第69話 開門の雪、硝煙に染まるキルゾーン
「押し返せェェェ!! 絶対に開けさせるなァァァ!!」
雪の舞う極寒の京都。
本圀寺の裏門で、俺は必死に分厚い木の扉に背中を押し付けていた。
俺の両脇には、弟の氏光、三太夫、但馬、勘兵衛、そして光秀から預かった二百の兵たちがひしめき合い、全員で扉を内側から押さえ込んでいる。
――ドゴォォォォン!!
「ぐあっ!?」
外から丸太で突かれるたび、扉を通して巨岩に衝突されたような衝撃が全身を貫く。
蝶番が悲鳴を上げ、分厚い木の板がミシミシと嫌な音を立ててひび割れていく。その隙間から、三好の兵たちの「殺せェ!」「中へ入れェ!」という血走った怒声と、獣のような息遣いが直接耳に叩き込まれてきた。
(クソッ! クソッ……!)
俺はガチガチと歯の根を鳴らした。
このまま扉が破られれば、俺たちは木の破片と一緒に吹き飛ばされ、雪崩れ込んできた敵兵に踏み潰されて終わる。
メリッ……!
俺の耳元で、ついに分厚い横木が裂ける音がした。
もう数度の一撃で、扉は確実に吹っ飛ぶ。
(このまま押し合ってたら死ぬ! 逃げる場所もない……なら、どうする!?)
極限の恐怖の中で、俺の脳髄が猛烈な勢いで生存ルートを検索し始めた。
視線をめぐらせると、扉の少し後ろ、壁際に固まってオロオロしている二十人ほどの集団が目に入った。彼らは火縄銃を抱えていた。明智殿が置いていった兵の中に混ざっていた鉄砲隊だ。
「おい! そこの鉄砲隊! 突っ立ってないで構えろ!!」
俺が怒鳴ると、鉄砲隊の頭らしき男が悲痛な声を上げた。
「堀尾殿、無理でございます! この雪では火縄が湿って火が消えてしまうか、火皿の火薬が濡れて発砲できませぬ! 鉄砲は雪の日には不発が多く使い物になりません!」
「ふざけるな! 使えないなら、使える場所に移動しろ!!」
俺は扉に背中を押し付けたまま、すぐ真横にある蔵の深い軒下と、門の脇にある番所の屋根を指差した。
「雪が当たるから撃てないんだろ! だったら、あの軒下と屋根の下に分かれて入れ! そこなら雪は防げる! 火縄の火を絶やすな!」
「……屋根の下ならば、いくらかは!」
鉄砲隊の二十人が、慌てて左右の屋根の下へと散っていく。
俺はさらに、扉に張り付いている足軽たちに向かって血を吐くような声で叫んだ。
「お前ら、よく聞け! 俺の合図で、一斉に扉から離れろ!」
「なっ!? 兄上、何を仰る! 離せば敵が雪崩れ込んできますぞ!」
氏光が驚愕に目を見開いた。
「いいから言う通りにしろ! 離れた直後、扉から『十歩』下がって、槍を構えろ! いいか、絶対に十歩だ! それ以上でもそれ以下でも駄目だ!!」
「茂助様……正気ですか……!」
勘兵衛が顔面を蒼白にしながら息を呑む。
だが、俺には確信があった。相手は今、全力で丸太を抱え、前のめりになって扉に体重をかけてきている。もしその状態で、突然押し返す抵抗が消え失せたらどうなるか。
「鉄砲隊! 火皿に薬を盛れ! 狙うのは開いた扉の真正面だけだ! それ以外は撃つな!!」
俺は息を深く吸い込んだ。
「三、二、一……今だ、退けェッ!!」
俺の絶叫と共に、兵たちが一斉に扉から背中を離し、後ろへ飛び退いた。
その直後だった。
――ドバァァァァンッ!!!
凄まじい破砕音と共に、ついに裏門の扉が内側へと派手に弾け飛んだ。
「うおおおおッ!!」
外から丸太を抱えて全力で突進してきた数十人の三好の先鋒たちは、押し返す抵抗が突然ゼロになったことで、完全にバランスを崩した。
彼らは勢いを殺しきれず、「うわあっ!?」と悲鳴を上げながら、丸太ごと境内へと前のめりに盛大に転がり込んでくる。
雪崩れ込んできた敵兵たちは、突然目の前に現れたぽっかりと空いた空間と、その奥で半円状に構えられた無数の槍の穂先を見て、一瞬だけ呆然とした。
「鉄砲隊! 撃てェェェッ!!」
俺の号令が、雪空に響き渡った。
ズドォォォォォンッ!!!
