第74話 魔王の陣頭指揮と、青い目の伴天連
二条新御所の建設現場は、連日連夜、悲鳴と怒号が飛び交うこの世の地獄と化していた。
「おいコラ! そっちの木材の運びが遅えぞ! 走れ!」
「茂助様! 東の堀の持ち場で、人足たちが石の落とし合いをして怪我人が出ました!」
「知るか! 怪我人は布で巻いて隅に寝かせとけ! 手の空いてる奴をすぐに補充しろ!」
俺は、声も枯れ果てるほどに怒鳴り散らしながら、山積みの帳簿と現場を往復していた。
長年の戦乱で主を失った廃寺や焼け跡から、罰当たりの墓荒らしをしてまでかき集めた石材を、各区画に割り振る。少しでも配分を間違えれば、大工奉行である藤吉郎の雷が落ち、そのまま俺の首が飛ぶ。
毎日数時間の仮眠しか取れず、体は泥と埃で真っ黒。感覚はとうに麻痺し、ただ己の命を繋ぐために無心で裏方の段取りを回し続けていた。
だが、この現場がこれほどまでに張り詰めている理由は、工期の短さやノルマの厳しさだけではない。
最も恐ろしい理由は、現場のど真ん中にあった。
「そォれ! 引けェェッ!! 弛んどるぞ貴様ら!!」
腹の底に響くような、凄まじい怒声。
声の主は、茶筅髷を結い、虎の皮を腰に巻き、泥に塗れた粗末な格好をした一人の男だった。
その男は、自ら太い杖を握りしめ、巨大な石を牽引する人足たちの先頭に立っていた。歩みの遅い者がいれば容赦なく杖で叩き据え、大声で叱咤しながら、なんと自らも荒縄を掴んで巨大な石を引っ張っているではないか。
彼こそが、今や天下を号令せんとする日ノ本の覇者にして、この工事の総奉行。
魔王・織田信長様、その人である。
(……マジかよ。あの人、口だけじゃなくて、本当に自分から現場の最前線に出るタイプなのか……)
俺は帳簿を抱えたまま、その信じられない光景に呆然としていた。
普通、これほどの権力者になれば、暖かい陣幕の奥で酒でも飲みながら「早くしろ」と命令を下すだけだ。だが、信長様は違う。誰よりも早く現場に現れ、誰よりも泥に塗れ、誰よりも大声で指示を出し、サボっている奴がいれば自らぶん殴りに行く。
その姿には、有無を言わせぬ圧倒的な威圧感と、狂気じみた情熱があった。
(すげえ……。あれだけ恐ろしい魔王なのに、現場の誰よりも働いてる。あれじゃあ、誰も文句なんて言えねえよな)
俺は、絶対的権力者である信長様の妥協なき姿勢に、素直に感心してしまった。
……が、一秒後には、下請けの現場頭としての真っ当な絶望が押し寄せてきた。
(って、感心してる場合じゃねえ! 一番上の大ボスが現場のど真ん中に張り付いてるってことは、俺たち下っ端は一秒たりともサボれないってことじゃねえか!!)
最悪だ。トップが現場をうろついている過酷な職場ほど、息の詰まるものはない。
現に、信長様の視界に入る人足たちは、死に物狂いで土を掘り、石を運んでいる。藤吉郎や丹羽様といった幹部たちですら、信長様の目を気にして、自ら泥まみれになって現場を走り回っているのだ。
俺は泣きそうになりながら、自分の持ち場へと駆け足で戻っていった。
その途中、泥にまみれて巨石を運ぶ少年人足の群れの中に、以前鴨川の河原で知り合った捨吉によく似た、小柄で身軽な後ろ姿を見かけた気がした。
だが、声をかける間もなく人波に消えてしまい、俺は「あいつもどこかで生きてりゃいいけどな」と一瞬だけ思いを馳せ、すぐに目の前の地獄へと意識を引き戻した。
***
そんな狂気の突貫工事が続く、ある日のこと。
現場の入り口付近が、何やら騒がしくなっていた。
「おい、なんだあれは……」
「化け物か? 鼻が天狗のように高いぞ……」
人足たちが手を止め、ヒソヒソと怯えながら指を差している。
俺が訝しんで近づいていくと、そこには異様な風体の一団が立っていた。
真っ黒な長衣を身に纏い、首から不思議な飾りを下げた男たち。
顔の彫りは深く、鼻は高く、その瞳は透き通るような青色をしていた。
(うわっ、外人だ! 外国人がいる!)
