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第61話 花の都と光秀、そして最悪の辞令


 足利義昭を無事に将軍の座につけ、織田信長は事実上の天下人として京の都に君臨した。

 九月末に東寺とうじに置かれていた本陣はすでに解かれ、十月に入ると、軍の中枢御座所となる洛中の清水寺へと移されていた。 


 清水寺の門前には、連日連夜、見たこともないような高級な絹の着物を纏った公家たちや、豪奢な駕籠かごに乗った堺や京の豪商たちが列をなしている。彼らは次なる権力者である信長様にすり寄るため、山のような貢物を持ち込んでいた。


 陣のあちこちからは、勝利の美酒に酔いしれる武将たちの高笑いが響き渡っている。まさに歴史の転換点、華やかな凱旋の絶頂である。

 だが、俺の現実は、そんな煌びやかな歴史の表舞台とは無縁の水場にあった。


「……取れない。何度洗っても、微妙にウンコの臭いがする気がする……」

 本圀寺の裏手とにある冷たい井戸の脇で、俺は布を両手に握りしめ、涙目で自分の具足ぐそくをこすり続けていた。


 昨日、洛外で荷車ごと肥溜めにダイブしたトラウマは、俺の嗅覚に深刻なバグを引き起こしている。鼻の奥に、常にツンとした臭いがこびりついて離れないのだ。

 少し離れた風上に、家臣の三太夫と勘兵衛が立っている。彼らは手ぬぐいで鼻と口を覆い、露骨に距離を取っていた。


「茂助様……もうその辺りでよろしいのでは。三度も灰汁あくで煮沸しましたし、見た目はすっかり綺麗に……」

「馬鹿野郎! 見た目の問題じゃねえんだよ! 俺の心に染み付いた穢れが落ちねえんだ! お前らも突っ立ってないで、もっと香木を焚け!」

「無茶を仰らないでくだされ。我らの陣に、公家が使うような高級な香木などあるわけが……」

 勘兵衛が呆れたように肩をすくめる。


 秋の冷たい風が吹き抜け、濡れた具足からふわりと何かの臭いが漂う。俺は再び胃液が込み上げてくるのを感じ、井戸の縁に突っ伏した。

 早く美濃の長屋に帰りたい。自分の布団で、一日中ゴロゴロしながら干し柿でもかじっていたい。俺の生存本能が「もう帰ろうぜ」と激しくアラートを鳴らしている。

 そこへ、背後からけたたましい足音が近づいてきた。


「茂助ェ! でかしたぞ、この野郎!」

 振り返ると、上司の木下藤吉郎が満面の笑みを浮かべて走ってくる。その後ろには、見覚えのある仕立ての良い直垂ひたたれを着た武将が、足音一つ立てずに静かに付き従っている。 


「藤吉郎様……なんでしょうか。俺は今、己の尊厳の回復作業で忙しいんですが」

「洗ってる場合じゃねえ! 大出世だ! 俺が、この京の都を管理する『京都奉行』のうちの一人に大抜擢されたんだよ!」

「……はあ。おめでとうございます」

 俺は束子を放り投げ、心底どうでもいいと相槌を打った。


「なんで俺みたいな農民上がりが選ばれたか、分かるか? お前のおかげだ、茂助!」

「俺?」

「そうだ! 足利義昭公から、お館様に直接ご指名があったんだよ。『道中で余を楽しませた、あの巨体の堀尾某なる者を都に残せ。余の話し相手とせよ』とな!」

 俺の思考が完全に停止した。


「……はい?」

「お館様も最初は『誰だそれは』と首を傾げておられたが、話を聞いてみればお前のことだった。公方様のお気に入りであるお前を都に常駐させるため、上役である俺が、丹羽長秀様や村井貞勝様たちと並んで京都奉行に引き上げられたってわけだ!」

 最悪だ。


 将軍候補のお気に入りというフラグが、最悪の形で回収されてしまった。

 俺は、あのワガママで理不尽でな超大型クライアントの専属接待役として、この京都に縛り付けられることが確定したのだ。


「冗談ですよね? 俺、あの人の相手なんて二度と……」

「公方様のご指名を断れるわけねえだろ! それに、俺が奉行になった以上、木下組の総力を挙げて都の行政を回さなきゃならねえ。すでに弟の小一郎には帳簿と税の取り立てを、小六や長康には公家や寺社衆との折衝を任せてある。あいつらなら、あの小難しい連中相手でも上手く立ち回れるからな」

 なるほど。適材適所というやつだ。優秀な小一郎たちに綺麗で重要な仕事を割り振るのは、組織のトップとして極めて正しい判断である。


「じゃあ、俺は将軍様の話し相手だけで……」

「馬鹿言え! あいつらにも『絶対にやりたくねえ』って断られた、一番厄介な仕事が残ってんだよ!」

 藤吉郎が俺の肩をガシッと掴んだ。


「洛中のゴミ掃除とそして無法地帯の治安維持だ! 肥溜めに躊躇なく飛び込める泥臭い気合いと図太い神経を持ってるのは、我が木下組でお前だけだ、茂助! 今日からお前が、洛中の環境・治安維持担当の現場責任者だ!」