左右の屋根の下から、二十丁の火縄銃が一斉に火を噴いた。
耳を劈く轟音と、強烈な硝煙の匂いが裏門の空間を支配する。雪の日には鉄砲は使えないと油断しきっていた三好の兵たちにとって、至近距離からの十字砲火は完全に想定外の死の雨だった。
「ギャアアアアッ!?」
「ぐはっ……!」
鉛玉の直撃を受けた敵の先鋒たちが、ボロ布のように吹き飛び、血飛沫を上げて雪の地面に叩きつけられる。
轟音と白煙に包まれ、敵の最前列は一瞬にして壊滅した。
「今だ! 槍隊、突けェェェッ!!」
火縄銃の白煙を切り裂くように、下がって陣形を組んでいた味方の足軽たちが、混乱して隙だらけになった敵兵たちに向かって、一斉に長槍を突き出した。
一切の容赦のない、一方的な殺戮だった。丸太を抱えて転び、銃撃の恐怖で足がすくんだ無防備な敵の先鋒たちは、起き上がる暇もなく四方八方から無数の槍に串刺しにされていく。
「ひるむな! 門は開いたぞ! 一気に押し通れェ!!」
だが、外にいる敵の指揮官は、門の内側で何が起きているか見えていない。門が開いたことと銃声だけを聞き、後続の兵たちに強引な突撃の号令をかけた。
「うおおおおッ!!」
外で待機していた数百人の敵兵が、開け放たれた裏門の入り口へと怒濤のように殺到してくる。
だが、彼らは門をくぐれなかった。
なぜなら、裏門という狭い入り口の真ん中には、先ほど転がり込んできた数十人の先鋒たちの『死体』と、彼らが抱えていた巨大な『丸太』が、そのまま血まみれの障害物となって道を塞いでいたからだ。
「な、なんだこれは!?」
「邪魔だ、どかせ! ……痛ェッ! 後ろから押すな!」
狭い門に全力で飛び込んできた敵兵たちは、足元の死体と丸太に躓き、次々と将棋倒しになっていく。
しかし、後ろからは状況を分かっていない後続の敵兵が「進めェ!」と押し寄せてくるため、最前列の連中は完全に身動きが取れず、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車状態になってしまった。
敵が五百人いようが、この狭い門を同時に通れるのはせいぜい五、六人。しかも足元には丸太と死体の壁。後ろは、ただ前の人間を押し潰すだけのつっかえ棒にしかならない。
俺が得意だったタワーディフェンスにおける絶対的優位、完全な『キルゾーン』の完成である。
「止めるな! 門の隙間から槍を突け! 鉄砲隊は交代で弾を込めろ! 準備ができた者から順次、敵の密集地帯にぶち込め!!」
俺の命令で、氏光や兵たちが、身動きの取れない敵の群れに向かって、狂ったように長槍の猛烈なピストン運動を開始した。
同時に、屋根の下にいる鉄砲隊がつるべ撃ちを開始する。狭い門に密集している敵に対しては、照準を合わせる必要すらない。ただ真っ直ぐ撃てば、必ず誰かに当たるのだ。
「うおおおっ! 死ねェェッ!」
氏光の鋭い突きが、丸太に足を取られてもがく敵兵の喉元を正確に貫く。
「ギャアアアッ!?」
「目が、目が見えねえ! 血で滑って……うわあああっ!」
敵からすればたまったものではない。前に進めず、左右にも避けられず、足元の死体につまずきながら、一方的に壁の向こうから槍で突かれ、至近距離から銃弾を浴びせられ続けるのだ。
最前列の敵が倒れても、後ろから押し出された次の敵が自動的にキルゾーンに補充されていく。
(刺せ……! いける……! いける!!)
俺自身も、半狂乱になりながら槍を握りしめ、隙間から無我夢中で突き出していた。
人を刺した感触なんて最悪だ。骨に当たる鈍い感触、肉を裂く生々しい手応え。手のひらにはべったりと他人の血がこびりつき、柄が滑る。だが、ここで手を抜けば俺が死ぬ。俺たちが死ぬ。
「ひるむな! 死体を踏み越えろ!」
敵の指揮官らしき男が後方から怒鳴り声を上げた。
「相手は少数だ! 弓隊、門の奥へ矢を射かけろ!!」
ヒュンッ、ヒュンヒュンッ!!
