなくメスでセバスチャンのあらわになった胸を切り裂いた。


「────────っ!」


 セバスチャンの声にならない絶叫が狭い部屋に轟いた。

 

 切り裂かれたセバスチャンの傷口から鮮血がほとばしる。


 グレースは口元を押さえて、目の前で繰り広げられている猟奇的な光景に、身動ぎひとつできずに目を見開いていた。


「今日は心臓を取り出して記録をつけましょう」


 グレンがそう言ってセバスチャンの傷口に指を差し入れようとする。


「な、なにをしているんですかっ!

 やめてください、で、殿下が……っ」


 呪縛から解かれたグレースがグレンの腕を掴んで止める。


 グレンは面倒臭そうにグレースの手を身体ごと回して振り払う。


 その手にはメスがあり、手袋は血まみれだったからだ。


「お静かに、婚約者殿。

 これくらいでセバスチャン様は……」


 マスクの下からグレンのくぐもった声が聞こえるが、グレースはセバスチャンの傷口から目が離せないでいた。


 確かに、目を逸らしたくなる凄惨な状況だ。


 だが、グレースの目には、到底信じられないものが映っていた。


 深々と切り裂かれた血にまみれたセバスチャンの傷口を、真紅の糸がじぐざぐに縫うようにしてその傷を塞いでいく。


 それは、グレースが治癒のちからを使うときに頭の中に思い浮かべるあの真紅の毛糸に酷似していた。


「……あ、の……。

 あの糸が、見えますか?」


 セバスチャンの身体から顔を逸らすことをしないグレースに好奇の目を向けながらも、グレンは不思議そうに聞き返した。


「糸?

 なんのことですかな?」


「殿下の、傷口を、塞いでいる、毛糸のような糸です」


「はあ?

 婚約者殿、あなた、あまりのショックに混乱しているのでは?」


 グレンの小さな目が憐れなものを見るようにさらに細められる。


「……いえ、そう、ですね。

 そうだと思います……」  


──わたし以外には、見えていないんだ。


 頭の中に浮かぶ、真紅の毛糸が。


 セバスチャンの傷口を塞いでいる、あの糸が。


「ああ、時間をかけすぎた、傷口が塞がりかかっている。

 おい、メスを渡せ」


 グレンはグレースを睨みつけると、あからさまに舌打ちをして、手を差し出した。


 傷口だった箇所はすっかり塞がれ、乾燥した血痕だけが残されている。


──殿下は、わたしと同じ『ちから』を持っている?


 放心しながらグレースが立ち尽くす目の前で、セバスチャンの胸の真ん中、心臓の真上にグレンが再びメスを振りかざして切り裂いていく。


「─────────っ!」


 またもセバスチャンの断末魔の絶叫が部屋にこだまする。


 塞がったはずの傷口からおびただしい血液が流れ出す。


「やめてください!

 麻酔もなしに、こんなこと!

 痛いに決まってるじゃないですか!

 こんなの、人間にすることではありません!」


 グレースはグレンに体当たりすると、叫びながらメスを取り上げようとする。


 グレンは眉間に深いしわを刻み、グレースの手が届かない高さまで手をあげてメスを取られまいとする。


 そして疲れたような表情で溜め息まじりにグレースを見下ろした。


「……婚約者殿、ここから出て行ったほうがいい。

 糸だの麻酔だの痛いだのと……。

 あまりのショックで混乱していらっしゃる。

 それに『人間にすることではない』ですって?

 いま、あなたはご自分の目で見たでしょう。

 セバスチャン様の傷口が自然と塞がっていく様を。

 これのどこが『普通の人間』だというのですか?」


「……それは……」


 セバスチャンの傷口を塞いだあの糸は、グレースの頭の中に浮かぶあの糸と間違いなく同じものだ。


 あの糸が、セバスチャンの傷口と健康だったころの患部を繋ぎ止め、治癒を果たしているのだ。


 しかし、自分も同じ能力を持っている、とはグレン相手にはとてもではないが言えない。


 グレンの考えでは、グレースも『普通の人間ではない』ことになる。


 そうなれば、グレースの胸にもメスを突き立てられてしまうかもしれない。


「ですが……こんなこと、倫理に反しています」


「どうせすぐに傷は塞がるのですよ。

 セバスチャン様は毎日身体を切り刻まれていますが、あなたも見た通り、いたって健康。

 傷口などたったの数分あれば塞がります。

 なんの問題もないでしょう」


「問題がない?

