第73話 戦国最大の突貫工事と、狂気の庭造り
京の底冷えがピークに達するこの時期、かつての二条・武衛陣跡地を中心とした四町(約四百メートル)四方の広大な敷地は、完全に地獄の釜の底だった。
「そぉれ! 引けェェッ!!」
「木材が足りんぞ! 次の組、早く持ってこい!」
「おい、そこ! 堀の深さがまだ足りねえぞ! 死ぬ気で掘れ!」
凍てつく寒空の下、京の都では、畿内や近国から動員された二万人余りの人足たちが、蟻の群れのようにうごめいている。
怒号、悲鳴、木を伐り倒す音、土を掘り返す音。
たった七十日という狂気の工期で、二重の堀と石垣、そして巨大な天守を備えた城郭を築き上げる。そんな途方もない大工事に、俺はどっぷりと巻き込まれていた。
「……茂助様。藤吉郎様が担当する東の石垣ですが、本日の割り当てまで石材がまだまたま足りませぬ」
現場の隅に設営された仮の陣幕で、勘兵衛が、血走った目で帳簿に筆を走らせながら無慈悲な報告をしてきた。
「石が足りない? 無理だろ、もう洛外の石切り場からの運搬は完全に手が回ってないぞ」
俺は山積みにされた帳面の束から顔を上げ、泥と疲労でドス黒くなった自分の顔を引きつらせた。
俺の役目は、総奉行である信長様の下で大工奉行を務める木下藤吉郎の、さらに下請けである資材の調達と人足の段取りだ。
朝から晩まで数千人の荒くれ者たちの喧嘩を仲裁し、遅れる資材のやり繰りに頭を抱える。胃薬のないこの時代で、俺の胃壁はすでにボロボロだった。
「おい茂助! てめえ、何モタモタしてやがる!」
そこへ、全身泥まみれの藤吉郎が、鬼の形相で陣幕に飛び込んできた。
「石が足りねえってどういうことだ! 今日中に石垣の土台を終わらせねえと、お館様に俺の首が刎ねられちまうんだぞ! 俺の首が飛ぶ時は、お前の首も道連れだからな!」
「ひぃっ! す、すいません! でも、もう山から切り出している暇が……」
「山が駄目なら、廃寺からふんだくってこい!!」
藤吉郎は、血走った目で京の町並みを指差した。
「京の都には、長年の戦乱で焼け落ちた廃寺や、主のいなくなったボロ屋敷が腐るほどあるだろうが! そこに転がってる石を根こそぎ拾い集めてこい! 足りなきゃ、廃寺の石仏でも無縁仏の墓石でも何でもいい! 全部掘り起こして石垣に詰め込め!!」
「……えっ? 石仏? 墓石!?」
俺は自分の耳を疑った。
いくら持ち主のいない廃寺とはいえ、罰当たりすぎる。「神仏の祟り」を恐れるこの時代において、それはあまりに恐ろしい蛮行だ。
「そんなことしたら、絶対祟りが……」
「祟りに殺されるか、お館様に殺されるか! 選べ!!」
「ただちに行ってまいります!!」
俺は一秒で神仏を見捨てた。魔王の祟りの方が、よっぽど確定していて恐ろしいからだ。
***
数時間後。
俺たちは、洛中の外れにある荒れ果てた廃寺の境内にいた。カラスの鳴き声と、部下たちの無遠慮な作業音が響き渡っている。
「ヒャッハー! 若、この廃寺の裏山、手頃な四角い墓石が山ほど転がってますぜ!」
戦闘狂の三太夫が、ツタの絡まった無縁仏の墓を蹴り倒し、荒縄をかけている。
「おお! あちらの首が落ちたお地蔵様も、石垣の土台にピッタリの大きさですぞ! すべて掘り起こして運びましょう!」
弟の氏光も、目を輝かせて神仏を畏れぬ墓荒らしの指示を出している。
(やめろ……なんで現代人の俺の方が困惑してんだよ。 いくら廃寺で誰も文句を言わないとはいえ、これじゃ完全に罰当たりの墓荒らしじゃないか!)