周囲の武士や人足たちは未知の異国人に完全にビビってしまい、遠巻きにするばかりで誰も対応に行こうとしない。
「茂助様、あれは一体……? 討ち取りますか?」
「馬鹿、やめろ三太夫! 手出しすんな!」
血の気が多い部下を制止したものの、現場責任者である俺が対応に出る羽目になってしまった。
どうしよう、戦国時代に外人なんて想定外すぎる。言葉通じるのか?
いや、焦るな。俺には現代人の義務教育の教養がある!
俺は引きつった笑顔を顔面に貼り付け、勇気を振り絞って彼らの前に進み出た。そして、右手をぎこちなく上げて挨拶をした。
「ハ、ハロー! マイネームイズ、モスケ!ナイストゥーミーツー!」
俺の渾身の英語が、京の空に響き渡った。
だが。
「……?」
青い目をした異国人は、きょとんとした顔で首を傾げた。まったく通じている気配がない。
(あれ? アメリカ人じゃないのか? それとも俺の発音がマズかったか? 巻き舌が足りない? ハロォウ?)
俺が己の英会話スキルを疑い、冷や汗を滝のように流していると、その異国人は俺に向かって深く頭を下げ、口を開いた。
「私ハ、イエズス会ノ ルイス・フロイス ト申シマス。天下ノ支配者デアラレル、織田信長様ニ オ目通リヲ願イタク存ジマス」
(うおお、日本語喋った!!)
俺は赤面しながら心の中で全力のツッコミを入れた。
俺がカタコトの武士言葉を操るフロイスに密かに感動していると、その騒ぎを聞きつけた信長様が、虎の皮を巻いた泥だらけの格好のままズカズカと歩み寄ってきた。
「何事じゃ。異国の坊主が、余に何の用か」
「オオ……!!貴方サマが信長サマデ!?」
ルイス・フロイスは、信長様の姿を見るなり、信じられないものを見たかのように青い目を丸くした。
天下の支配者であり、これほど巨大な城郭をわずか数ヶ月で築き上げる力を持つ男が、高価な絹の着物ではなく、泥に塗れた粗末な身なりで自ら労働の汗を流している。
その事実が、フロイスにとってはとてつもない衝撃だったらしい。
「ナントイウ……ナントイウ御方ダ。此ノ国ノ王ハ、自ラ民ト共ニ土ニマミレ、己ノ目デ全テヲ統治シテオラレルノカ……! ナント恐ロシク、ソシテ偉大ナル王カ!」
フロイスは興奮した様子でカタコトの日本語をまくしたてると、懐から取り出した紙と羽ペンで、熱心に何かを書き留め始めた。
(あーあ、外人さん、完全に勘違いして感動しちゃってるよ)
俺は心の中で乾いた笑いを漏らした。
(あの人は民と一緒に汗を流す優しい王様なんかじゃない。部下がサボらないように、一番前で監視しながら自分も石を引っ張ってる、生粋の仕事の鬼なだけだぞ。あの人の下で働くのは地獄なんだからな)
信長様は、感動して平伏するフロイスを面白そうに見下ろすと、現場の石の上にドカッと腰を下ろした。
「日本語が達者な坊主だな。で、余に何の用じゃ。京での布教の許しが欲しいのか」
「ハ、ハイ……! ドウカ、デウスノ教エヲ広メル御許シヲ……」
「よかろう。余は神仏の祟りなど信じぬが、貴様らの持ち込む南蛮の品々や知識には興味がある。都での滞在を許す。……おい、誰かこやつらに飯と酒でも振る舞ってやれ。余は忙しい」
イエ、オサケハ……と言いかけたフロイスをその馬に残し、信長様はあっという間に立ち上がり、再び「遅いぞ! 引けェェッ!」と人足たちの中に消えていった。
後に残されたフロイスは、ますます感極まった様子で、信長様の背中に向かって深く深く十字を切っていた。
