第149話:堀尾家のドタバタ。泰晴の説教
いつものやつ。
「よいか吉晴! 我ら堀尾の先祖はな、遡れば高名な武門の出であり……その誇りを胸に……」
「は、はあ……左様でございますね……。でも、俺はその血は受け継いでないわけで」
深夜。
俺は白目を剥きそうになりながら、目の前で熱弁を振るう父・泰晴の説教を右から左へ受け流していた。
先祖の武勇伝を熱く語られているが、俺の中にはその堀尾のDNAなんて一ミリも入っていない。俺は未来から来た赤の他人であり、お館様の無茶振りで俺を堀尾茂助に仕立て上げただけなのだ。だから、先祖の誇りと言われても毛の先ほども共感できない。
だが、この頑固オヤジの正面で「俺、他人なんで」なんて言えるわけもなく、ひたすら正座で耐え忍ぶしかないのが下っ端サラリーマンの悲しい性である。
「貴様は体が大きいだけで、性根がどこまでも臆病だ! 武士としての覇気が足りん! それでは、いつか激戦の最中に足下を掬われるぞ!」
「あ、あの、父上……。自分だって、激戦を潜り抜けてきた結果、今の地位があるわけで、今も一応前線で毎日必死に生き延びてます。たまの休日くらい、少しは労っていただいても……」
ビクビクしながら上目遣いで言うと、泰晴はピタリと説教を止め、手に持っていた杯を静かに膳に置いた。
怒られる、と思った。だが、泰晴の視線はいつもより少しだけ静かで、不意にぽつりと、寂しそうな声を漏らした。
「……そういえば、氏光の奴は、元気にやっておるか」
「え? あ、はい。氏光なら、いつも俺の後ろを子犬みたいにくっついて回ってますよ。ますます張り切って、俺の配下として一生懸命働いてくれてます」
「そうか……。あの馬鹿者、岩倉には滅多に文の一通も寄こさぬというのにな」
泰晴は自嘲気味にふっと笑い、温くなった酒を喉に流し込んだ。
その横顔には、いつも厳しい家長としての仮面の裏に、息子に会えなくて少し拗ねている寂しがり屋の父親の顔が透けて見えた。
「あやつは昔から、強い者に憧れる性質であった。今やあやつにとって、わしのような老い先短い隠居の説教などよりも、戦場で武功を立て続けるお前の背中の方が、よほど本物の兄であり、本物の父親のようらしい」
「いやいや、父上、そんなことは……」
「よい、分かっておる。吉晴……お前が氏光を本当の弟のように厳しく、かつ大事に育てて、戦場で守ってくれていること、この泰晴、心より感謝しておる。……これからも、あやつを頼むぞ」
そう言って、泰晴は俺を真っ直ぐに見つめた。
血は繋がっていなくても、この人はこの人なりに俺を信頼し、我が家の未来を、そして本物の息子の命を俺の双肩に託してくれている。その不器用な温かさと重圧が、俺の胸の奥をチクリと刺した。
「……はい、父上。命に代えても、氏光は俺が守ります」
「うむ。……ふん、少々語りすぎたわ。夜も更けた、わしはもう寝る!」
急に照れくさくなったのか、泰晴はドカッと立ち上がると、そのまま足早に用意された客間へと下がっていった。
(よっしゃあああああ!!! 終わった! ついに解放されたぞ!!!)
親父の背中が見えなくなった瞬間、俺は心の中で盛大なガッツポーズを決めた。
時計はないが、どう考えても寝る時間はとうに過ぎている。だが、俺の夜はこれからだ。ムラムラと燃え上がっていたあのエネルギーは、頑固オヤジの説教ごときでは完全に消火できていなかったのである。
(お待たせ、俺の可愛い桔梗ちゃん! 今夜は朝まで頑張っちゃうぞー!)
下心丸出しで鼻息を荒くしながら、俺は爪先立ちで廊下を忍び歩き、ウキウキ気分で桔梗の待つ寝所の襖を勢いよく開け放った。
「桔梗! いやあ、やっと親父が寝てくれたよ! 寂しかったろ、さあ……」
両手を広げて布団へダイブしようとした俺の動きが、ピキッと凍りついた。
部屋の真ん中、行灯の薄暗い光の中に、白無垢の打掛を脱ぎ捨てて凛々しい稽古着姿になった桔梗が、正座したまま腕を組んで待ち構えていたのだ。その背後には、ご丁寧に嫁入り道具の薙刀がギラリと立てかけられている。
「……旦那様。そこでまた、そのだらしのない態度は何事ですか」
桔梗の声は、冷徹なまでの重低音だった。
「え? いや、何事って、ほら、やっと二人きりになれたし……」
「お父様があれほど真剣に、堀尾家の命運や氏光殿の行く末を話してくださっていたというのに、旦那様と来たら何ですか! あくびを噛み殺し、早く終わらぬかとばかりに足を崩して……武士として、堀尾家の次期当主として、あまりに情けない振る舞いですわ!」
「いや、見てたのかよ。でも、オヤジの話すげえ長いし、俺ぶっちゃけ眠いし……」
「言い訳をしない! 敵は旦那様が油断して眠気を催した瞬間を狙ってくるのです!」
キィン、と激しい金属音が響いた。桔梗が床の間の薙刀を引っこ抜き、鞘を払ったのだ。
ひぃ!
「お父様のお話を聞いて、私も妻として背筋が伸びる思いでした。旦那様が戦場で生きて帰るためにも、私がその弛みきった性根を今すぐ叩き直して差し上げます! さあ、木刀を持ちなさいませ!」
「えええええっ!? 今から!? 久しぶりの再会なのに!?!?」
「問答無用! まずは体幹の鍛錬、四股踏み二百回から始めますわよ! 腰を落として!」
「ひぃぃぃ! 俺のゴールデンタイムが、また深夜の筋トレに化けたぁぁぁ!!」
外では正月のどかな風が吹いているというのに、俺の寝室では「腰が高い!」「丹田に気を込めよ!」という鬼嫁の罵声と、俺の悲鳴が虚しく響き渡るのだった。
戦場の浅井軍より、間違いなくうちの嫁の方が恐ろしい。俺の戦国ライフは、今夜も筋肉痛の向こう側へと突き進んでいくのだった。
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