俺は胃を抱え込み、その場にしゃがみ込みたくなった。
「すんません、本当にすんません! 俺も上司に『石仏持ってこないと殺す』って脅されてるんで、許してください!」
内心で見えない何かに向かって土下座を繰り返しながら、俺はただ立ち尽くしていた。
「おい、お前ら! 乱暴に扱うな!」
俺は、せめてもの罪滅ぼしと部下たちに叫んだ。
「その石仏や墓石は罰が当たらないように、丁寧に厚手の布で包んでから運べ! 絶対に角を欠けさせるなよ! そのまま城の土台に使うんだからな!」
そんな血も涙もない罰当たり業務をこなし、どうにか石材の割り当てを達成して現場に戻った俺を待っていたのは、さらなる絶望だった。
「おい茂助! お館様からの追加の御触れだ!」
陣幕の前で、藤吉郎が巻物をバサリと広げた。
「庭だ! 城の中に、将軍様にふさわしい見事な『庭園』と池、小川、そして築山を造れとのお達しだ!」
「…………はぁ!?」
俺は持っていた筆を取り落とした。
「ちょっと待ってください! 工期七十日ですよ!? 防御のための堀や石垣だけでも、これだけ人がいても間に合うかどうかわかんないってのに! 廃寺の墓石まで掘り起こしてきてる状況で、なんで城の中に優雅な庭園なんか造る余裕があるんですか!」
「知るか! お館様自ら現場で指揮を執り、『ただの武骨な砦では幕府の威光が立たん。豪華に飾り付けよ』と仰せだ!」
藤吉郎は、巻物に書かれた恐ろしい注文の数々を読み上げ始めた。
「いいか。細川典厩家のお屋敷から、名石として名高い巨石『藤戸石』を運び出せ。慈照寺からは『九山八海』という石を運べ。あとは京中から見事な庭木を探し出して、二条城の庭に配置しろ!」
俺は酸欠を起こして倒れそうになった。
信長様は、過去に岐阜城でも、城郭だけでなく城下町全体をどう造るかという、異常なまでのこだわりを発揮してきたらしい。
だが、今回はそこに庭造りへの情熱まで大爆発させてしまったのだ。
「無茶苦茶だろ……! 細川家って藤孝様ですか? 今も人が住んでる立派な武家でしょ!? バカでかい巨石、二万人が入り乱れるこの過密な段取りのどこに運搬の隙間があるんですか! それに庭を造る土や木はどうするんですか!」
「気合でねじ込め! ああ、それと馬場には見事な桜の木を植えて『桜の馬場』という風流な名にするらしいぞ! 立派な桜も根っこごと掘り起こして持ってこい! お前が手配しろ!」
どんなに城が豪華でも、荒れ地にポツンと建っているだけでは景観が寂しい。だから庭も完璧にする。
それは上に立つ者としてのセンスとしては素晴らしい発想かもしれない。だが、それを七十日の工期で裏方の段取りとして丸投げされる現場頭の俺からすれば、ただの狂気でしかない。
***
数日後。
「うおおおっ!! 引けェェェッ!!」
「そォれ! そォれ!」
俺が手配した数百人の人足たちが、太い綱を肩に食い込ませ、掛け声とともに巨大な岩の塊を引きずっている。
細川典厩家から強引に召し上げた超一級の巨石『藤戸石』だ。ちなみに藤孝様とは違う家だった。
傷をつけてはいけないため、巨石は幾重にも高級な絹で包まれている。さらにお館様の「名石の運搬は華やかにせよ」という謎のこだわりのせいで、笛や太鼓の囃子が鳴り響き、町中をパレードのように練り歩きながら運ばれていた。
「なんで……なんで俺が……城造りの合間に、こんな何トンもある石のパレードの仕切りを……」
俺は現場頭としてその先頭を歩きながら、あまりの疲労と理不尽さに涙ぐんでいた。
極度の睡眠不足と胃痛で視界がぐらぐらと揺れ、目の下には真っ黒な隈ができている。足は泥にまみれ、体中がバキバキに悲鳴を上げていた。
「……おお、茂助殿」
そこへ、各方面への調整役に奔走している明智光秀殿が、馬の上から俺の姿を見下ろしてきた。
光秀殿は、絹に包まれた巨石のパレードと、その先頭で顔をクシャクシャにして泣きながら歩く俺の姿を交互に見つめ、静かに、深く頷いた。
「生きている町衆に迷惑をかけまいと、あえて誰もが忌み嫌う廃寺の墓荒らしを引き受け……さらには、野の石仏をも丁寧に布で包み、城の礎へと昇華させるお気遣い」
「違っ……ただ、段取りが過酷すぎて……」
「何も言わずとも分かっております」
俺の掠れた声を遮るように、光秀殿は静かに目を伏せた。
「お館様や将軍様に悪名が及ばぬよう、罰当たりの泥仕事を一身に背負うお覚悟。……安寧を捨て、泥に塗れて裏方を支え続ける貴方のその崇高な涙、この光秀、しかと胸に刻みましたぞ」
光秀殿は、一人で深く納得したように頷き、馬を返して去っていった。
(いや、悪名は信長様と猿野郎につけてくれ)
俺の切実な心の声が、誰にも届くことはない。
これから出来上がるであろう二条新御所の優雅な庭園や美しい景観。
その裏には、信長様の異常なこだわりと無茶振りに振り回され、罰当たりの墓荒らしと名石の運搬に奔走した俺の血の涙が、たっぷりと染み込むことになるのだ。




