第63話 路地裏のイベントと、恩返しの抜け道
翌日。
俺のささやかなサボり計画は、実の弟によって無惨にも打ち砕かれた。
「兄上! 昨日の洛外の視察、ご苦労様でした! さあ、今日は共に洛中の見回りに参りましょうぞ!」
朝日が昇るか昇らないかの時刻に、氏光が陣幕に突入してきて俺の布団をひっぺがした。
木下組の管轄エリアの治安維持。氏光と従兄弟の但馬は「織田の武を示す!」と無駄に息巻いており、頭である俺を置いていく気はさらさらないらしい。三太夫も「今日は俺も同行しやすぜ」と朝から刀を撫でていて物騒極まりない。
(最悪だ……。今日こそは一日中、観光に行こうと思ってたのに)
かくして俺は、武装した身内たちと共に京都の町を練り歩く羽目になった。
見回りといっても、大通りをぞろぞろ歩くだけである。町衆は俺たちを見ると露骨に顔をしかめ、そそくさと家に入ってしまう。
歩き始めて小一時間。
戦国時代に来て早八年、行軍や重い具足には流石に慣れたが、それでも目的もなくただ町を練り歩き、町衆から白い目で見られ続けるだけの業務は、俺の精神をゴリゴリと削っていった。単純に、超絶面倒くさいのだ。
「……おい氏光。俺、ちょっと腹の具合が悪くてな。厠探してくるわ。お前らは先に行っててくれ」
「なんと! でしたら護衛をつけましょう!」
「いや、いい! すぐ戻るから!」
俺は氏光たちの制止を振り切り、大通りから薄暗い路地裏へと逃げ込んだ。
便所なんて嘘だ。適当な廃屋の陰にでも隠れて、一時間くらい座って時間を潰すつもりだった。
入り組んだ路地を適当に進み、人気のない半分焼け落ちた廃寺の裏手に回った。
「よっこいしょ……あー、面倒くさ。なんで休みの日まで町内会の見回りみたいなことさせられなきゃなんねえんだよ」
俺が崩れ落ちた土塀に背を預けて座り込もうとした、その時だった。
「――それで、火薬の運び込みは終わったか」
廃寺の中から、低く押し殺したような男の声が聞こえた。
「はっ。今夜、洛中に火を放ち、その混乱に乗じて木下や丹羽の陣を強襲いたします」
「うむ。我ら三好党を都から追い出した恨み、織田の田舎侍どもに思い知らせてやれ」
(……は?)
俺は完全に硬直した。
お寺の縁側に上り、隙間からそっと中を覗き込むと、埃っぽい堂内に、柄の悪い山伏や虚無僧の格好をした屈強な男たちが十数人、車座になって密談していた。傍らには、何やら物騒な木箱や長柄の武器が積まれている。
どう考えても、ガチのテロリストの潜伏先だった。
(やばいやばいやばいやばい! 聞いてない! サボろうとして路地裏に入ったらアジト見つけるとか、MMORPGのイベントじゃないんだから!)
