第79話 森可成と、息子・勝蔵―武士の覚悟
犬千代との愚痴大会から数日後。俺は今日も今日とて、縁側で『戦国ジャージ』に身を包み、自業自得の金欠による飢えをやり過ごすために省エネモードで寝転がっていた。
「おう茂助殿! 息災か!」
不意に、庭の垣根越しに野太く、しかしどこか温かみのある声が響いた。
ビクッと身を起こすと、勝手口から俺に負けず劣らずの巨躯で、岩のような威圧感を放つ髭面の武将が姿を現すところだった。
無数の刀傷が刻まれた強面と、歴戦をくぐり抜けてきた圧倒的な気迫。織田軍随一の猛将『攻めの三左』こと、森可成様である。
去年の春、犬千代様に連れられて我が家へやってきて以来、あのヤクザのような顔とは裏腹に、驚くほど礼儀正しく義理堅いこの人とは、妙に馬が合うようになっていた。
「よ、可成様! 犬千代と一緒に来るって聞いてましたけど……」
俺が慌てて縁側から降りようとすると、可成様の後ろから、ぬうっと小柄な影が現れた。
「……」
まだ元服前の、十二歳くらいだろうか。前髪を残した少年だった。
だが、その眼光は異常だった。ただの子供には見えない。飢えた獣のようにギラギラと尖った三白眼で、俺の顔を、そしてだらしないジャージ姿を射抜くように睨みつけている。
去年の春、可成様が「指南役の腕をへし折った」と頭を抱えていた、あの暴れん坊に違いない。
「……なんだ、父上の言っていた『機転の利く剛の者』とは、この男のことですか」
少年は、値踏みするように鼻で笑った。
「図体はでかいし、手には槍ダコも生傷もあるようだが……まるで『覇気』がない。闘気が一切感じられぬ、腑抜けた目をしている。こんな奴が、桶狭間や岐阜攻略、本圀寺の死線を潜り抜けた猛者だとは到底思えませぬな」
「これ、勝蔵。無礼であろう」
可成様が低くたしなめると、少年――勝蔵は「ふん」とそっぽを向いた。
「茂助殿、すまんな。以前話した息子の勝蔵だ。こいつにも、お前のように広い視野を持つ男の顔を見せておきたくてな、無理に連れてきたのだ」
「い、いえ。お気になさらず……」
俺は引きつった笑みを浮かべた。
(見た目がヤクザでも中身は超紳士な可成様とは違って、こっちは中身まで純度百パーセントの狂犬だ。絶対に関わりたくないタイプだぞ……)
現代でも森カツゾウなんて名前は聞いたこともないが、この凶暴な遺伝子が将来ロクな大人にならないことだけは容易に想像できた。
「長良川で鮎が獲れたゆえ、一緒にどうだ」
「鮎! 最高です! すぐに火を起こしますよ!」
俺は勝蔵の鋭い視線から逃げるように、三太夫を呼んで七輪を準備させた。
***
ジュワァァァッ……!
