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第66話 貧乏貴族のリアルと、凍りつく視線

 十一月も中旬を過ぎると、京の底冷えは容赦なく足先から体温を奪っていく。

 俺は、上司である木下藤吉郎の背中を追いかけながら、ズッシリと重い進物用の木箱を肩に担いで京の町を歩いていた。


「おい茂助! 遅れるな! 今日は朝廷の偉いお公家様に面会するんだ。粗相したらお前の首だけじゃ済まねえぞ!」

「は、はいぃっ! すいません、分かってますってば!」

 前を歩く藤吉郎が急かすが、今日の俺の足取りは驚くほど軽かった。

 無理もない。俺の頭の中は、先日将軍様から持ちかけられた、公家への養子入りという身分ロンダリングの輝かしい未来でいっぱいだったのだ。


(はいはい、せいぜい今のうちに怒鳴っててくださいよ、この猿野郎め。こっちはもうすぐ戦場とは無縁の『お公家様』への転職が決まってんだからな)

 重い荷物も、冷たい隙間風も、退職前のウイニングランだと思えば全く苦にならない。俺はニヤニヤと笑いながら、公家の屋敷が立ち並ぶエリアへと足を踏み入れた。

 やがて、藤吉郎が大きなお屋敷の門前で足を止めた。


「ここだ。『山科やましな』様のお屋敷だ。いいか、絶対に失礼のないようにしろよ」

(へえ、ここが公家の家か。今日会いに行く山科って家と、俺が養子に入る高辻家、どっちが格上なのかなー。まあ、将軍様直々の紹介だし、俺の転職先の方が凄くてデカい屋敷に決まってるけど!) 


 俺は勝ち組の余裕たっぷりに鼻をほじりながら、ついに夢にまで見た貴族の豪邸を見上げた。きっと、池があって、立派な庭があって、お香の良い匂いがするんだろうな――。


 ……ん?

 俺は目を瞬かせた。

 目の前にあるのは、立派な門……の、塗装が完全に剥げ落ち、屋根の瓦がところどころ崩れ落ちた、今にも倒れそうなボロ屋だった。


 庭には雑草がボーボーに生い茂り、外壁には焼け焦げたような生々しい跡が残っている。どう好意的に見ても長年放置されたヤバい空き家にしか見えない。 


(……え? ここ、公家の屋敷なんだよな? 廃墟じゃなくて?)

 俺が戸惑っていると、中から案内役の男が出てきて、俺たちを屋敷の奥へと通した。

 廊下を歩くたびに床板がミシミシと嫌な音を立てる。通された客間は一応畳が敷かれていたが、ふすまは色褪せ、すきま風がビュービューと吹き込んでいて外より寒いくらいだった。


 やがて、上座に一人の老人が現れた。山科言継やましな ときつぐ様という、朝廷でもかなり偉い公家らしい。

 いや、マジで?


 俺は「麿まろは〜」とか言って蹴鞠けまりでもしていそうなおっとりした貴族を想像していたのだが、現れた山科様は全く違った。

 細身だが眼光は鋭く、その顔には過酷なサバイバル生活を生き抜いてきたような、生々しい凄みがあった。着ている装束も、よく見ればあちこち擦り切れている。 


「織田家家臣、木下藤吉郎にございます。此度は我が主より、朝廷への献金と、洛中の治安回復に関するご相談に上がりました」

 藤吉郎が平伏し、俺も慌てて頭を下げる。

「大儀である。して、織田殿は御所の修繕にいかほどの銭を献上するつもりか」

 そこから始まったのは、俺が想像していた雅な和歌のやり取りなどでは全くなかった。


「信長様からは、ひとまず四千貫を御所の修繕費用として献上いたしたく――」

「足りぬな。先の戦火で禁裏の塀は崩れ、みかどの御生活すら困窮しておるのだ。天下の静謐せいひつを謳う織田殿であれば、せめて八千貫は用意すべきであろう」

「ははっ。しかし我らも大軍の駐留費がかさんでおりまして……。その代わり、山科様の横領された所領は我が軍が即刻取り返し、上がりの確保をお約束いたします。どうにか五千貫で手を打っていただけませぬか」

「足下を見るな。六千貫だ。きっちり用意すれば、京の商人衆や他の公卿たちへの口利きをしてやろう」

 公家と武将による、血で血を洗うような泥臭い交渉だった。


 山科様は一歩も引かず、藤吉郎相手にゴリゴリと条件を詰めていく。戦国という世で、力がない公家として産まれたギリギリの生存競争を戦う男の目だった。

(うわぁ……どん底じゃん。マジで金に困ってんのかよ)

 俺は、凍えるほど冷たい床に手をつきながら、戦国公家の悲惨な現実に引いていた。


 ……が、話がまとまった瞬間、目の前の老人の空気がガラリと変わった。

「よし、六千貫で相違ないな! その他の条件も不満はない! 交渉はこれにて手打ちじゃ!」

 山科様はパンッと手を叩くと、さっきまでの鋭い眼光をパッと消し去り、近所の気のいいおじいちゃんのような満面の笑みを浮かべた。


「いやあ、肩が凝る話は終わりじゃ終わり! さあ藤吉郎、酒じゃ! それと盤を持て! 一局付き合え!」

 パンパンと手を叩くと、家臣が酒器と使い込まれた碁盤を運んできた。

 藤吉郎が「ははっ、ではお言葉に甘えて」と畏まると、山科様は自らツマミをかじりながら、並々と注がれた安酒をグイッと飲み干した。


「ぷはーっ! いやぁ、織田の武将の中でも、お前は話が早くてええのう! さあ打て! 今日はワシが勝つぞ!」

(……えっ? 何このおっさん!?)

