第62話 鴨川の八ツ橋と、穢れ
天下人たる将軍・足利義昭を擁し、京の都を事実上制圧した織田軍。その中で、俺ら洛中の環境・治安維持という最も面倒で泥臭い実務を丸投げされていた。
「――というわけで、パトロールと怪しい連中の尋問は、氏光と但馬! お前らに任せる! 俺はちょっと、別件で極秘の視察に行ってくるから、適当に見回ってこい!」
「ぱとろーる? まぁ、我らは堀尾の武を都に示すため、悪党どもを片っ端から成敗してまいります!」
「フッ、承知した。吉晴殿の御期待に、この但馬が必ずや応えてみせよう。我らが歩けば、都の草木すら堀尾の威に平伏すであろう」
無駄にやる気満々で刀の柄を叩く実弟と従兄弟に、すべての実務をなすりつけることに成功した。
彼らは俺のサボりを手柄を譲る深い度量だと勝手に脳内変換してくれているので、いつも非常に扱いやすい。
俺はその隙に、陣幕の裏から脱兎のごとく逃げ出した。
念願の京都である。この時代の首都は東京ではなく、この花の都京都である。
前世の修学旅行で行ったあの雅な空気を、過酷な戦国サバイバルの息抜きとしてどうしても味わいたかった。
清水寺とかは織田軍が陣を強いているらしいし、とりあえずパスだ。まずはのんびりと、鴨川の河原を散歩しながら『八ツ橋』でも齧って、京都気分を満喫したい。
俺は護衛として、三太夫だけを連れ、お忍びの京都観光へと繰り出した。
「へへっ、若ぁ。こんな朝っぱらから、俺たちだけでどこへ行くんでさぁ? 三好の残党でも狩りに行きやすか?」
俺の後ろを歩く三太夫が、ギラついた目で首の骨をボキボキと鳴らした。相変わらず血の気の多い男だ。油断するとすぐそこら辺の浪人に斬りかかろうとするので、リードの短い猛犬を散歩させている気分になる。
「狩らねえよ。観光だよ、観光。まずは鴨川だ。あそこの河原を散歩しながら、茶屋で『八ツ橋』を探すぞ。やっぱり京都に来たら、あのニッキの効いた甘い菓子を食わないとな!」
「はて? やつはし、ですかい? そりゃあ、名のある業物が打った大層な武具でさぁか? 斬れ味が良いなら、俺も一本……」
「だから菓子だって言ってんだろ。甘いやつ」
物騒な会話を交わしつつ、俺は鴨川近くの茶屋の暖簾をくぐった。
「すいません、親父さん。八ツ橋ありますか?」
「はて……? 『やつはし』とは、どこの橋でございますかな? 五条の橋なら、もう少し南に下ったところですが」
白髪の店主が、きょとんとして首を傾げた。
「いや、橋じゃなくて。ニッキの香りがする、三角形の甘いやつ。京都名物の、こう、生地がモチモチした……」
「……? さぁて、聞いたこともねえ菓子ですな。うちには普通の団子か、焼き餅しかありやせんよ。田舎の侍様には、都の言葉が難しかったですかな?」
俺は絶句した。
諦めきれずに、大通り沿いの茶屋を三軒ほど回ってみたが、どこも同じ反応だった。それどころか「八つの橋を渡る呪いか何かか?」と気味悪がられる始末だ。
「……マジかよ。京都なのに八ツ橋売ってないのかよ……」
俺の修学旅行の楽しみが一つ、音を立てて崩れ去った。よくよく考えれば、現代の定番土産が戦国時代に存在している保証などどこにもない。
「若、そんな得体の知れねえモン探すより、団子でも食いやしょうぜ。腹が減っては戦はできねえって言うし」
「戦はしねえっつってんだろ……はあ、仕方ない、とりあえず川辺でも歩くか」
肩を落としながら、俺たちは鴨川の河原へと足を踏み入れた。
だが、そこは俺の記憶にある、等間隔にカップルが座るロマンチックな鴨川ではなかった。
川沿いには粗末な掘っ立て小屋がひしめき合い、獣の皮を干す強烈な臭いと、得体の知れない腐臭が入り混じって漂っている。
すれ違う人々は皆ボロボロの衣服を纏い、顔や手足は泥にまみれていた。彼らは俺たちのような武士を見ると、サッと道を開けて、地面に這いつくばるようにして頭を下げた。
「なんだここ。すげえ臭いし、スラム街みたいな……」
俺は思わず鼻をつまんだ。修学旅行の風情など欠片もない。
「若、ここは河原者どもの巣窟ですぜ。戦で出た死体の片付けやら、馬や牛の死骸から皮を剥いだりする穢れ仕事をやってる、薄汚ねえ連中の掃き溜めでさぁ。……こんな奴ら、斬っても一銭にもならねえし、刀が穢れるだけだ。さっさと上の通りへ戻りやしょうや」
三太夫が、心底つまらなそうに鼻を鳴らし、道端で平伏している人々を虫ケラでも見るような目で見下ろした。
「ええい、汚らわしい! 俺の具足に穢れが移ったらどうしてくれる!」