 適材適所の結果、俺は一番汚くて臭い現場仕事と一番気を遣うVIP接待という、地獄のダブルブッキングを食らったのである。

 他のみんなが暖かい屋敷で綺麗な茶を啜っている間、俺は冷たい川でゴミを拾い、夜は将軍のご機嫌取りをするのだ。


「嫌だ……絶対に嫌だ……」

 俺が絶望して膝から崩れ落ちた、その時だった。

「……相変わらず、泥に塗れながらも深き思索に耽っておられるようだな、茂助殿」

 藤吉郎の後ろに控えていた男が静かに声をかけた。


 透き通るような白い肌、理知的な細い目。どこか冷たい刃物を思わせるような、隙のない男。以前、一度言葉を交わしたことのある超絶インテリ武将、明智光秀あけちみつひでである。

「あ、明智様……お久しぶりです……」

 俺はため息混じりに頭を下げた。

 光秀は、ウンコ臭い具足を前に膝をつく俺を、上から下まで値踏みするように見つめた。


「上様から伺っておりますぞ。『金色の髪の武神が光を放って山を消し飛ばす』話や、『金を食らって雑兵を吐き出す悪魔の箱』の話。さらには……『姫を助けに行かず、他人の家の壺を叩き割り続ける勇者』の話など。茂助殿は、相変わらず途方もない見識をお持ちのようだ…。」

「いや、あれはただのホラ話でして……」

「ご謙遜を」

 光秀が、スッと目を細めた。 


「上様は単なる娯楽の作り話として楽しまれたようですが、それがしには分かります。それは、この乱世の理不尽さを憂う、見事な暗喩あんゆなのでしょう?」

「……あんゆ?」

 光秀は一人で深く頷き、滔々(とうとう)と語り始めた。  


「金色の武神とは、仏法の加護を失い、力のみで覇を競う今の武将たちの姿。金を食らう箱とは、民の血税を吸い上げながら無能な兵しか生み出せぬ、腐敗した大名たちの強欲さを痛烈に皮肉ったもの」

 光秀は一歩前に出て、さらに熱を帯びた声で続ける。


「そして極めつけは『壺を割る勇者』の話だ。本来為すべき大義を忘れ、目先の小さな利益に執着し、民の財産を荒らして回る……。これこそまさに、今の都にはびこる三好の残党や、大義を忘れた者たちそのものではないか!!」

 完全に違った。


 ただのアニメとソシャゲとテレビゲームです……。

 だが、光秀の目は「俺には貴殿の深い知性が理解できるぞ。貴殿は愚か者を装った本物の賢者だ」という、恐ろしいほどの共感とリスペクトに満ちていた。


「一見して愚直な武辺者ぶへんものを装いながら、その実、世のことわりを俯瞰する目を持つ……。さらには、己の同僚たちに華やかな表舞台の仕事を譲り、自らはこの肥大化した都の穢れを洗い落とす泥仕事を敢えて引き受ける、その献身の姿勢」

 光秀が俺の泥だらけの手をガシッと握り、真顔で言った。


「某、改めて感服いたしました。上様が貴殿を傍に置きたがる理由が、痛いほどによく分かります。貴殿のその知恵と泥を被る覚悟があれば、この都の再建も必ずや成し遂げられましょう」

 何も分かっていない。


 俺はただ、前世のオタク知識を将軍の暇つぶしのために垂れ流し、肥溜めに落ちた実績のせいで貧乏くじを引かされただけのモブなのだ。

 だが、否定する隙を全く与えない光秀の圧倒的な深読みの前に、俺はただ引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。


「さあ茂助、ぐずぐずしている暇はねえ! さっそく見回りに行け!」

 藤吉郎が俺の腕を強引に引っ張った。

「いや、待ってください! 俺、まだ臭いが……」

「燃え草でも被ってろ! 行くぞ!」

 藤吉郎が「頼んだぞ、我が懐刀!」と無責任に笑い、光秀が「得難き同志よ」と静かに微笑む。


 優秀な同僚たちがスマートに行政をこなす中、俺は上司から最悪の汚れ仕事を押し付けられ、将軍からはオタク語りを要求され、超絶インテリ武将からは謎の深い期待を寄せられることになった。


 俺の戦国サバイバルは、花の都・京都を舞台にして、最悪のブラック労働地獄、終わりの見えないドブさらいとパシリ生活へと、本格的にそのステージを移したのだった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
おっと?また秀吉さんが、トップと言う言葉を使っておりますが……。今度こそ主人公に毒されましたかな?(笑) 一応気がつきましたのでお知らせ致します。
まあ、死にたくないから派手な表舞台は譲って、裏方やってるのは間違ってないんだよなw
茂助の臭いより、多分あの時代なら一般人のほうが臭いんだろうな… だからあんま気にしないで大丈夫だぞ茂助!
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