 殿下はとてもつらそうです、痛がっています。

 たとえ傷口が塞がるとは言っても、わたしたちと同じ、痛覚はあるんです。

 苦しくないはずがありません!」


 グレンはメスを放り投げ、手袋を外すとマスクを剥ぎ取った。


「……これまでにやってきた婚約者殿はこの凄惨な光景を見て、卒倒するか泣きながら逃げ出すかのどちらかだったのですが……。 

 あなたのような娘ははじめてだ。

 まるでセバスチャン様の持つ能力を理解されているような言いようですね」


「……それは、そんなこと、ありませんが……」


 ふうん、とグレンはつまらなさそうに息をつくと、セバスチャンを取り囲んでいた白衣の男たちに声をかけた。


「邪魔が入った。

 今日の実験は中止だ。

 セバスチャン様、自室にお戻りくださって結構です」


 白衣の男たちは、グレンがそう合図すると、即座にセバスチャンに興味を失ったようでばらばらと部屋を出ていく。


 拘束から解放されたセバスチャンが起き上がり、グレースを見据えた。


「まったく、実験を見せれば婚約者殿を追い払えると思ったのに。

 婚姻を望まないセバスチャン様のためでもあったのですがね」


 やれやれ、とグレンが首を振りながら、グレースとセバスチャンを置いてさっさと部屋を去っていく。


 薬品の匂いと鉄の匂いが漂う、病的なほど白に統一された実験室の外では、白衣の男たちがパソコンのモニタに向かってそれぞれの仕事をつづけている。


 彼らは傷つけられたセバスチャンの絶叫など、BGMでも聞いているかのように表情を少しも崩さず聞き流している。 


 眉をひそめながらグレースが男たちから視線を外して振り返ると、セバスチャンと目が合った。


 警戒するように、じっとグレースをみつめている。


 はだけた服の胸元には、乾いた血痕が残るだけで、傷の類は認められない。


「あ、あの、殿下……大丈夫ですか?」


 いまのいままで酷い目に遭っていた当人に告げるには、なんとも間抜けな言葉であることは承知しているが、それ以外にセバスチャンにかける適切な言葉をグレースは思いつけないでいた。


 セバスチャンはグレースから目を離さないが、口を開く様子はない。


「だ、大丈夫、ではないですよ、ね……。

 すみません、配慮が足りませんでした」


 グレースは慌てて頭を下げる。


 その間にも、セバスチャンから突き刺さるほどの強い視線を向けられていることがわかった。


 グレースが顔をあげると、セバスチャンはかすれた声で呟いた。


「……どうして、私を助けたのですか?」


「……え?」


「怖く、ないのですか、私のことが」


 この実験の様子を見た婚約者たちは逃げ出した──。


 グレンの言葉が蘇る。


 セバスチャンには何人もの婚約者がいたという。


 彼女たちがセバスチャンのもとから去った理由がようやくわかった。


 連日、こんな悪夢のような『実験』を見せられつづければ、いや、たった一度目にしただけでも、心に傷を負う『婚約者』が現れてもおかしくない。


「……怖くは、ありません」


「目の前で、人が殺されそうになっていても、でしょうか?

 切り裂かれた傷が、治ってしまう、呪われた私を見ても、でしょうか?」 


「……はい、怖くありません」


 セバスチャンの言葉には、どこかグレースを試すような響きがあった。


「殿下が呪われているというのなら、わたしだって……」


 そこまで口にして、グレースはその先をつづけるべきか悩んで言い淀んだ。


 セバスチャンもグレンも、グレースがなぜ『聖女』と言われていたか、知らない様子だった。


 『聖女』と呼ばれていたことすら知らなかったのかもしれない。


 つぎつぎあてがわれる『婚約者』を望まないセバスチャンのために、『実験』を見せて追い払う──。


 それは、グレンたちにとっては口実に過ぎないのだろう。


 目的はわからないが、セバスチャンの身体を実験の対象にできるのなら、理由はなんだって構わないのだろう、そう感じた。 


「その……糸が、見えて」


「糸?」


「信じてもらえないかもしれないのですが、わたしには……」


 グレースが意を決してつづけようとしたそのとき、「婚約者殿」と部屋を去ったはずのグレンがひょいと顔を出してそう呼びかけてきた。


「ひゃっ」


 思わずグレースは飛び上がる。


「すみません、そんなに驚くとは思わず……。

 少々、お話をしてもよろしいでしょうか」


「あ、ええ、お話、ですか?」


「ええ、ここではなんですから、場所を変えましょう。

 セバスチャン様は、ここで少しお休みください」


 セバスチャンがすがるような瞳を向けてくるので、グレースは後ろ髪を引かれる思いでグレンに促されて部屋を出る。


 案内されたのは透明な扉で仕切られた応接室だった。


 部屋の壁には本や資料がぎっしりと隙間なく本棚に収められ、ただでさえ狭い部屋がさらに狭く感じられる。


 部屋の中央にあるソファにグレースが座ると、グレンがブラインドを下ろし目隠しをした。


 それだけで、部屋が喧騒から切り離された気がした。


「さて」


 グレースの対面に座ったグレンは、あまりスタイルがいいとは言えない足を組み、グレースを睥睨した。


「婚約者殿」


「グレースです。

 グレース・アッシュトンです」


 雰囲気に呑まれないように、グレースは必死に勇気を絞り出して冷静な振りを装う。


「では、グレース殿。

 あなたは、本当にセバスチャン様と結婚されるおつもりですか?」


 グレンは白髪混じりの頭髪を撫でつける。


 こうして向き合ってみると、グレンは目つきも悪く、相手に威圧感を与える強面であった。


「……い、いえ、そこまではまだ……」


 グレースの声が次第に弱々しくなっていく。


 太ももの上で握りしめた拳がぶるぶると震えていた。


 せめて、隣にマテオがいてくれたら──。


「これは忠告です。

 この婚姻は破棄されたほうが賢明だと申しておきましょう」


「なぜ、でしょうか」


 グレンが鼻で笑う。


「なぜ、ですか。

 ご自分のその目でご覧になったではありませんか。

 セバスチャン様の呪われた身体を」


「傷が、塞がったことですか?」


「ええ、どう見てもあの方は普通の人間ではない。

 だから、私たちはセバスチャン様の身体を日夜研究しているのです」


「毎日、あんな酷いことを……」


「セバスチャン様のことをなにも知らないのに、私たちを非難するのですか?」


「それは……確かに出過ぎた真似かもしれませんが」


「では、あなたに特別にお話ししましょう。

 呪われたセバスチャン様の正体を」


 余裕を見せつける意図があるのか、グレンは足を組み替え話しはじめた。


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