後に歴史の1ページとして残るであろう瞬間を目の当たりにしながらも、俺は自分の持ち場に遅れが出ていることに気づき、慌てて現場に戻ったのだった。
***
そして、狂気と絶望が吹き荒れた七十日間の大工事は、ついに終わりを迎えた。
かつての武衛陣跡地に完成した二条新御所は、たった二ヶ月半で造られたとは到底信じられない、威風堂々たる威容を誇っていた。
深く掘られた二重の水堀。俺たちが廃寺から血の涙を流してかき集め、丁寧に積み上げた堅牢な石垣。そしてその奥には、三階建ての巨大な天守が、京の空を突くようにそびえ立っている。
馬場には、廃寺から根こそぎ引っこ抜いてきた見事な桜の木が、満開の花を咲かせていた。
「おお……おおお! なんと見事な城か! 兄上の旧御所をはるかに凌ぐ、天下に並ぶもののない城郭ぞ!」
完成したばかりの御所を視察した将軍・足利義昭様は、満面の笑みで歓喜の声を上げていた。
「信長よ、よくぞこれほどの城を短期間で築き上げた! 余は満足じゃ! まことに大儀であった! よしこのまま、副将軍の宣下を禁裏に働きかけるぞ!」
「もったいなきお言葉。とは言え、副将軍への任官は暫しお待ちを。まだやることがございます。」
虎の皮を脱ぎ、見事な装束に着替えた信長は、平然と頭を下げ、スタスタと立ち去っていった。
その姿を呆然としながら見送る義昭であった。
七十日という無茶苦茶な工期を現場に命じ、自らも泥に塗れた張本人だというのに、「当然のこと」とでも言わんばかりの涼しい顔だ。
その後ろで、大工奉行を務め上げた木下藤吉郎が「お館様、やり遂げましたぞぁぁ!」と感涙に咽び泣いていた。
(終わった……。俺の、終わらないかと思われた地獄の七十日間が終わったんだ……)
体中が泥と埃で真っ黒になり、極度の睡眠不足で両目は落ち窪んでいる。持ち主のいない石仏を布で包み、何トンもある巨石『藤戸石』を引きずって京の町をパレードしたあの忌まわしい記憶が、走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。
「……おう茂助。てめえらもよく働いたな」
将軍様への挨拶が終わり、陣幕に戻ってきた藤吉郎が、泥だらけの顔でニカッと笑った。
「お前が死ぬ気で石材の段取りを回してくれたおかげで、俺の首も繋がったぜ。お館様からもお褒めの言葉をいただいた」
「ははぁ……。それは、何よりで……」
俺は掠れた声で返事をした。褒め言葉をもらったところで、荒れ果てた俺の胃壁が元に戻るわけではない。
「よし! お館様は、いったん岐阜へお戻りになられる! 今回は俺たちも本国へ引き上げるぞ! 荷をまとめろ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の目から熱いものがボロボロとこぼれ落ちた。
「帰れる……。ようやく、俺たちの家に帰れるんだ……!」
「兄上! やりましたな! これでようやく、岐阜でゆっくり眠れますぞ!」
氏光も、俺と抱き合って男泣きしている。勘兵衛は経理の帳簿を抱きしめたまま気絶するように眠りこけ、戦闘狂の三太夫ですら「もう石を見るのはウンザリだぜ……」と力なく笑っていた。
俺たちは這うようにして陣幕を畳み、夢にまで見た帰還の準備を始めたのだった。
第三部 京上洛編完結となります。
明日は幕間を1話投稿し、明後日から第四部南伊勢平定編を開始します。
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