 部屋の隅で控えていた俺は、完全にポカンとしていた。

 さっきまでの凄みはどこへやら、胡座あぐらをかいて碁石を打ち鳴らしながら、ガハハと酒を飲んで笑っている。


(俺の想像してた貴族と全然違えんだけど!? おじゃる〇るみたいな雅でまったりした空気はどこ行ったんだよ! ただの酒とギャンブル好きな逞しいおっさんじゃねえか!)

 その時、俺のポンコツ脳の奥底で、将軍の部屋で細川藤孝が口にしていた言葉が鮮明にフラッシュバックした。 


『高辻長雅殿には跡継ぎがおりませぬ。長引く戦乱で困窮しておりますゆえ、上様からの手厚い保護と引き換えに養子に――』

(…………待てよ?)

 俺は、血の気がスッと引くのを感じた。


(朝廷でもかなり偉いらしいこの山科様でさえ、ボロ屋に住んで銭の交渉をしてるってことは……。出自が怪しい俺を養子にする高辻家って、もっとヤバい状況なんじゃ……? )

 公家になったからといって、優雅なホワイトライフなんて待っていない。むしろ、自力で身を守る武力すらない、丸腰の絶対的弱者になるだけじゃないか。

(や、やばい……。俺、とんでもない貧乏くじを引こうとしてたんじゃ……!?) 


 帰りの道中。肩に担ぐ進物の荷物は空になっていたが、俺の足取りは行きよりもはるかに重かった。転職先が大手かと思いきや、過去の栄光だけで実は倒産寸前であるかもしれないという強烈な不安で、胃がキリキリと痛み始めていた。


 織田軍が本陣を置く寺に帰り着くと、一人でトボトボと片付けを終えた俺は、重い足取りで藤吉郎の執務室へと向かった。

 ちょうどその時、部屋から明智光秀が出てくるのとすれ違った。

 現在の光秀は、将軍家の幕臣でありながら、信長様の家臣でもあるという両属の立場にある。織田家と将軍家の間を取り持つお役目らしい。

 

「これは茂助殿。……上様の御諚ごじょう、くれぐれも慎重にお考え下さい」

 光秀はすれ違いざまに、少しだけ案じるような口調で囁いた。

(ごじょう? 六眼りくがん持ちか? あぁ、最終話までアニメ見れなかったのは後悔だな)

 俺は能天気に首を傾げながら部屋に入ると、藤吉郎が机に向かってふみの整理をしていた。


「戻りました。空箱の片付け、終わりました――」

「おう、ご苦労だったな」

 藤吉郎は顔を上げないまま、淡々と答えた。

 いつもなら「おせえぞ!」と怒鳴ってくるか、「よし、次はこれだ!」と次の仕事を押し付けてくるはずなのに、妙に静かだった。


「あの、どうかしましたか?」

 俺が恐る恐る尋ねると、文を整理していた藤吉郎の手がピタリと止まった。

 ゆっくりと顔を上げた藤吉郎の目は、一切の感情が抜け落ちた、真っ黒で冷たいガラス玉のようだった。

「……おい茂助。お前、何か俺に隠してることはねえか?」

 ――ドクン、と心臓が跳ねた。

 俺の全身の毛穴から、一気に嫌な汗が噴き出す。


(えっ!? なになになに!? もしかして、昨日の見回りを途中でサボって茶屋で団子食ってたのがバレた!? それとも、備品を勝手に拝借して寝床のマットレスにした件!?)

 俺のポンコツ脳は、身に覚えのあるサボりの数々を猛スピードで検索していた。


「い、いえ! 滅相もございません!!」

 俺は咄嗟に、この戦国時代を生き抜くために染み付いた土下座をかます。

「……そうか。ならいい」

 藤吉郎は、じっと俺の目を覗き込んだ後、スッと視線を文に戻した。


「いいか、茂助。俺達は織田の飯を食ってる、ただの足軽上がりだ。特に、お前は素性もわからぬにも関わらず名家の嫡男としてもらった恩がある。……分不相応な夢を見て、勝手な真似をしたら、お前の首は胴体と離れることになんだぞ。分かってんな?」

「も、もちろんです! 一生泥水すすって働きます!!」

 俺は食い気味に叫んで深く平伏した。

(ひっ……! やっぱり団子食ってサボってたのがバレて殺されるんだ!)


「……その言葉、忘れるなよ」

 頭上から降ってきた地を這うような声に、俺は思わず喉の奥で悲鳴を漏らした。

「は、はいぃっ!」

 俺は深く頭を下げたまま、這うようにして執務室を後退した。


(な、なんだよ今日の藤吉郎! 団子食ってサボったくらいでメチャクチャ怖ええじゃん!)

 冷や汗でぐっしょりと濡れた背中を震わせながら、俺は一目散にその場から逃げ出した。

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― 新着の感想 ―
まあ秀吉は勘づくわな 当時の公家の仕事は地方大名へ金をせびる手紙を書くか、直接赴いて催促するか、それ以外は釣りをしたり野草を取ったりして食事をわずかでも豪華にすること
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