俺は呼吸を止め、足音を殺して後ずさろうとした。
カタッ。
俺の踵が、落ちていた瓦を蹴っ飛ばした。
堂内の会話がピタリと止まった。
「……誰だッ!」
瞬時に、三人の山伏が飛び出してきて、逃げようとした俺の行く手を塞いだ。手には抜き身の刀が握られている。
「ちっ、此奴、織田名陣で見たことあるぞ……。見回りの侍が迷い込んだらしいな」
堂内からぞろぞろと男たちが現れ、あっという間に俺は包囲されてしまった。彼らの目は完全に殺し屋のそれだった。
「あ、いや、えっと……腹痛くて厠探してて……道間違えました。お構いなく……」
俺は冷や汗を流しながら、両手を上げて後ずさる。
「ここで死んでもらおう」
相手は十数人。俺一人。狂犬の三太夫はさっきの大通りに置いてきてしまった。完全に詰んだ。
「死ねッ!」
山伏の一人が、容赦なく刀を振りかぶって飛びかかってきた。俺は武器を抜く余裕すらなく、思わず身をすくめた。
「――こっちだ!」
足元の床板がバコンッと跳ね上がり、俺の足首が強引に引っ張られた。
「うわっ!?」
俺の巨体がバランスを崩し、廃寺の縁の下の暗がりへと転げ落ちる。直後、俺の頭上を刀の刃が空を切る音がした。
「なっ!? 消えたぞ!」
「床下だ! 追え!」
上から怒声が降ってくる中、誰かが俺の腕を強く引き、暗闇の奥へと引っ張っていった。
「急いで、堀尾様! こっちです!」
聞き覚えのある少年の声だった。
暗渠のような狭くドブ臭い抜け道を、俺は這いつくばるようにして必死についていく。上では男たちが床板を叩き割りながら追ってくる音が響く。
「糞桶を倒せ! 奴らの足止めだ!」
少年の仲間の声がして、背後でガシャンという音と共に強烈な悪臭が漂い、追手たちの「うおっ!」「臭えッ!」という悲鳴とむせ返る音が聞こえた。
迷路のような暗く狭い路地と路地の隙間を、どれくらい這いずり回っただろうか。
やがて、パッと明るい光が差し込み、俺は鴨川の河原の葦の茂みの中へと転がり出た。
「はぁっ、はぁっ……!」
俺は仰向けに倒れ込み、肩で息をした。心臓が早鐘のように打ち鳴っている。
少し落ち着いてから身を起こすと、目の前に泥だらけの少年が立っていた。昨日の河原で、足軽に蹴られていた『捨吉』だった。彼の後ろには、数人の河原者の男たちが警戒するように周囲を見張っている。
「お前……昨日の……」
「ご無事で何よりです、堀尾様。俺たちは都の床下や溝さらいも仕事でして。あの廃寺に三好の透破が入り込んでるのを知ってたので、堀尾様が一人で路地に入っていくのを見て、危ねえと思って慌てて後を追ったんです」
捨吉が、息を切らしながらもホッとしたように笑った。
「いや、マジで助かった……。あれ、お前らがいなかったら完全に死んでたわ……」
俺は地面に座り込んだまま、心底からの安堵の息を吐いた。
「ですが、俺たちのような者が、お武家様のお体に触れてしまい、申し訳ありませ……」
捨吉がハッとして、慌てて頭を下げようとした。
「だから、そういうのはいいって」
俺は立ち上がり、パンパンと具足についた泥を払った。
「泥水啜って逃げたんだ。俺も今、お前らと同じくらい泥だらけだし臭い。洗えば落ちるだろ」
俺の言葉に、捨吉たちは目を丸くした。
「……泥なら洗えば落ちる。昨日、そう言ってくだすったお武家様は、堀尾様が初めてでした」
捨吉が、顔を上げて俺を真っ直ぐに見つめた。
「俺たちは、都の誰もが嫌がる仕事をして生きてます。でも、助けてもらった恩は絶対に忘れません。堀尾様が都で困ったことがあれば、路地裏のことは何でも俺たちに聞いてくだせえ」
俺はただ、面倒ごとを避けたかっただけの事なかれ主義だったのだが、結果的に彼らの恩を買い、そして俺自身の命を救われることになったのだ。
「……おう。サンキュー。助かったよ」
俺は気恥ずかしさを誤魔化すように頭を掻いた。
「兄上ーーーっ!! どこですかーー!!」
遠くの大通りから、氏光の馬鹿でかい声が聞こえてきた。どうやら俺が便所から戻らないので探し回っているらしい。
「おっと、身内がうるさいんで戻るわ。テロリストの件は、俺から上に報告しとく」
「はい! お気をつけて!」
捨吉たちに見送られ、俺は河原から大通りへと這い上がった。
「おおお、兄上! こんな所に!」
「探しましたぞ、吉晴殿。便所にしては随分と泥だらけですが……」
駆け寄ってきた氏光と但馬が、俺の姿を見て怪訝な顔をする。三太夫も鼻をクンクンと嗅いでいる。
「いや、ちょっと腹痛くて転んだだけだ。気にするな」
俺は適当に誤魔化しながら、大きく息を吐いた。
ただサボりたかっただけなのに、死にかけたり、テロリストのアジトを発見したりと、本当に戦国時代はロクなことがない。
ただ、まぁ……悪いことばっかりじゃないな。
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