門の外から、無数の矢が放物線を描いて降り注いできた。
「危ないっ!!」
俺が叫んだ瞬間、ガキンッ!! と鈍い音がして、俺の顔面に突き刺さるはずだった矢が弾き落とされた。
見れば、但馬が巨大な木の手盾を掲げ、俺の前に仁王立ちになっていた。
「吉晴殿! 矢は私が防ぎます! ご采配を止めぬよう!!」
「た、但馬……! 助かった!」
俺は盾の陰に身を隠しながら、ひたすら門の隙間めがけて槍を突き続けた。
――グチャッ。
俺の突いた槍が、敵の肋骨の間に深く食い込み、抜けなくなった。
「クソッ、抜けない!?」
俺が焦って引っ張ろうとした瞬間、死に物狂いの敵兵が俺の槍の柄を掴み、力任せに引っ張ってきた。
「引きずり込めェ!!」
「うわあっ!?」
俺の体が、ズルッと雪の地面を滑って門の方へ引っ張られる。
相手は死の恐怖で狂った大人の男だ。火事場の馬鹿力で、俺ごと陣形の中に引きずり込もうとしている。
「兄上ッ!!」
氏光が叫んだ瞬間、横から三太夫が飛び出してきた。
「オラァッ!!」
三太夫の大太刀が閃き、俺の槍を掴んでいた敵兵の両腕が手首からスパンッと宙を舞った。
「ギヤアアアアッ!?」
「若! 武器に執着すんじゃねえ! 抜けねえと思ったらすぐに手放せ! 死ぬぞ!!」
三太夫の鋭い怒声に、俺はハッと我に返り、血まみれの槍から手を離した。
(そうだ……ここはゲームじゃない。死体が消えてなくなるわけじゃないんだ……!)
足元の雪は、とうの昔に大量の血で赤黒い泥濘に変わっていた。
血と脂で足が滑り、生温かい臓物の臭いが鼻を突く。門の入り口には、すでに大人の背丈ほどの死体の山が築き上げられつつあった。
敵の兵たちは、味方の死体を踏み台にして乗り越えようとするが、血で滑って転落し、そこをまた俺たちの槍に突かれる。
ただの殺戮の無限ループ。優雅な戦術も何もない、おぞましい工業的な肉挽き作業だった。
「ひぃっ……! な、なんだこの門は!?」
「駄目だ、死体で道が塞がってこれ以上は進めん! 退け、退けェッ!!」
ついに、敵の指揮官の悲痛な声と共に、裏門に殺到していた五百の兵たちが、蜘蛛の子を散らすように潮を引いて退却していった。
破られた裏門には、折り重なった数十の死体と、血の泥まみれになって呻く負傷者たちだけが残されていた。
「……お、終わった……のか?」
俺は血まみれの手で膝をつき、ズルズルと泥の中にへたり込んだ。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、心臓が早鐘のように打ち鳴らしている。極寒の雪空の下だというのに、胴着の下は汗でぐっしょりと濡れていた。胃の中の白味噌の雑煮がせり上がってきたが、吐く気力すらない。
「やりましたぞ兄上……。見事、敵の第一波を撃退いたしました……!」
氏光が顔に返り血を浴びたまま、肩で息をしながら槍を杖にして立っていた。先ほどまでの興奮は消え失せ、その顔には生々しい死闘の疲労が刻まれている。
「……茂助様。油断している暇はございません」
その時、勘兵衛が血と硝煙に染まった和紙と筆をを握りしめ、地獄の底から響くような冷たい声で言った。
「敵の損害は、多く見積もっても五十から七十。……対して、こちらは明智殿の兵に数名の負傷者が出ております」
「えっ……」
「先ほどの敵は、あくまで第一波に過ぎません。外にはまだまだ多くの敵が健在であり、また後詰めもおります。いつでも第二陣、第三陣を仕掛けてこられる状況です。しかも、我らの鉄砲隊の弾薬も無限ではありませぬ」
勘兵衛は、無慈悲な事実を淡々と突きつけてきた。
「お味方の援軍が到着するまで、幾日かかるか。……そして敵が昼夜問わず攻めてきた場合、我々はこの防衛戦をあと何回繰り返す必要があるのか。……私たちの体力が保つかわかりません。」
その言葉に、俺の心臓がヒュッと冷え上がった。
そうだ。これはゲームじゃない。休憩時間も、セーブポイントもない、現実の殺し合いだ。
俺たちはたった二百人で、極寒の雪の中、いつ来るとも分からない敵のウェーブに怯えながら、一睡もせずにこの裏門の死体の山を死守し続けなければならないのだ。
(桔梗……)
不意に、妻の顔が脳裏に浮かんだ。
結婚して数ヶ月しか暮らせておらず、理不尽な四股踏みを強要してくる厄介な妻だ。だが、その不器用で真っ直ぐで、そして美しい顔が、この血と臓物の臭いにまみれた地獄の中で、唯一の人間らしい温もりとして思い出された。
(帰りたい……生きて、あの家に……!)
平和な寝正月を夢見ていた元ニートの切実な願いは、凍てつく京の雪空に空しく吸い込まれていった。
血と泥と硝煙にまみれた最悪のタワーディフェンスは、まだ始まったばかりだった。