串に刺した鮎に塩を振り、七輪でこんがりと焼き上げる。
可成様は持参したジャージ姿に着替えて美味そうに冷酒を煽り、勝蔵も最初は文句を言っていたものの、焼きたての鮎を一口食べると、無言になってものすごい勢いで骨までかじり始めた。
「……茂助殿は、なぜ裏方にこだわるのですか」
二匹目の鮎を平らげた後、勝蔵が不躾な視線を俺に向けてきた。
「父上は、戦場で敵を討ち取るのが武士の誉れだと言います。貴殿も前線に出れば戦えるはずなのに、いつも後ろに居ようとすると聞く。それは、武士として恥ずかしくないのですか」
「勝蔵! その口の利き方は……」
「いいんです、可成様」
俺は可成様を制し、七輪の火をぼんやりと見つめながら、素直に答えた。
「恥ずかしいとか誉れだとか、俺はそんな立派なことは考えてません。俺が前線で戦ったのは、そうしなきゃ俺自身が殺される状況だったから、必死にもがいただけです」
「死にたくない……? 大の男が、命を惜しむのですか!」
勝蔵が眉を吊り上げた。
「はい、そうなんです。でもね、勝蔵君」
俺は、勝蔵の真っ直ぐすぎる目を見返した。
「前線で槍を振るうだけが戦じゃない。前線で血を流してくれる人たちがいるから、後ろで仕事ができる人たちがいる。逆に、後ろで食料とか資材を運ばなきゃ、お前が尊敬する父君だって、戦場で餓死するし、弓も撃てなくなる」
俺が言うと、勝蔵は意表を突かれたように目を丸くした。
「可成様は、それを分かってくれている。裏方の泥臭い仕事を誰よりも尊重してくれている。だから俺も、可成様たち前線の武将が存分に戦えるように、裏方として必死に働きたいんだよ」
本当は前線が怖いだけだけど……。
勝蔵は、隣に座る父親の顔を見た。
可成様は、静かに頷いていた。
「勝蔵。茂助殿の言う通りだ。槍の腕だけで勝てる戦などない。人を活かし、支える知恵があってこそ、織田の軍は強いのだ。お前も、己の槍の腕だけを過信してはならんぞ」
「……」
勝蔵は、少しだけバツが悪そうに唇を噛み、それきり黙り込んで残りの鮎をつつき始めた。
生意気だが、父親への尊敬と、正しい道理を飲み込むだけの素直さはあるようだ。
***
日が傾き始めた頃。
「世話になったな、茂助殿。これは奥方に」
元の着流しに着替えた可成様が立ち上がり、鮎、干し柿や砂糖菓子、櫛や簪俺に手渡してきた。
「……可成様。犬とは違いますね。いつでも起こしく下さい」
「……ふん。鮎の焼き加減『だけ』は見事だった」
勝蔵が憎まれ口を叩きながら、先に勝手口の方へと歩いていく。
「こら、礼くらいきちんと言え!」
可成様が苦笑しながら、勝蔵の背中を見送った。そして――俺に向き直ると、ふと、先ほどまでの穏やかな顔から、張り詰めた『武将』の顔へと変わった。
「……茂助殿」
「はい?」
可成様は、声を潜め、静かに言った。
「この先、織田家の戦はさらに苛烈になる。……上様は、南伊勢のみならず、将軍の名前を利用して、四方の敵をすべてなぎ倒すおつもりだ。俺たち前線を張る者の血は、今まで以上に流れるだろう」
その言葉の重みに、俺は息を呑んだ。
常に先陣を切る『攻めの三左』。彼の背負っている死の気配が、不意に縁側に立ち込めたような気がした。
「……もし俺に万が一のことがあれば」
可成様は、門の方で待っている勝蔵の小さな背中を見つめ、少しだけ目を細めた。
「すでに元服した嫡男がいるとは言え……あの勝蔵たちのこと、少しでいい、気にかけてやってくれ。あやつは血の気が多すぎる。誰かが手綱を引いてやらねば、いつか己の業で身を滅ぼすやもしれん」
それは、猛将の言葉というより、不器用な一人の父親としての、切実な願いだった。
「……縁起でもないです」
俺は、背筋を這い上がる得体の知れない胸騒ぎを振り払うように、無理に明るく笑って返した。
「織田家随一の戦上手、攻めの三左が戦場で後れを取るわけないじゃないですか。それに、俺があんな暴れ馬の手綱なんか握れるわけないでしょう」
「ふふっ。違いない。……すまん、酔った勢いの戯言だ。忘れてくれ」
可成様はいつもの豪快な笑みを浮かべると、「さらばだ!」と手を挙げ、勝蔵と共に夕暮れの城下へと帰っていった。
その広く逞しい背中が、やけに小さく見えたのは、夕日のせいだろうか。
(……変なこと言うなよ、まったく)
俺はため息をついた。
(あの『攻めの三左』が戦場でやられるわけないだろ。変な死亡フラグみたいなセリフ吐くの、マジで心臓に悪いからやめてほしいんだけど……)
俺は、少しだけ冷たくなった初夏の風に身を震わせ、静かに七輪の片付けを始めるのだった。
(´;ω;`)
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