ふと、前方の河原で、怒鳴り声と鈍い打撃音が響いた。
見れば、織田軍の木瓜紋をつけた数人の足軽たちが、十代半ばほどのボロボロの衣服を着た少年を、寄ってたかって足蹴にしていた。少年が背負っていたらしき薪や荷物が、無残に散乱している。
「お、お許しくだされ……! ただ、荷を運んでいて足がもつれただけで……!」
「口答えするな! 貴様らのような『人非人』が、俺たち武士と同じ道を歩くなど言語道断だ! 穢れがうつるわ!」
足軽の一人が、少年の顔面を思い切り蹴り飛ばす。
少年は鈍い音を立てて転がり、鼻血を流して泥だらけの地面にうずくまった。周囲の小屋からは、少年の家族や仲間らしき人々が悲痛な顔で見つめているが、絶対的な身分差の恐怖ゆえか、誰も助けに入れない。
(うわぁ……めんどくせえ……)
俺は露骨に顔をしかめた。俺は正義のヒーローではないので、他人の喧嘩に割って入って説教して回る趣味はない。
「おっ? どうしやす、若。あんな調子乗ってる雑兵ども、俺が後ろから一息にやっちまいましょうか? 首を刎ねて川に放り込めば、誰も気付きやせんぜ」
三太夫が嬉々として刀の鯉口をカチャリと鳴らす。
「やめろ馬鹿! 味方斬ってどうすんだ! 軍律違反で切腹させられるわ!」
俺は慌てて三太夫の腕を掴んで制止した。このまま三太夫が暴走して味方殺しなんて起こしたら、それこそ俺のクビが飛ぶ。それに、目の前で子供が血まみれにされるのを見るのも、せっかくの観光の気分が悪くなる。
「あー……おい、ちょっと。あなたたち、その辺にしといた方が」
俺が気の抜けた声で恐る恐る声をかけると、足軽たちが振り返り、怪訝な顔をした。
「あ? なんだアンタ。我らの邪魔をする気か?」
「いや、邪魔っていうか……あの、俺、木下藤吉郎配下の堀尾茂助って言うんだけど」
俺が名乗ると、足軽たちは顔を見合わせ、ハッとして数歩後ずさった。
「ほ、堀尾……?」
「……この巨体、まさか、『鬼の茂助』!?」
(未だに鬼とか言ってるやついるのかよ……)
内心でツッコミを入れつつ、とりあえず話は通じたらしいので良しとする。足軽たちは少しだけ態度を変え、槍を下ろしたが、それでも不満そうだった。
「……堀尾様、なぜお止めになるのです。こいつらは穢れた河原者ですぞ。我らに穢れが移っては……」
「いや、穢れとかそういう呪いみたいなのはよく分かんないんだけどさ。そんなにボコボコにして死なれでもしたら、死体の片付けとか、奉行所への報告とか、始末書書くのがすげえ面倒くさいだろ? 俺、いま休暇とって観光中だしさ。血とか見たくないんだわ」
俺は懐から小銭を数枚取り出し、足軽のリーダー格の手にポンと押し付けた。
「ほら、これあげるから。どっかで安い酒でも飲んで機嫌直してくれよ。な?」
事なかれ主義の極み、小銭で解決である。
足軽たちは、渡された小銭を見てポカンとしていた。
「は、はあ……。鬼の茂助様がそう仰るなら……」
「穢れを恐れぬとは、なんとも底の知れぬ、気味の悪い御仁だ……」
足軽たちは薄気味悪いものを見るような目で俺を一瞥すると、舌打ちをしながらそそくさとその場を去っていった。
静寂が戻った河原で、少年はまだ地面にうずくまったまま、呆然と俺を見上げていた。
「ほらよ。鼻血出てるぞ。拭け」
俺は懐から手ぬぐいを取り出し、少年にポンと投げ渡した。
「あ……お、恐れ多い……! 俺のような穢れた者に、武士様が物を恵むなど……!」
少年がビクッと身を縮め、手ぬぐいに触れようとしない。
「だから、穢れってなんだよ。泥なら水で洗えば落ちるだろ」
俺は心底どうでもよさそうに頭を掻いた。血とか泥とか、そういう物理的な汚れの話をしているのに、この時代の人たちはすぐオカルトめいた話にしたがるから困る。
「俺は堀尾茂助。お前、名前は?」
「……捨……吉……」
少年が、震える声で答えた。
「そうか。捨吉か。まあ、気をつけて帰れよ。……行くぞ、三太夫」
「へっ。全ったく、銭の無駄遣いですぜ、若。あんな連中、放っておけばよかったのに」
「うるせえな。目の前で死体の処理とかさせられる方が嫌なんだよ」
俺はこれ以上変な空気になる前に、さっさとその場を歩き出した。
三太夫が背後でブツブツ文句を言っているが、適当に聞き流す。
ただの観光のつもりが、八ツ橋は食えないし、余計な小銭を使ってしまうしで散々だった。俺はため息をつきながら、臭いのきつい鴨川の河原を後にした。明日も氏光たちに仕事を押し付けて、今度こそ安全な場所を観光してやる。




